じいさんの目

4人の孫たち-(花音編)……22年11月

私には、2人の子供がいる。
長女に長男の一男一女である。その長男長女には、それぞれ2人ずつの子供がいる。だから、私には4人の孫がいることになる。長女の方の孫たちは、小2の「花音」と保育園児で1歳9ヶ月の「そうたん」である。長男の方の孫たちは、幼稚園児で4歳4ヶ月の「りん君」と2歳2ヶ月の「ゆうじろう」である。

初孫の「花音」の生まれたときは、大騒ぎであった。とにかく、無事で生まれて欲しいと、手を合わせていたものだ。私も妻も、陣痛の間隔が短くなったとの連絡に大慌てで娘の家に行くと、娘夫婦が、テーブルを挟んで時計と睨めっこをしていた。痛みを和らげるためか、フーフーハーハーと呼吸で調子をとっていた。私も一緒になって、フーフーハーハーとやりはじめたので、妻は呆れてか私の顔をながめて笑っていた。笑われても、私は、無事の出産をと願いながら、フーフーハースーと調子を合わせていた。娘の誕生時よりも、緊張していたのではないだろうか。

「花音」が無事に生まれたことを知ったのは、翌日の朝である。私は、乗務中であったが、営業車で乗りつけて、面会時間外であるにもかかわらず、家族だと名乗って、初対面を果たした。顔立ちがいいの、誰に似ているのと話しながら、嬉しくてたまらなくなっておそるおそる抱き上げてみた。その壊れそうで柔らかな身体からは、何ともいえない甘い臭いがして、「じいちゃんになった」との実感に浸ることができた。娘に感謝感謝である。この日、「花音」誕生と一緒に、自他共に認める強烈な「じじバカ」も誕生した。

この[花音」の名前には、一寸したエピソードがある。娘夫婦から、「かのん」と決めたと聞かされて、妻は、漢字の「花音」ではなくカタカナの「カノン」を連想したらしく、納得が出来ないとしきりにこぼしていた。外人みたいだと、しばらくの間は納得できないようであったが、何度も名前を呼んでいるうちに、『「花音」っていい名前ね』などと言い出して、私たちを笑わせた。

私の「じじバカ」ぶりは徹底したもので、明けても暮れても「花音」「花音」であった。仕事中でも近くに来たからと顔を出したり、用事もないのになんだかんだと用事を作っては「花音」を抱きたがるので、娘からは「ストーカーじじい」と呼ばれる始末であった。自分の「じじバカ」ぶりには、自分でもあきれていたほどである。もちろん、妻も娘も婿さんもあきれ返っていた。

笑った、歩いた、話したと、「花音」の成長につれて、私の「じじバカ」ぶりはますますエスカレートしていった。保育園のお迎えなどで、手をつないで歩きながら、「私の孫だよ。可愛いでしょう。自慢の孫なんだからね。」と、大声で自慢したかったほどである。その可愛い「花音」の指定席が、私の膝でありあぐらであった。顔を合わせると、当然のように後ろ向きに近づき、その公認の指定席に座っていた。その指定席も、今では弟の「そうたん」のものになりつつある。残念ではあったろうが、認めることで、自分がお姉ちゃんになったことを自覚できたに違いない。

「花音」のオムツは、2歳の誕生前にとれた。とれたことで、じいちゃんちでの「お泊り」が出来るようになった。「花音」は、娘夫婦の心配をよそに、「お泊り」を喜んでいた。二日でも三日でも泣きもせずに泊まって行く。本が好きで、ほっとくといつまでも読んでいる。寝る前の読み聞かせも大好きで、もっともっとせがんで、なかなか寝つかない。だから、私たちの家には、「花音」のための本棚があり、泊まるたびにその数が増えている。私の読み聞かせも、慣れたことで相当なものになった…と自負している。時々は、二人で読み合わせをしたり、創作したデタラメ話に興じたりもした。

孫と過ごすことが楽しいと、その遊び方にも工夫や創造が加わる。座布団に腹ばいした花音を、座布団ごと持ち上げて振り回す、「座布団飛行機」。茣蓙やカーペットでぐるぐるまきにして放り投げ、ゴロゴロと転がす「花音ゴマ」。やはり茣蓙を使って遊ぶ「三角トンネル」等、楽しい遊びはたくさんあった。お風呂での魚釣りや、お湯かけ遊びは当然である。その入浴に際して、私と妻とのどちらと入るかを「花音」に決めさせるのだが、「花音」も心得たもので、半々ぐらいにうまく選択していた。なかなかの知恵者である。

3歳ぐらいからは、車で出かけることが多くなった。春の桜やポピー、秋のコスモス、お彼岸時の菜の花やマンジュシャゲ等と、都内や埼玉の花の名所によく連れて行った。花に囲まれて笑顔を見せる「花音」はまるで妖精のようであった。そんな「花音」も、体調が悪かったのか、車に酔ってしまったことがあった。無理をさせてしまったかと、妻(ばあちゃん)と反省したものだ。とにかく、「じじ・ばば」の都合次第で連れ回すのだから、「花音」も大変だったのかもしれない。

こんな私たちであったが、娘夫婦のことも真剣に考えていた。保育園のお迎えはもちろん、具合が悪いときの看病などにも、ひんぱんに出かけているからだ。病気のときなどは、結構神経を使ったものだ。預かっている間に具合が悪くなったらなどと、緊張してもいた。まだ話せない1歳ぐらいの時のことだ、風邪だとのことで出かけて看ていたら、いつもと違ってグズることが多く、なかなか寝付かなかった。娘が仕事から戻る頃には、少し苦悶の表情を見せるようになっていた。しきりに耳に手をあてて泣くのである。娘が帰ってきたので、具合を教えて一緒に病院に行った。耳を押さえることが多かったので、耳鼻科にしたのだが、その選択は正しかった。なんとなんと、両耳の「急性中耳炎」で、しかも切開の必要があったのである。泣いてグズるのが当然であったのだ。このことで、私は、孫を看ることの責任の重さを、痛感させられた。楽しいことばかりではないのである。

「じじ・ばば」を独り占めにしていた「花音」に、最初のライバルが出現した。長男の第一子「りん君(凛太朗)」の誕生である。私や妻(じじ・ばば)の視線が、自分以外の「りん君」に向けられるのが理解できなかったようだ。それでも、「りん君」と顔を合わせる機会が少ないせいか、それまでどおりに振舞うことができた。「りん君」の成長につれ、一緒のときなど、指定席であったじじの膝が奪われたりすると、少しやっかむ様になった。いとこの存在は、嬉しいような、ライバルの様なものであったのかもしれない。

「花音」の平穏も長男の第二子「ゆうじろう」が生まれた頃までであったろうか。「ゆうじろう」に4ヵ月遅れて誕生した、最大のライバルであり最愛の弟である「そうたん(そうすけ)」の出現は、それまでの「花音」の生活を一変させた。そのことで、自分だけに注がれていたパパ・ママの愛情が、「そうたん」にも分けられることを知らされたようだ。それまで、独り占めできたママも、「そうたん」の世話に追われて十分に相手をしてもらえないこと、自分だけを可愛がっていた「じじ・ばば」までもが「そうたん」に気を配っているようで、とまどいながらも変わりつつある何かを感じたのであろうか。かわいそうにも、幼い胸のうちにそれなりの葛藤があったのであろう。

それまで使ったことのない赤ちゃん言葉を使ったり、急に苛々したりと、いくつかの変化も見え始めたが、「花音」は賢かった。「そうたん」を最愛の弟として可愛がることで、自分の満たされぬものを解消して行ったようだ。自分に弟ができ、お姉ちゃんになったという自覚も、戸惑いながらも喜びとなったようである。「そうたん」の成長につれ、時々はイラつきながらも、「花音」はいいお姉ちゃんになっていった。わがまま一杯だった生活も、「そうすけ」を加えた家族の一員としてのものに変わりつつあるようだ。ただし、整理整頓や後片付けといったことは、お姉ちゃんになれないようである。どうも、それだけは親譲りであるようだ。…「じじ・ばば」は違うのにである…。

不思議なことがあるものだ。自慢の「賢い花音」は数字に弱かったのである。数字というよりは、計算に弱っかたといった方が正しいようだ。お金の計算や時計・カレンダーを見るといったことを、入学前まで理解できないでいたのである。応用力が足らないのではと娘に話したら、そんなことは気にしなくてよいという。保育士(保母)をしているのでよく分かるとのことであった。幼稚園ではないのだから、保育園では特別な教育はしていないので、普通なことであるらしい。どうも「じじバカ」ゆえの、買い被りによる心配だったらしい。娘の同時期に比べて遅れていると感じるのは、私が娘に対しても親バカであったということだろうか。

その「花音」も小学2年生になっている。苦手?の算数もなんとかこなしているようで、ホッとしているが、相も変わらずに後片付けができないでいる。本当に頭の痛いことだ。何度言い聞かせても直らないので困っているが、親が躾けるべきことと、見守るしかないようだ。

小学2年ともなると、その生活が変わることは当然である。でも、「じじバカ」である私としては、その当然の変わりようが不満なのである。だんだん相手にされなくなっていることが感じられるだけに、侘しいこと限りなしなのである。「りん君・ゆうじろう・そうたん」と遊び相手がまだ3人もいるのだと、「花音」の自立を喜ぶべきであろうが、複雑な心境の「じじバカ」でもあるのだ。まだまだ「花音」と遊びたい「じじバカ」が、ここにいるのである。

― 追録 ―

私の部屋には、孫たちの写真がたくさん飾られている。もちろん「花音」の写真が一番多い。未整理のものも含めると、数え切れないぐらいの枚数である。その一枚一枚には、いろいろなエピソードが秘められているのだが、中でも、七五三の時に撮られたものは愉快である。三歳の花音は、撮影がイヤであったらしく、大騒ぎをして大変だったとのことだ。着替えやポーズもままならず、預けられた人形も投げつける始末で、騙し騙し撮ったとのことであった。そのせいか、リボンの位置が大幅にずれたままに写されている。運動会の写真も愉快である。シーサー踊りの衣装がいやだといってふくれっ面をしたり、スタートのタイミングを外されたとショボクレて歩いたりと、その様子が思い起こされるものが写されている。とにかく、「花音」の写真にはエピソードが多いのである。

保育園の入園式、運動会、発表会、卒園式と数多くの写真があるが、そのほとんどに妻は参加しているので、それらのエピソードに関しては妻のほうがよく知っている。私は、車で出かけた時とか、公園に遊びに行った時とかの記憶が多く、その一コマ一コマに輝いている生き生きとした「花音」を、いつでも思いだすことができる。写真には、その光景が正確に懐かしく刻み込まれているのだ。「じじ・ばば」と「花音」との大切な大切なふれあいの記録として………。