2016年9月14日水曜日

病を考える。

(北海道美瑛で見つけたシャレたペンション?)
写真ようなシャレたペンション?に住んでみたいなんてのは、誰もが持つ夢だと思う。北海道の美瑛は、丘陵の美しい町だ。その美映が台風の被害で、惨憺たる有様になっていると言う。写真の建物も無事であったかどうかと、心配している。

美しい景色に囲まれて、のんびりと暮らせたら、人間は健康でいられると思うが、なかなかそうはいかないのが現実だ。のんびりどころかあくせくと追われる毎日に、腰をさすり、膝を労わるのが普通となっている。

そんな普通の生活で、大過なく過ごしてきたはずなのに、ここにきて、思考力と集中力が極端に衰えてきているのを、自覚するようになった。いや劣化して来ていると言ったほうが正しい。認めたくはないが事実のようだ。

(初夏の大雪山系を臨む)

ニワトリは三歩の歩みでその前のことを忘れるとよく言われるが、今の私は正にその状態に近い。最近では、その状態の多さに自分でも驚くようになった。妻にも、首を傾げられることも多い。

認知症を自覚するということはないのだろうが、私は、自分が自分でなくなるという恐れに近いものを感じ始めている。それは、時に一瞬のことであったり、数分のことであったり、数時間のことであったりと、その都度ごとに違っているが、確実に自分が自分から遊離していることを感じてしまうのだ。

具体的表現は難しいが、今何かをしている自分が、一瞬前に、数分前に、数時間前に何かをしていた自分を忘れ去ってしまっているという恐怖だ。トイレに入って、トイレに入りたいとしていた自分を忘れたり、忘れないためにとメモ書きした自分を、メモ書きそのものと一緒に忘れ去ったり、買い物に出かけて財布を忘れるどころか、買い物をしようとした自分すら忘れる、といった具合だ。

こういうことが続くと、自分がどうなってしまうのかという恐怖にも襲われる。時折、妻に笑われたりすると、今の自分が自分なのだと開き直ったりもしてしまう。言い訳することすらが、疎ましく恐ろしくさえ思えるのだ。もはや、認知症に踏み込んだということだろうか。考えたくはないが---。