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2016年5月10日火曜日

衣替えが必要だ。

(我が家の衣替え-5/10)
我が家では、5月の連休が終わったころに衣替えをする。20年前ぐらいには梅雨に入る前にしていたと覚えているが、果たしてどうだったのだろうか。とにかく、衣替えの時期が早まったということは間違いない。これも温暖化のせいなのでは、と思う。衣替えを済ませると何となく気分もすっきりとして、訪れる季節への心構えも新たになるようで、意外と心地よい。

私は昨日(5/9)、民主主義を守るためには、絶対的課題として甘利氏の告訴が不可欠だと投稿をした。国家が、その行政官たる閣僚の不正を許し、その罪を匿い、権力をもってその罪を隠ぺいするなど断じて許されるものではない、との怒りからの投稿だ。

民主主義は、その主権が国民にあるのであって、行政庁たる内閣や官僚がその主権者であるなどと勘違いしては困る。甘利問題は、民主主義そのものが問われる根本的な問題である、と理解しなくてはならない。この問題をあやふやにさせるということは、日本の民主主義が死に体になってしまったことを証明することであり、主権在民の根本が犯されたということにもなる。憲法の精神を無視した、行政庁たる内閣によって、国家的クーデターがなされているということでもある。日本に於いて、民主主義が順守されているかどうかを検証する際には、三権分立の大原則が守られているかどうかの検証が大前提となる。その大前提が安倍自公の手で露骨に崩されていると見えるから、私はあえて投稿した。それも、なし崩しに忘れさせようという卑怯な心根が見え見えであるだけに、気短な私には到底許せることではない。

甘利問題は、この大前提たる三権分立の大原則を無視し、ないがしろにしていることを如実に示している。こじつけの睡眠障害を隠れ蓑とした立法府たる国会での審議拒否、司法をつかさどる検察の安倍自公を恐れての及び腰、犯罪事実を隠ぺいする内閣の強硬姿勢、まさに民主主義そのものに対しての挑戦である。だからこそ、甘利氏告訴が民主主義を守るための突破口として必要なことなのだ。たんに一甘利氏の問題ではない。民主主義を闘いとるために絶対に必要な闘いなのである。不正は絶対に許してはならない。まして、見逃すなどを許しては、民主主義そのものを否定することに繋がるのだから、体を張ってでも阻止しなくてはならないのだ。

今、政界そのものの衣替えが必要なようだ。衣替えをして、すっきりとしようではないか。


2016年5月5日木曜日

民進党よ英断せよ!

(端午の節句の菖蒲湯-5/5)
我が家は、老夫婦のみで誰も同居していないが、この時期には、毎年湯船に菖蒲を入れる。爺・婆の家に今更菖蒲でもなかろうが、例年のことだからと妻はこの習わしを守っている。同様に、冬至カボチャとか、節分の際のイワシの頭とかにも心を配っている。

イワシの頭では、妻とさんざんやりあったものだ。ウチは、共用通路のマンションなので、廊下側の窓枠に豆ガラとイワシの頭はないだろうという私と、習わしだからという妻とでやりあった。結局、今は窓枠はやめて、節分当日にイワシの丸干しを頭から食べるということで落ち着いている。今では何もしていないが、子供たちが小さかった頃には、桃の節句とか七夕なども、一緒に楽しんだものだ。

私の妻は、こうした風習めいたものをとても大事にしている。私も同感なので、一緒に守ることを心がけている。先人たちの思いがこもっていて、大切にしたい行事との思いがあるからだ。大げさに言えば、原始宗教とも言える素朴な祈りにも似た思いということであろうか。私たち夫婦の信仰心とは、こうした素朴なものであるらしいが、これはこれでいいと思っている。自民党憲法草案のような回顧主義を促し民族主義に彩られた郷愁等では決してない。押し付けられた神道等でもなく、国土と自然とが育んだ素朴さそのものの信仰心だ。私たちはこれでいいのだ。

(江東区有明での憲法集会-5/3)
左の写真は、5月3日に開催された憲法擁護のための大集会だ。参加者は、主催者発表で約5万人という規模のもので、現憲法を守り、自公政権の企む憲法改悪を阻止しようという集会である。私たちも夫婦して参加した。去年横浜で開かれた集会に比べると、安保法制の暴挙があったこともあってか、国民の怒りがそのまま集会に集約されたといった感じであった。野党共闘の実も見られ、難物民進党もそれなりの対応を示すようになった。市民運動の成果であるといえよう。

とは言え、委員長の岡田氏が、この集会で決意を表明しているのに、同じころ、同党の松原某と言う馬鹿者は、あろうことか櫻井よしこなどの改憲集会でおだを上げている。更には、細田某なる不倫議員も、外国まで行って野党共闘に水を差す暴言を吐いている。

私は、こうした民進党の態様を、同党の撓みであり歪みであると批判している。若干勢力が減るとしても、こうした反党的分子は、彼らの故郷である自民党に里帰りして頂いたらと思うのだが。そのことが、民進党の発展のために、いや野党共闘の実現のために、ひいては国民の幸せのためになると私は信じている。今こそ決断すべき時ではなかろうか。そうそう、肝心のノダメ氏の同行は必須条件であるということも、あえて申し添えておきたい。民進党よ英断せよ!である。

2015年11月22日日曜日

負けてたまるか!

(マイナンバー配布の不在通知―27/11)
かっての赤紙(召集令状)でもあるまいに、赤色の不在通知書とはなんとも縁起が悪い。借金や滞納税の督促状でもなかろうに、感情を逆なですることこの上ない通知書だ。

最初から、このマイナンバー制度については異論が多かったが、国民を管理下に置こうとする自公政権は、国民の了承を図ることもなく遮二無二推し進めようとしている。安保法制下の国づくりのために必要だかろうか。国民をなめるのもいい加減にしてほしい。

案の定、不在通知書を受け取っても郵便局に出かけない人たちが多く、通知書が役所に戻されているということだ。当然のことだと思う。自分たちを管理束縛するためのものに、積極的に協力などできるはずがないではないか。

このままの状況が推移すれば、マイナンバーを保持しない国民が、数百万人にも達するかもしれない。そうなったら、国家的一大事であるはずだが、それでもそのまま見切り発車することになるだろう。将来に禍根を残そうとも、政府の狙いが、国民総背番号による国家統制にあるのだから、強引な押し付けをやめることはないと思われる。

(辺野古での政府欺瞞を伝える東京新聞―27/11)
安保法制化の軍事国家には、国家統制のとれる財政的裏付けがどうしても必要だから、いいも悪いもなく国民から搾り取る姿勢を強めることは間違いない。それが自公政権の本質なのだから。

私たちは、産軍一体の国家方針で戦争を遂行し、国民に塗炭の苦しみを与えたあの軍閥政治を忘れてはならない。
秘密保護法のもとに、国民の目と耳をふさいで戦争に突っ走ったあの暗黒専制政治を忘れてはならない。
産学一体の名のもとに、軍事教育を敷いて軍事開発を促し、前途洋々たる学生を愛国の名のもとに戦場に送った、あの明治外苑での狂気の行進を忘れてはならない。
そして、かっての軍閥体制下で、私たちの父祖が、どのような抑圧下で戦前戦中を過ごしたかを、思い起こさなければならないのだ。

今まさに、すぐそこに危機は迫っている。フランス・パリでのテロ事件を契機に、安倍政権は、かってのような言論弾圧を企んで、「共謀罪」の再提出をさえ目論んでいる。一挙に軍事体制を作ってしまおうという考えだ。「日本会議」なる右翼組織が、憲法改正を叫んで蠢動していることもその一端だ。ネット右翼などはすでにヒステリー状態となっており、ハイルヒットラーを彷彿させている。

日本人は、正邪の判断によらず感情に流されやすい。そのことが、反テロを口実とした専制国家体制づくりに利用されようとしている。軍国坊ちゃんたる安倍は、今をチャンスと翼賛体制を築こうとしている。本当に、危険極まりない情勢だ。

私たちは、心して自公政権を監視しなければならない。戦争への道を、なんとしても阻止しなければならない。そのためにも、戦争反対の闘いを絶え間なく続ける必要があるのだ。暴走政権の圧力によって、正論は押しつぶされようとはしているが、必ずや勝利すると私は確信している。正義が負けるはずはない、負けてたまるかである。

2015年9月18日金曜日

くやし涙を忘れまい

(最後の一匹も死んだ 9/17)
一匹だけ残って頑張ってくれた金魚が死んでしまった。水槽を軽くたたくと、餌を求めてパクパク口を開けながら寄ってくる姿はもう見られない。

同じ日、日本の民主主義と平和主義は、立憲主義を破壊しポチアメリカを求める輩の手によって、消しようもない汚点をつけられてしまった。

テレビ中継から流れる異様な映像は、この国の民主主義がどのようなものかをまざまざと知らしめるものであった。そして、それを中継するテレビ局の解説者のコメントも耳を疑うもものの繰り返しであった。

NHK,日テレ、フジテレビは政府の御用達ぶりを競ってか、事実認識の甘さと論旨の曖昧さをが特に目立ち、白を黒と言いくるめるその報道ぶりには怒りをさえ覚えた。私は、即座にNHKに抗議の電話を入れた。もちろん氏名を明らかにしてのことだ。多くの抗議があったのか、なかなか接続できなかったが、思いのたけを述べて抗議した。

(9/15の国会前の抗議集会で見つけた落選させたい議員の
             写真一覧-公明党参議議員の箇所)
9/15夕刻から、私たち夫婦は、何度目かの抗議デモに出かけた。左の写真は、その際見つけた、「安保法制に加担して日本を戦争国家へと導く参議院議員一覧」のうち公明党の箇所であった。今や反対運動の高まりは、抗議行動を突き詰めて、国家に仇名す議員の落選運動へ発展していることを示している。当然のことと思う。
こうした国民の声を無視した与党議員に対しては、選挙で厳しい審判を下すことが天命であると私は思っている。

9/17のテレビ中継を見ながら、私はその憤りから、悔し涙が流れ出るのを止めることができなかった。そうした私を、妻はただ何も言わずに見つめていてくれた。同じ思いであったと思う。

数の力に対抗できないでいる己の微力さを思うたびに、何もできないもどかしさを味わうたびに、涙はとめどなく溢れた。口惜しい、たまらないこの現実を目にしなければならないことが限りなく悔しい。

黙ってなどいられない。シールズの若者たちが言っていたように、この仕打ちに対しての返答は必ずする。おごるなよ自公政権、必ず鉄槌を下してやる。国民をなめるではない!このくやし涙は決して忘れないぞ。

2015年9月9日水曜日

恥知らずもいいところだ

(だるまさんも怒っている)
(この声を無視するのか!)
もはや自民党は政党とは言い難い権力にしがみつく政治屋集団になり果ててしまった。「安倍親分」にどう忠誠を示すかと、揉み手しすり寄る様は、見苦しくもあさましい限りである。

同じ与党の公明党も同様に、自称平和の党から自民におもねり尾をふる「自民党のポチ」へと大きく変貌してしまった。

総裁選の朝に、安倍におもねる自民議員が、安倍を励ますとして、餌待ち顔で集結した。ポスト狙いが見え見えで恥ずかしいことこの上ない。まるで、安倍大明神を祭る「大政翼賛会」の結成式といった具合だ。

一方の公明党も、支持母体の学会信者の一部から、安保法制に対しての異議をつきつけられ、その真摯な声に耳を貸そうともしないで、山口委員長に面会を求め反省を促す代表を玄関払いとしてしまった。それも雨の中、4時間余りも立たせたまま警備員に対応させるといった、非人道的な恥ずかしいものであった。自分たちを長年にわたって支え続けた支持者への対応として、心の痛みを感じえないのであろうか。

あの麻生大臣が、消費税の扱いについて、値上げに伴う低所得者への救済策として、酒を除く食料品に関しては2%の軽減税率を適用するが、一律減税ではなくマイナンバーカードを使っての還付税方式を採用するなどととんでもないことを言い出した。減税ではなく還付してやるといった頭ごなしの上から目線の対応である。あげくは、カードを使わないのは勝手だが、減税の恩典を放棄するものだと、低所得者をなめ切ったえげつない放言までしている。マイナンバー制度の普及利用を露骨に示しながらである。公約違反など何らの反省もしていない。

「安保法制」の委員会では、防衛省制服組トップの違憲資料の開示を、求められた同一のものは存在しないとして提出を拒絶され、委員長以下自公及び同調委員によって了承してしまった。シビリアンコントロールの根幹を揺るがす問題を、党利党略で覆い隠すなど到底許されることではない。真剣に国民の幸せを考えていないという証拠を示した言うことだ。それだけではなく、審議打ち切りも日程に上らせた。国民の疑問にも答えずに、国民の納得も得ずに審議を打ち切って強行採決に及ぼうなどは、暴挙以外の何ものでもない。

恥を知れ、自民党! 国民に謝罪せよ、公明党!与党を助ける「二世代、新党改革」の各党も裏切りを反省しろ!肝心な時に分党騒ぎを起こした橋下とその一派はその罪を悔い改めよ!

本当に恥知らずもいいところである。


2015年7月20日月曜日

天罰は下される!

(自公の暴挙を伝える朝日新聞 7/16)
何と言ってよいのかわからないほどの激しい怒りを覚えている。ジッとしているのがもどかしいほどの怒りである。

2015/7/15は、わが日本国の民主主義が破壊された忌まわしい日として記憶されることと思う。そして、2015/7/16は、日本の国会が立憲主義から逸脱した自公勢力にジャックされた日として記憶されることと思う。

安倍独裁に脅えて言うがままの自民党議員、政権にしがみつくことを党是としてしまった公明党幹部、その幹部に盲従する公明党議員。そうした醜い勢力に国会は乗っ取られてしまった。

国民の安保法制に反対する意志を無視して、戦争への道に踏み出したこの輩は、どのように弁明や言い逃れをしようともその罪からは逃れられない。特に公明党幹部に至っては、平和を希求する純真な学会信者を裏切ってまで自民党と歩調を合わせたのだから、その罪の深さはたとえようのないものである。

本会議での締めの討論をした公明党遠山議員のあの姿を異常だと感じた国民は多かったのではなかろうか。その論理は押しつけがましく、戦争することの意味すらも感じていない盲信と言ってよいほどの米国追従姿勢。国民の目には、いや創価学会信者の目には、自民党以上の強硬姿勢として映ったのではなかろうか。

(日比谷野外音楽堂での抗議集会 7/15)
自衛隊員のこれまでのPKO活動を軍事活動と混同させたり、その成果を安保法制反対勢力は評価していないなどと話をすり替えたり、自衛隊員の命を軽視している自分たちの主張にも気づかず最も危険な後方支援を正当化したりなどと支離滅裂も甚だしいものであった。

かってのベトナム戦争やイラク戦争で大義なき侵略戦争をしかけたアメリカへの追従が、どれほどの犯罪行為なのかなんて何も考えてはいない。そのアメリカの軍事力の衰えを、カバーさせられる危険性に気付いているのかいないのか、法案の本質から目をそらして与党の位置にしがみつこうとしている。とても平和の党などと称せる姿ではない。もし、天罰というものがあるとするのなら、彼らの頭上に下されることは間違いないことと思う。
(抗議集会の後の国会請願デモ 7/15)

国民をなめんじゃないぞ公明党!
学会信者をなめんじゃないぞ公明党!

(この投稿は、7/16、国会で強行採決された直後の怒り冷めやらずと言った心境のまま記述)

(夫婦で抗議集会に参加-3度目-7/15)

2015年6月27日土曜日

暴走は許さないぞ!

(6/24の安保法制反対行動)
6/24 安倍政権の暴走を止めようと多くの人たちが安保法制反対を叫んで国会を包囲した。私と妻もその包囲行動に参加した。

日々にもたらされる安保法制に関する情報は一刻の猶予も許されない事態を示している。大げさではなく、この国の民主主義は破壊され戦前のような戦争をする国へと変貌させられようとしている。

自分達の意志にそぐわないものには耳をかそうともしないで、何が何でも違憲の法案を通そうとする姿は、かっての軍事国家の独裁的な指導者を彷彿させる。安倍首相の顔つきが、かのヒットラーに重なって見えるのは私だけではないのではないか。

60年安保、70年安保の闘争の時にはこの国会前にはあふれるほど人達が集まった。その規模は正に空前絶後というにふさわしいものであった。国民の意思が行動によって示されていたのだ。私は決して過激な行動をあおるものではないが、スマートフォンにかじりつくばかりで無関心極まりない多くの若者を見るたびに、この国の民主主義はどうなってしまうのだろうと不安に陥れられてしまう。若者よ目覚めよそして奮起せよである。

昨日今日のニュースでは、自民党若手議員の傲慢ぶりが、右翼作家百田氏の言動と相まってその不遜ぶりが報じられている。自民党・政権の意にそわないマスコミは潰してしまえと言う乱暴極まりない傲慢ぶりである。かって、若手軍人が先走って国を暴走させた行動にそっくりではないか。
その暴走をたしめるばかりか、言論の自由だからと容認してしまう安倍首相にはもはや民主主義を語る資格さえもも有しない。恥を知れである。

考えれば考えるほど腹だたしい昨今である。
とは言え、腹を立てているばかりでは暴走を阻止することはできない。この国を戦争へと導こうとするすべての勢力に対して、強烈な反撃をしなければならないと思う。今の私でできるあらん限りの行動をとらねばと思う。もちろん、非暴力の行動をであるが、ターゲットを絞って反撃しようと思っている。負けてたまるかである-----。

2015年5月28日木曜日

戦争阻止のために!

(横浜の臨海公園での大集会 5/3)
私がこうした集会に参加するのは、二十数年ぶりであろうか。

戦争への危機感からじっとしておられずに、5月3日の9条の会などが主催する「9条を守れ、戦争反対、原発廃止、沖縄の辺野古基地設置阻止」等の平和を求める大集会に参加してきた。当然に妻も一緒である。

安倍の暴走ぶりは目に余る。このまま放置していれば、日本は間違いなく戦争する国になってしまう。そうした危惧を抱いた人たちが、このまま見逃さないぞとして集まった。主催者発表で35,000人だという。

壇上に立った人たちは、大江健三郎氏を筆頭に声をからして今の危機を訴えていた。従来の学習会的なものでなく、阻止のための行動を求める訴えであった。数の論理から民主主義が破壊されようとしている中、訴えは心に響くものであった。じっとしてはおられない、とにかく行動しなければと大いに励まされる集会であった。

この集会で、私は思いがけない巡り合いをした。
事業の失敗で迷惑をかけてしまい顔を合わせずらくて疎遠となっていた御夫婦に、その会場でバッタリと出会ったのである。35,000人の人ごみの中での再会である。本当に奇跡的な再開にお互いに驚いたり喜んだり懐かしがったりと感慨もひとしおであった。

そのTさんご夫婦も、私たちと同様にじっとしておられずに出かけてきたとの事であった。心強い同志との再会であった。平和が脅かさていることを実感している人たちは、本当に多い。感じるだけでなく阻止するために立ち上がった人たちも多くなっている。私たち夫婦も頑張らねばである。


2014年11月25日火曜日

絶景かなは、アンチの行動?

(湖東三山の内、西明寺の紅葉 11/16 )
京都の紅葉を楽しみたいとの妻の希望で、湖東三山(百済寺、西明寺、金剛輪寺)と嵐山(トロッコ列車、天龍寺、渡月橋)、それに清水寺・南禅寺という一泊2日の超過密ツアーに参加してきた。

いつものように、妻の姉と3人での老人旅行であったが、今回は山登りに行ったような場所が多く、ただただ疲れたという感じであった。それにしても、有名寺院はなにゆえにかくも山中にお堂を建てたがるのかと首を傾げた次第である。ありがたや 苦難の末の 御本尊 といったところであろうか。とにかく、石段の多いお寺さんばかりである。

(清水寺の舞台から 11/17 )
清水寺の舞台からの遠望は素晴らしかった。かくも大がかりな木造建造物を築き上げた先人達には畏敬の念を覚えざるを得ない。
都をとりまく周囲の山々に古刹が多いのは、為政者の思惑が働いての事であろうが、それにしてもその権力の大きさには驚かされてしまう。駆り出され、絞りとられた庶民の苦しみはいかばかりであったろうか。でも、矛盾するが、その庶民はありがたい教えや巨大な建造物に歓喜して拝跪したに違いないのだ。権力者の思惑通りにである。

いつの世も、権力者は自己の勢力を誇り保存するために詭弁を弄して庶民を騙そうとする。このことは古今を通じてなんら変わることはない。時には、天変地異の禍までも政治的に利用する。権力を弄ぶものは、庶民などは道具でしかありはしないのだ。
(絶景かなーで有名な南禅寺の山門 11/17 )

かの石川五右衛門は、時の権力者・秀吉に逆らいその鼻を明かそうとして捕まったのだとの逸話がある。そのために、見せしめとして釜茹でにされてしまったというのである。だから、彼は大泥棒などではなく庶民のヒーローたる反逆者であったというのだ。真偽のほどは別として、その絶対権力者に立ち向かった姿には喝采を送ってもいいのではなかろうか。

1強5弱の中で暴走を続ける安倍政権は、あろうことか国費700億円を無駄遣いしてまで大義なき選挙を挙行してしまった。国民愚弄も甚だしいものである。しかるに、暴挙でしかないこの事態に際しても、いまだに40%近い支持を得ているというのだから、私にはとても信じられないことだ。2年前に安倍政権を許して窮地に立たされたはずの国民は、またまた同じ轍を踏もうとしているのだろうか。

戦争をしたいのですか?戦前の日本に戻りたいのですか?この際、しっかりと考えましょうよ!国民の一人一人が、平和のための五右衛門になりましょうよ……。


2013年4月12日金曜日

入学式で右傾化を知る。

(入学式会場-開会前)
孫の入学式に行ってきた。私としては、式というあらゆるものが苦手なので、足を運びたくはなかったのだが、妻の再三の誘いに止むを得ずといったところで出かけた。

 孫の入学する小学校は、東京に隣接する埼玉県の地方都市で開校9年目を迎える新興地の学校である。建物も近代的で、一見学校とは思えないモダンな造りであった。地元では人気の小学校とかで、3クラス90名余りの新入生を迎えたそうだ。

 緊張する孫を見つめながら、私は、数十年ぶりの入学式を楽しもうと、リラックスしていたのだが、式が進行するにしたがって、顔がこわばってくるのを抑えられなくなっていた。ニュースでは知らされていたが、その現場を目のあたりにして、今さらながらに考えさせられてしまったのである。それは、教育現場への右傾化の押しつけが、考えていた以上に浸透していることに気付かされたからである。そして、そのことに参列者のほとんどが気づかず(?)、無関心であるばかりかむしろ当然の事として受け入れている事実に、肌の泡立つ思いさえしてしまった。

 式であるからには、ある程度の厳かさがあってしかるべきだとは思う。しかし、教頭の開会のあいさつから始まった入学式は、校長・教育長・PTA他と順次の登壇でありきたりの歓迎挨拶等で終了し、孫のために喜べるなにものをも感じることができないものであった。むしろ、孫のためには嘆かわしい事実を知らされて、不愉快そのものであったのである。

(お国のために出撃?)
特に、登壇したすべての者の、団中央につるされた国旗への対応には驚かされるものがあった。必要以上の礼拝とも受け取れるその対応は、登壇前の階段下の拝礼に始まり、登壇後の重ねての拝礼、さらに降壇後の再々の拝礼と、拍手を交えればまるで神社における礼拝そのものであって、かっての国家神道への対応を彷彿させるものであった。こうした国旗へのバカげたへりくだりと強制される国歌斉唱とを抱き併せて考えると、歪められた国家観が無言のうちに押しつけられようとしていることは、私にも容易に理解できた。伝聞だけだはなかったのだ。教育現場では、現実に右傾化が進行していたのである。おそらく、国を愛すること、そのための国旗であり国歌であると関連付けて教育しているに違いない。

 そうした日常の教育が入学式にも反映して、登壇者のすべてに何の矛盾も感じずに馬鹿丁寧な拝礼を繰り返させていたのであろうか。恐ろしいことである。その国旗の横に、象徴天皇でない専制天皇やヒトラーの影が見え隠れしていることに早く気付くべきなのだ。かっての日本は、そうした日常教育の中から、戦争への道を突き進み、国民に塗炭の苦しみを味あわせてきた。お国のためにとの合言葉のもとにである…。

 今日の日本は、内外ともに大変な状況におかれている。北朝鮮と中国の軍事圧力や東日本大震災の復興の遅れ、特に原発事故対応への人権無視の無責任な対応と意識的な風化政策、金融大緩和の名目によるお金のバラマキと日本売りの促進等と複雑怪奇な課題に取り囲まれている。こんな時だからこそ注意しなければならないのだ。彼ら(戦争を企てる勢力)にとっては、防衛を名目にして民族意識を駆り立て憲法を改悪して再軍備を計り、経済復興を名目にして増税(軍事費増強)を正当化する絶好のチャンスであるからだ。危険な状況である。国民一人一人が、身近な幸せに酔っている時ではないのである。目覚めよう、今目覚めなければ悔いを残すに違いないのだ。

 入学式で感じた不快感から、話が飛躍してしまったが、私は私たちが今こそ声を上げ行動に移る時だと思っている。たかが国旗への対応ではないかなどと、見過ごしてはならないのである。危険な躍動に対しては、声を大にしてその芽を摘んでしまわなくてはならないと思うのだ。そのことが、愛する孫たちへの果たすべき責任であるのだから…。

 

2012年12月9日日曜日

せっせと歩くぞ!

(嫌々ながら服用している薬)
朝8種類、昼4種類、夜5種類、就寝前1種類と本当に嫌になるぐらい薬を服用している。
血圧の薬、肩の筋肉をほぐす薬、筋肉を保護する薬とビタミン剤、痛み止め、血管の収縮を助ける薬、2種類の胃薬、中性脂肪を抑制する薬等々を半年以上も飲用し続けている。

 その効果がどれほどのものかは自分でも確かめようもないが、手術前後の痛みや辛さを考えると、薬を減らすことが怖くなってしまう。こうした私のような患者が多いのだから、国の医療保険制度が大変なことは、実感としても理解できる。でも、止むを得ないことだと割り切るしかない。あの痛みや辛さは二度と味わいたくないのが本音だからだ。

 そこで、せめてもとリハビリに精を出している。それでも週に2~3回通院しているので、負担もバカにはならず、リハビリだけに頼らずに、自己回復を課題として模索しているところだ。

(妻が買ってくれた図鑑)
その一つとして、ウオーキングを始めた。なるべく手の振りを大きくしながら、小さなリュックを背負って歩き回っている。その動きが肩にも良いようで、気のせいか、はりや凝りが少しは薄れてきたようだ。

 そのウオーキングもただ歩くだけでは味気なかろうと、カメラと花植木の図鑑をリュックに入れ、散策を兼ねたものにした。リハビリと気晴らしを同時にできるのだから、今では結構楽しいスケジュールとなってきてもいる。

 私は、妻と一緒の行動が多く、早歩きの妻に遅れないようにと、せっせと歩いている。万歩計で10,000~12,000歩ぐらいとなると、それなりに運動した実感が湧いてくる。こうすることが、医療制度を支えるささやかな一助になると信じて、せっせと歩き続けようと思っているのだ。

 次の日曜日は、二つの選挙の投票日である。空しさを感じつつも、自分の意思を貫くために投票するつもりだ。結果が予測されても、自分の大切な一票は無駄にはなりはしない、と信じて…。

2012年11月26日月曜日

危惧が現実に?

(孫たちに作ってあげた紙飛行機)
今年の2月に、このブログで、マスコミが無分別に持ち上げていた「維新の会」の動きと、マスコミの対応についての一文を投稿した。そして、その維新を巡っての動きが、日本の右傾化につながるのではとの危惧を訴えた。

 特に、石原前都知事と橋下大阪市長との野合を懸念し、その流れが日本の右傾化を促進し、かっての戦争への道を歩み始めるのではと、その危惧の本質についてを述べた。

 あにはからんやである。その危惧した通りに事態は進行を始めた。自分を暴走老人と評し、尖閣問題や竹島問題を利用して、自衛の名のもとに再軍備の旗を掲げようと都政を投げ出した石原氏。選挙に勝つためには手段や主張もさえあっさりと変えてしまった橋本氏。日本の逆戻りを目指して歩調を合わせるこの危険極まりないコンビが誕生したことで、日本の民主主義は危険に瀕してしまったと、私は恐れにも似た懸念を感じている。

対抗しようとしてか、また一人、変な政治家が復活してしまった。自民党の安倍総裁である。幕末の吉田松陰に自身を重ねて、憂国の志士気取りで再軍備を主張し始めている。かの松陰もびっくりしているに違いない。まったく次から次と理解しがたい政治家が現れるものだ。私は、さきの一文でも述べたが、自分の任務を全うしないでその責任を投げ出す者は大嫌いである。そのような者を信用できないのは当然のことである。名をあげた3名は、その典型である思う。国難だからと主張しているようであるが、私には、彼らこそがさらなる国難をもたらす人たちであると危険視している。

写真は、孫たちと遊んでいる紙飛行機とゴム鉄砲である。私は今度の選挙が、この日本に 本物の戦闘機と鉄砲をもたらし、戦争への道を 開きかねない危険を孕んだ選挙だと受け止めている。だから、声を大にして訴えたい。ムードに流されるな、マスコミに踊らされるな、自分の1票が進路は決めるのだと。

 
(孫たちと遊んでいる木製のゴム鉄砲)
これまで、何度も味わった来たことだが、マスコミのいい加減さには本当にウンザリさせられている。小沢氏の裁判に関しても、ある面では、マスコミが彼を陥れたといってもいいと思う。彼が2年余も日陰の暮らしを余儀なくさせられなかったら、今日の状況がどうなっていたか分からないと思う。私は、小沢氏の支援者ではない。むしろ、その政治家としての手法には反感をさえ覚えている一人である。でも、政敵を倒すための策謀や、マスコミの格好の餌食としてさらされたことに関しては同情を禁じ得ないのである。こうした誤りが、今度の選挙においても繰り返されようとしているのだ。

 有権者のみなさーん、選択を間違わないようにしてくださーい!



 

2011年11月27日日曜日

歳は言い訳、がんばればできる!

 3か月にわたる就活支援講習は、ようやく終わった。
 
 風邪で休んだ何日かを除いては、まじめに通い続けたので、修了証書も無事にもらうことができた。講習でスキルアップの目標としていた、パソコン検定3級と日商簿記3級の試験も何とか受けることができた。パソコン検定の方は本当にギリギリでクリアできた。簿記に関しても、合格発表が12月の22日以降となるのでまだ確定というわけではないが、自分では多分大丈夫だろうと思っている。なにはともあれ、これで一応の目標は達成できたということだ。疲れた、とにかく疲れた。本当に疲れてしまったというのが率直な感想である。でも、その疲れよりも達成感の方が勝っている、というのが正直なところだ。

 就活支援講習は、ハローワーク(厚労省)が、就業促進を目的として民間機関に委嘱している事業で、正式名称は「緊急人材支援事業に基づく基金訓練」で通常は「基金訓練」と呼ばれているようだ。どちらかというと、若い人の就活支援事業といった色合いが強く、私のような高齢者の受講者は少ない。

 私が受講した機関(パソコン教室)も、私が最高齢者で自分でもご隠居さんといった感じがして,はじめのうちは何となく馴染めないものを感じていた。若い人たちに対しての私の固定観念的なものが、自分から入っていくことを躊躇させていたようだ。でも、そんな躊躇もすぐになくなった。学ぶということは、年齢差を感じさせなくするらしい。何のこだわりもなく、話し合えるようになり、居ごごちも悪くはなくなった。年長者である私が、若い人たちから学ぶことも多くなり、そのことへのこだわりも消えて行った。
 
 学んでいく中で、困ったことに直面した。自己流で覚えてきたことの弊害が出てきてしまったのだ。タイピングにその弊害が特に出てしまい、一時は受講の継続を断念しようかとさえ思ったほどだ。指が動かないのである。カナ変換で覚えた指が、ローマ字変換に対応しようとせず、カナからローマ字への変更を拒絶するかのように動いてはくれないのだ。悩んでいる私に、あれこれと励ましてくれたのは、若い人たちであり、熟練した講師陣であった。とにかく、繰り返しの練習でしか解決できないことを肌で感じたので、ガムシャラにキーを打ち続けることにして、朝晩の区別なく取り組んでみた。

 5分間で300文字(日本語)を入力できなければ、3級の合格ラインには届かない。私の当初の入力数は220~230文字ぐらいであったが、努力の成果が出て受験した時には、315文字を入力させることができた。ギリギリではあったが、何とかクリアできたのである。その時には、思わずガッツポーズが出てしまい、合格できた嬉しさに小躍りしたい気分であった。学科の方は、カタカナだらけの専門用語に悩まされはしたが、タイピングほどの苦労もなくクリアすることができた。何十年かぶりかの試験であり合格であったので、喜びもひとしおである。

 学習院大学での簿記試験は、練習していた問題とは違った傾向のものが出題されたので、少しドギマギとしたが、何とかクリアできたと思っている。この簿記問題は、自宅でも毎日2~3時間は勉強をしていたが、模擬試験などではいつも合格ギリギリの線で推移していたのでひやひやものであった。でも、本試験では割合に落ちついた対応ができ、自分では満足できる内容であったと思っているので、多分大丈夫だと思う。

 歳だから、もう勉強なんて無理かな? と、途中でこの受講を諦めかけたこともあったけど、なせばなるのである。司法書士とか税理士とかのレベルではないにしても、歳だなんて言い訳しないで頑張れば、ある程度のことはクリアできるということだ。そう、歳は言い訳にすぎない、頑張ればできるのだから-----。