2010年8月17日火曜日

パンフに一言

 8/13日~8/16日まで帰省した。
 例年のごとく、渋滞覚悟の帰省であったが、予想外のことにたいした渋滞もなく、ひょうしぬけした感じであった。私の郷里は東北の会津なので、通常であれば、東北道の郡山ジャンクションから磐越道に入り会津若松インターで下りる。その日はあまりに順調だったので、白河で下りて、平成21年に開通したばかりの、甲子温泉(トンネル)経由下郷町ルートを選んだ。

 紅葉の時期には、さぞかし絶景だろうと思われるラインを走行して、途中にあった[道の駅下郷]に立ち寄った。まだできたての道の駅は、とても感じがよく帰りにも立ち寄ろうと思ったほどである。町をあげて取り組んでいる様子が見られ、地方の頑張りが感じられて、なんとなく嬉しかった。

 その道の駅で、観光案内のパンフを配布している人たちがいた。下郷町の人たちではなく、私の郷里の人たちで、宣伝のために道の駅の一角を借りているようであった。手渡されたパンフには、私の知らない名所旧跡や飲食店等が案内図入りで紹介されていたので、郷里の頑張りや懐かしさを感じながら見入ってしまった。写真は、そのパンフで知って訪れた、[左下り観音堂]回廊からの眺望とその3階建ての骨組みである。郷里の知らない部分を知ることは、とても嬉しいことである。こんなところに、こんなすばらしい文化財があったとは……。急坂はきつかったが、喜びはひとしおであった。

 嬉しい反面、眉をひそめたこともあった。私は、食事をとるために妻と一緒に、パンフで紹介されていた飲食店を訪れた。郷里のことであるから、知っているところではなく、わざと知らない店舗を選んだ。1日目は、ラーメンを食べたかったので、ある飲食店に決めて訪れた。ところが、探しても見つからないのである。看板も見当たらなかったので、見当をつけたあたりで聞いて、ようやく見つけた。
ラーメンは、そこそこに美味しかったので、パンフへの不満は半減したが、しっくりはしなかった。
 2日目は、日本そばが食べたかったので、やはりパンフを頼りに探したが、なかなか探し出せなかった。漸く見つけたお店は、お世辞にも食欲を掻き立てるようなお店ではなかった。出前が中心だとかで、食べることを躊躇させる雑然とした店内は、衛生的にもどうかと疑わざるを得なかった。それでも、隠れた名店もあるのではと、覚悟を決めて注文したが、素人料理の範疇でしかなくガッカリしてしまった。

 2日続けての不首尾に、私と妻はパンフへの疑問を持たざるを得なかった。自分の郷里でのことだけに、なにか裏切られたような思いで、嫌な感じであった。地元出身の私でさえこう感じるのだから、パンフを頼りに期待して訪れる人たちは、ガッカリするだけでなく怒りも感じるに違いないと思う。パンフが町に寄与するのではなく、逆効果をもたらすのではと、私は懸念して止まないのである。本来なら、誇らしげに郷里の名前を出したいのだが、とても出せるものではないので残念でたまらない。

 私に、こうした情けない思いをさせたパンフの作成者には、具体例を示して抗議したい。愛する郷里のためにも、必ず抗議する。町は、パンフなどの作成に当たっては、その内容を十分に検討して欲しい。紹介するのであれば、紹介するものされるもの双方に、責任を持って欲しい。パンフは私文書ではなく、公的なものであることを、肝に銘じて欲しいものだ。

 

 
  

2010年8月6日金曜日

杉並のタヌキ

 深夜、中央線西荻駅から、荻窪駅北口近くに進行中のことであった。杉並区上荻1丁目の住宅地を走行していると、垣根から目の前に2匹の動物が飛び出してきた。まるまるとした体型の狸であった。つがいの様子で慌てる風もなく、ヘッドライトの前を少し走ってから、別の垣根に潜り込んでいった。その、なんとも悠然とした姿がおかしくて、「態度のでかいタヌ公ですね、あれは夫婦ですよきっと。」「そうですねえ、誰か餌付けでもしてるんでしょうかねえ。」「善福寺公園から、川の中をあるいてきたんでしょうか。」…タヌ公のおかげで、お客さんとの会話は楽しいものとなった。タヌ公は、ほのぼのとした何かを与えてくれ、嬉しくさせてくれた。

 10日ほど前には、子ダヌキがピョンコピョンコと車を案内するかのように走るので、「こらこら、危ないよ。早くどいて、どいてくれなちゃぶつかっちゃうよ。」と、窓を開けて声をだしながら運転した。善福寺川公園と五日市街道が交差するあたりである。街道から少し入った杉並区成田西の住宅街で、やはり深夜のことであった。子ダヌキが、ふりかえりながら走るさまは、本当に可愛いものである。帰宅してから妻に話すと、「猫か犬を見間違えたんじゃないの?」と素っ気なくあしらわれてしまった。あれは間違いなく子ダヌキなの、絶対にタヌキだったの!……ここまでは7月の話

 8月5日に、小2の孫娘『花音』を連れて、井の頭恩賜公園に行ってきた。阿佐ヶ谷の七夕祭りを見に行ったついでに立ち寄ったのである。ボートに乗りたいというので、安全を考えて、スワン型の足こぎボートにした。池の上は、そよ風が吹いていてとても気持ちがよかった、と言いたいところであるが、何とも言えない独特な臭いには閉口した。池の水が、腐っているのである。釣堀で嗅がされる、練り餌の臭いと水の腐った臭いとが混じりあったような、あの臭いである。恩賜公園というのであれば、もう少し、池の浄化に心して欲しいと思う。せっかくの孫娘とのデートが、台無しになるところであった。それに、臭いに閉口して早めに上がったので、せっかくの水上景観を楽しめなかったのは残念である。

 公園に併設されている、井の頭自然文化園にも行ってきた。小動物園を兼ねた遊園地といったところで、未就学児あたりに向いているようである。孫娘はそれなりに喜んでいたが、私は暑さに辟易して、日陰を探して歩いていた。小動物園の一画に、アライグマやタヌキ、キツネのコーナーがあった。暑さのせいかそれとも夜行性であるためか、いずれの動物も元気がなく片隅に寄り添っていた。本土狸と表示されていたタヌキたちも、やはりひっそりと寄り添っていた。

 私は、タクシー乗務中に出会ったあの『タヌ公夫婦』や『子ダヌキ』を想いだしていた。あの時の姿には、愛嬌や微笑ましさが感じられたのに、ここでは何の感慨も得られなかった。杉並のタヌキたちには生き生きとした躍動感を感じたのに、ここでは虚脱感のような気だるいものしか感じられなかった。単に暑さのせいだけではなかったと思う。この違いは、理屈ではなく生き抜いているものと、生かされているものとの違いを知らされた、と言うことではなかろうか。そして、彼らの生き抜くたくましさや必死さが、私に愛嬌や微笑ましさを感じさせ、その出会いを喜ばしい出来事と感じさせてくれたのだろう。……と思う。

 ……暑さのせいで、考え過ぎかな?……ともかく、「杉並のタヌキがんばれ!」……である。