例年のごとく、渋滞覚悟の帰省であったが、予想外のことにたいした渋滞もなく、ひょうしぬけした感じであった。私の郷里は東北の会津なので、通常であれば、東北道の郡山ジャンクションから磐越道に入り会津若松インターで下りる。その日はあまりに順調だったので、白河で下りて、平成21年に開通したばかりの、甲子温泉(トンネル)経由下郷町ルートを選んだ。
紅葉の時期には、さぞかし絶景だろうと思われるラインを走行して、途中にあった[道の駅下郷]に立ち寄った。まだできたての道の駅は、とても感じがよく帰りにも立ち寄ろうと思ったほどである。町をあげて取り組んでいる様子が見られ、地方の頑張りが感じられて、なんとなく嬉しかった。
その道の駅で、観光案内のパンフを配布している人たちがいた。下郷町の人たちではなく、私の郷里の人たちで、宣伝のために道の駅の一角を借りているようであった。手渡されたパンフには、私の知らない名所旧跡や飲食店等が案内図入りで紹介されていたので、郷里の頑張りや懐かしさを感じながら見入ってしまった。写真は、そのパンフで知って訪れた、[左下り観音堂]回廊からの眺望とその3階建ての骨組みである。郷里の知らない部分を知ることは、とても嬉しいことである。こんなところに、こんなすばらしい文化財があったとは……。急坂はきつかったが、喜びはひとしおであった。
嬉しい反面、眉をひそめたこともあった。私は、食事をとるために妻と一緒に、パンフで紹介されていた飲食店を訪れた。郷里のことであるから、知っているところではなく、わざと知らない店舗を選んだ。1日目は、ラーメンを食べたかったので、ある飲食店に決めて訪れた。ところが、探しても見つからないのである。看板も見当たらなかったので、見当をつけたあたりで聞いて、ようやく見つけた。
ラーメンは、そこそこに美味しかったので、パンフへの不満は半減したが、しっくりはしなかった。
2日目は、日本そばが食べたかったので、やはりパンフを頼りに探したが、なかなか探し出せなかった。漸く見つけたお店は、お世辞にも食欲を掻き立てるようなお店ではなかった。出前が中心だとかで、食べることを躊躇させる雑然とした店内は、衛生的にもどうかと疑わざるを得なかった。それでも、隠れた名店もあるのではと、覚悟を決めて注文したが、素人料理の範疇でしかなくガッカリしてしまった。
2日続けての不首尾に、私と妻はパンフへの疑問を持たざるを得なかった。自分の郷里でのことだけに、なにか裏切られたような思いで、嫌な感じであった。地元出身の私でさえこう感じるのだから、パンフを頼りに期待して訪れる人たちは、ガッカリするだけでなく怒りも感じるに違いないと思う。パンフが町に寄与するのではなく、逆効果をもたらすのではと、私は懸念して止まないのである。本来なら、誇らしげに郷里の名前を出したいのだが、とても出せるものではないので残念でたまらない。
私に、こうした情けない思いをさせたパンフの作成者には、具体例を示して抗議したい。愛する郷里のためにも、必ず抗議する。町は、パンフなどの作成に当たっては、その内容を十分に検討して欲しい。紹介するのであれば、紹介するものされるもの双方に、責任を持って欲しい。パンフは私文書ではなく、公的なものであることを、肝に銘じて欲しいものだ。