(写真の花は義兄からの転居祝いの花) |
昨年来体調が思わしくないせいか、私の対孫感情が変わってきているようだ。孫に会ったからと言って、前のように無条件に嬉しいということが少なくなってきたのだ。会えない期間が少しでも長くなると、ソワソワしだして電話をかけてしまう等ということもなくなった。
もちろん孫たちの成長につれて、孫たちが自我に目覚めじいちゃん(私)の思うに任せなくなったということもあるのだが、とにかく、孫たちと接していてうるさいと思うようになったり、煩わしいと感じたりするようになったのは事実である。自他共に認めるじじバカの私に、こうした感情が生まれようとは思いもしなかったことだ。やはり、体調不良で疲れているのだろうか。引っ越しによって、面倒くさいという思いは一段と強くなっており、装いなった住居への孫たちの訪れも心はずものではなく、むしろ鬱陶しくさえもある。
かと言って、孫たちが来ると、一緒になって真剣に遊び、一緒に疲れ果てているのは変わりのないことである。だから、嬉しいということには変わりはないのだと思う。嬉しいけれど、何かが違ってきているということであるようだ。成長している孫たちの進歩と、旧態依然としている私の対孫感情にズレが生じてきて、そのズレの克服が出来ないことがかかる心の変化を生み出した、ということになるのであろうか。
最近では、孫たちを叱ることも増えてきた。優しいばかりのじいちゃんではなくなっているのだ。しかる材料となる孫たちの行為が目につくようになって、些細なことと知りつつもついつい叱ってしまっている。郷里の教えではないが「ならぬことはならぬ」と、しかりとばしてしまうのだ。孫たちにとっては、優しいはずのじいちゃんの大変貌といったところであろうか。ときには、ゴツンとやられて、びっくりした顔をして泣き出すこともある。じいちゃん、どうしてしかるのって!抗議の目を向けられることもある。
困ったものだ。孫たちのせいにしているが、変わりつつあるのは自分(じいちゃん)である事を誰よりも知っているくせに。素直になれない、困ったじじいではある。そんなことでは、孫たちに嫌われてしまうよ!「孫来て嬉し帰ってなお嬉し」なんてことは、まだまだ自分は孫たちに好かれているという自惚れが言わせていることで、孫たちともっともっと触れ合っていたい願望の裏返しでもあることを、素直に知るべきじゃないかな? …理屈やで素直でないおじいちゃん…自分を知りなさい。本当に「…帰ってなお嬉し」なの?………。