(東京北区の旧岩淵水門) |
私は、初めて行ったのだが、それなりに環境整備がなされており、その独特の風情と併せるとなかなかの行楽スポットとして楽しめそうであった。訪れた時には、あちこちに釣り人の姿も見られ、話を聞くと、釣り場としても知られているとのことで、週末には子連れの釣り人で賑わっているとのことでもあった。釣り好きの私には、願ってもない場所となりそうである。「このポイントで、昨日(3/11)は、75センチぐらいの鯉をあげたよ。」なんて話を聞くと、次回には釣竿を持ってこなくちゃと、思わざるを得ない。ハゼは12月ぐらいまで、セイゴは年中釣れるとのことも聞かされたので、再度の訪れは決まったようなものだ。但し、同行した妻からは、「釣りだったら、一人で来てね。」と冷たいお言葉を賜ってしまったが…。
昨日の3月11日は、「東日本大震災から2年を経過した日」である。岩淵の赤い水門を見つめながらあの日のことを思い出してしまった。テレビ映像に映し出されていたあの破壊つくされた津波防御壁をの様子が、目の前の赤水門と重なってしまい、自然の恐ろしさに今更ながら震える思いがしてならなかった。昨日は、各局共に、あの震災の特集番組を組んでいた。原発事故やあの大震災の風化をもくろむ風潮への、一石を投じたことになったので、とても有意義なことであったと思う。
(春を告げる白木蓮が咲き始めた) |
私は、郷里が福島であることもあるせいか、震災後の政府対応や政治家達の無神経さには、心からの腹立たしさを感じている一人である。原発を再開させるかどうかを巡っての会合に出席した福島県知事が、被災者に対してのそのあまりなまでの無神経さに憤って、席を立ってしまったとの記事に触れて、当然だとの思いで一杯であった。が、その続きの記事を目にしたときには、愕然としてしまった。あろうことか、その同じ会合で、再開の方向が出たとして、歓迎する拍手が湧き起ったというのである。現場対応に心血を注いでいる福島県知事の抗議の退場を慮りもせず、党利党略のみから原発再開の歓迎の拍手をするなど、人間としての資格をさえ問いただしたい思いである。恥を知れ!である。
その拍手が、先の総選挙の結果から生み出されたもので、自民党や保守勢力の驕りから出たものであることを、私たちは見逃すべきではない。恥ずべき選択であったことを、思い知るべきなのである。昨今の株価の動きなどから、景気回復云々と騒がれているが、煽り立てられたムードは、その本質と関係なく一時的な現象をもたらすものである、ということを忘れてはならない。そして思いもかけないしっぺ返しが待っているのだとも、忘れてはならないことである。ご用心ご用心なのだ…。
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