(入学式会場-開会前) |
孫の入学する小学校は、東京に隣接する埼玉県の地方都市で開校9年目を迎える新興地の学校である。建物も近代的で、一見学校とは思えないモダンな造りであった。地元では人気の小学校とかで、3クラス90名余りの新入生を迎えたそうだ。
緊張する孫を見つめながら、私は、数十年ぶりの入学式を楽しもうと、リラックスしていたのだが、式が進行するにしたがって、顔がこわばってくるのを抑えられなくなっていた。ニュースでは知らされていたが、その現場を目のあたりにして、今さらながらに考えさせられてしまったのである。それは、教育現場への右傾化の押しつけが、考えていた以上に浸透していることに気付かされたからである。そして、そのことに参列者のほとんどが気づかず(?)、無関心であるばかりかむしろ当然の事として受け入れている事実に、肌の泡立つ思いさえしてしまった。
式であるからには、ある程度の厳かさがあってしかるべきだとは思う。しかし、教頭の開会のあいさつから始まった入学式は、校長・教育長・PTA他と順次の登壇でありきたりの歓迎挨拶等で終了し、孫のために喜べるなにものをも感じることができないものであった。むしろ、孫のためには嘆かわしい事実を知らされて、不愉快そのものであったのである。
(お国のために出撃?) |
そうした日常の教育が入学式にも反映して、登壇者のすべてに何の矛盾も感じずに馬鹿丁寧な拝礼を繰り返させていたのであろうか。恐ろしいことである。その国旗の横に、象徴天皇でない専制天皇やヒトラーの影が見え隠れしていることに早く気付くべきなのだ。かっての日本は、そうした日常教育の中から、戦争への道を突き進み、国民に塗炭の苦しみを味あわせてきた。お国のためにとの合言葉のもとにである…。
今日の日本は、内外ともに大変な状況におかれている。北朝鮮と中国の軍事圧力や東日本大震災の復興の遅れ、特に原発事故対応への人権無視の無責任な対応と意識的な風化政策、金融大緩和の名目によるお金のバラマキと日本売りの促進等と複雑怪奇な課題に取り囲まれている。こんな時だからこそ注意しなければならないのだ。彼ら(戦争を企てる勢力)にとっては、防衛を名目にして民族意識を駆り立て憲法を改悪して再軍備を計り、経済復興を名目にして増税(軍事費増強)を正当化する絶好のチャンスであるからだ。危険な状況である。国民一人一人が、身近な幸せに酔っている時ではないのである。目覚めよう、今目覚めなければ悔いを残すに違いないのだ。
入学式で感じた不快感から、話が飛躍してしまったが、私は私たちが今こそ声を上げ行動に移る時だと思っている。たかが国旗への対応ではないかなどと、見過ごしてはならないのである。危険な躍動に対しては、声を大にしてその芽を摘んでしまわなくてはならないと思うのだ。そのことが、愛する孫たちへの果たすべき責任であるのだから…。