2013年4月12日金曜日

入学式で右傾化を知る。

(入学式会場-開会前)
孫の入学式に行ってきた。私としては、式というあらゆるものが苦手なので、足を運びたくはなかったのだが、妻の再三の誘いに止むを得ずといったところで出かけた。

 孫の入学する小学校は、東京に隣接する埼玉県の地方都市で開校9年目を迎える新興地の学校である。建物も近代的で、一見学校とは思えないモダンな造りであった。地元では人気の小学校とかで、3クラス90名余りの新入生を迎えたそうだ。

 緊張する孫を見つめながら、私は、数十年ぶりの入学式を楽しもうと、リラックスしていたのだが、式が進行するにしたがって、顔がこわばってくるのを抑えられなくなっていた。ニュースでは知らされていたが、その現場を目のあたりにして、今さらながらに考えさせられてしまったのである。それは、教育現場への右傾化の押しつけが、考えていた以上に浸透していることに気付かされたからである。そして、そのことに参列者のほとんどが気づかず(?)、無関心であるばかりかむしろ当然の事として受け入れている事実に、肌の泡立つ思いさえしてしまった。

 式であるからには、ある程度の厳かさがあってしかるべきだとは思う。しかし、教頭の開会のあいさつから始まった入学式は、校長・教育長・PTA他と順次の登壇でありきたりの歓迎挨拶等で終了し、孫のために喜べるなにものをも感じることができないものであった。むしろ、孫のためには嘆かわしい事実を知らされて、不愉快そのものであったのである。

(お国のために出撃?)
特に、登壇したすべての者の、団中央につるされた国旗への対応には驚かされるものがあった。必要以上の礼拝とも受け取れるその対応は、登壇前の階段下の拝礼に始まり、登壇後の重ねての拝礼、さらに降壇後の再々の拝礼と、拍手を交えればまるで神社における礼拝そのものであって、かっての国家神道への対応を彷彿させるものであった。こうした国旗へのバカげたへりくだりと強制される国歌斉唱とを抱き併せて考えると、歪められた国家観が無言のうちに押しつけられようとしていることは、私にも容易に理解できた。伝聞だけだはなかったのだ。教育現場では、現実に右傾化が進行していたのである。おそらく、国を愛すること、そのための国旗であり国歌であると関連付けて教育しているに違いない。

 そうした日常の教育が入学式にも反映して、登壇者のすべてに何の矛盾も感じずに馬鹿丁寧な拝礼を繰り返させていたのであろうか。恐ろしいことである。その国旗の横に、象徴天皇でない専制天皇やヒトラーの影が見え隠れしていることに早く気付くべきなのだ。かっての日本は、そうした日常教育の中から、戦争への道を突き進み、国民に塗炭の苦しみを味あわせてきた。お国のためにとの合言葉のもとにである…。

 今日の日本は、内外ともに大変な状況におかれている。北朝鮮と中国の軍事圧力や東日本大震災の復興の遅れ、特に原発事故対応への人権無視の無責任な対応と意識的な風化政策、金融大緩和の名目によるお金のバラマキと日本売りの促進等と複雑怪奇な課題に取り囲まれている。こんな時だからこそ注意しなければならないのだ。彼ら(戦争を企てる勢力)にとっては、防衛を名目にして民族意識を駆り立て憲法を改悪して再軍備を計り、経済復興を名目にして増税(軍事費増強)を正当化する絶好のチャンスであるからだ。危険な状況である。国民一人一人が、身近な幸せに酔っている時ではないのである。目覚めよう、今目覚めなければ悔いを残すに違いないのだ。

 入学式で感じた不快感から、話が飛躍してしまったが、私は私たちが今こそ声を上げ行動に移る時だと思っている。たかが国旗への対応ではないかなどと、見過ごしてはならないのである。危険な躍動に対しては、声を大にしてその芽を摘んでしまわなくてはならないと思うのだ。そのことが、愛する孫たちへの果たすべき責任であるのだから…。

 

2013年4月10日水曜日

孫を歴女に!

(満開の桜が美しい埼玉古墳公園-丸墓山)
一番上の孫を連れて、埼玉県行田市の埼玉古墳公園に出かけてきた。小5になる孫娘に願わくば将来の歴女を期待してのことであったが、果たして期待通りとなるかどうかは疑問かな?といったところだ。

 私がこの公園を訪れるのは、20数年ぶりのことである。平成3~4年頃に深谷市にいたおりに行ったのが最後で、古墳公園としての環境整備は予想以上で驚かされた。整備されすぎて、古代を偲ぶのにはいささかと惑いを感じさせられる変わりようであった。周辺一帯も公園化されており、田んぼや畑の中の遺跡群といったイメージはなくなっていた。稲荷山古墳のごときは、かっての面影をなくして復元されてもいた。率直に言って少し公園化を計りすぎたきらいがある。欲を言えば、懐かしさを感じさせて欲しかったのであるが…。

 とは言えここの古墳群は、我々に、この国の成り立ちを考えさせるには申し分のない遺跡ではある。それだけの資料を十分に埋蔵していた遺跡であるのだ。稲荷山古墳から出土した、国宝となっている金象嵌の鉄剣などはその最たるもので、中央(ヤマト王権)から遙かなこの地に、これらの古墳を築いた強力な権力者が存在していた事実を教えてくれている。詳細は語らないが、紀元470年頃に、ヤマト王権?の雄略大王が存在し、その大王に仕えたオワケの君という豪族(権力者)がその記念として金象嵌の鉄剣を作ったと、記している。

(稲荷山古墳から出土した金象嵌の鉄剣)
雄略大王(天皇)というと、神話から歴史の世界に踏み出して間もない時代の権力者である。中国への朝貢も知られており、その後ろ盾によって倭国(日本)を代表する権力者(大王)と認められている?人物でもある。俗に、倭の5王と呼ばれている、我が国の黎明期の大王の一人でもあるのだ。その歴史上の人物との繋がりが証明されたのだから、この遺跡の価値はとても計り知れないものである。もっともっと足を運ばなくちゃ…。

 このようなことを、私は孫と語り合いたので、歴女への期待を高めているのだが、広々とした公園や満開の桜の方が嬉しいらしく、あと何年かかるやらとため息が出るばかりである。小5じゃしかたがないのかな…。娘からは、自分の趣味を孫に押し付けないでと、念を押されてはいるのだが、耳をかさずに連れ出すつもりの歴爺なのだ。あきらめないぞ!