2013年4月10日水曜日

孫を歴女に!

(満開の桜が美しい埼玉古墳公園-丸墓山)
一番上の孫を連れて、埼玉県行田市の埼玉古墳公園に出かけてきた。小5になる孫娘に願わくば将来の歴女を期待してのことであったが、果たして期待通りとなるかどうかは疑問かな?といったところだ。

 私がこの公園を訪れるのは、20数年ぶりのことである。平成3~4年頃に深谷市にいたおりに行ったのが最後で、古墳公園としての環境整備は予想以上で驚かされた。整備されすぎて、古代を偲ぶのにはいささかと惑いを感じさせられる変わりようであった。周辺一帯も公園化されており、田んぼや畑の中の遺跡群といったイメージはなくなっていた。稲荷山古墳のごときは、かっての面影をなくして復元されてもいた。率直に言って少し公園化を計りすぎたきらいがある。欲を言えば、懐かしさを感じさせて欲しかったのであるが…。

 とは言えここの古墳群は、我々に、この国の成り立ちを考えさせるには申し分のない遺跡ではある。それだけの資料を十分に埋蔵していた遺跡であるのだ。稲荷山古墳から出土した、国宝となっている金象嵌の鉄剣などはその最たるもので、中央(ヤマト王権)から遙かなこの地に、これらの古墳を築いた強力な権力者が存在していた事実を教えてくれている。詳細は語らないが、紀元470年頃に、ヤマト王権?の雄略大王が存在し、その大王に仕えたオワケの君という豪族(権力者)がその記念として金象嵌の鉄剣を作ったと、記している。

(稲荷山古墳から出土した金象嵌の鉄剣)
雄略大王(天皇)というと、神話から歴史の世界に踏み出して間もない時代の権力者である。中国への朝貢も知られており、その後ろ盾によって倭国(日本)を代表する権力者(大王)と認められている?人物でもある。俗に、倭の5王と呼ばれている、我が国の黎明期の大王の一人でもあるのだ。その歴史上の人物との繋がりが証明されたのだから、この遺跡の価値はとても計り知れないものである。もっともっと足を運ばなくちゃ…。

 このようなことを、私は孫と語り合いたので、歴女への期待を高めているのだが、広々とした公園や満開の桜の方が嬉しいらしく、あと何年かかるやらとため息が出るばかりである。小5じゃしかたがないのかな…。娘からは、自分の趣味を孫に押し付けないでと、念を押されてはいるのだが、耳をかさずに連れ出すつもりの歴爺なのだ。あきらめないぞ! 

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