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(元旦の七福神-東京大仏にて) |
平成26年は、寒いながらも穏やかな日差しの下で幕を開けた。
私たち夫婦は、例年通り東京大仏で初詣を済ませた。昼時ということもあってか、人ごみはさほどでもなかった。
今年は、妻がひざを痛めて久しいので、神頼みとばかりに、境内の七福神にも詣でたが、果たして霊験あらたかとなるかどうか。とにかく、少しでも痛みが薄らぐことを願うばかりである。にわか信心で虫のよいことではあるが、願わずにはいられない昨今であったのだ。
この投稿まで、半年近くの間が開いてしまった。先の投稿もやはり、数か月の間をあけてしまったが、別に投稿が億劫になったというわけではない。むしろ、投稿して、自分なりにメッセージを発信しなくてはと焦っていたというのが正直なところであるのだ。
この間の私は、66才の全力?を、小中学時代の同級会(同期会)開催のために注いでいたのである。昨年(鬼怒川開催)は、単なる参加者であったが、今回は幹事として初めての連年開催という課題に挑戦していたのだ。もちろん、幹事は一人だけではなかったが、部落(地区)の出身者7名とともに、あれこれと知恵を絞り合っての準備活動は、久しぶりにやりがいを感じさせるものであった。中学卒業以来50年余を経た交流は、心浮き立つものでさえあった。
仲間との努力の甲斐もあって、同級生の半数近くが1泊2日のマイクロバス旅行に参加して、修学旅行気分を味わうことができ、同級会は大成功であった。記念のDVDを作ったりして、同級生50数名とのコンタクトもとれ、私自身にとってはとても有意義な期間であったと思っている。
しかし、こうした私の個人的な喜びを暗澹とさせる事態が、いやおうもなく眼前に迫ってきたことで、その私の喜びも半減させられてしまった。
私は、このブログを通じて、日本の右傾化についての不安を繰り返し訴えてきた。そして、その不安に対しての自分なりの対応ができていないことにも悩んできた。
こんな私を置き去りにして、アベノミクスなる経済政策?を隠れみのとした強引な右傾化誘導は、私の予想をはるかにしのぐ勢いで実行されつつある。秘密保護法しかり、安全保障問題しかり、原発再開問題しかり、中韓外交の悪化を招く靖国参拝しかりと、もはや歯止めは効かないのではとの疑念をさえ覚えてしまうほどだ。
あまつさえ、都知事の不祥事からの政治動向を、小泉やら細川やらの曖昧勢力に利用されかねない事態も発生している。彼らは、一面、独走する自民への警鐘をならすかのような装いも見せているが、私には、 安倍内閣・自民党の軍国化への逆戻りを、反原発の名目をもってベールをかぶせてしまう補完勢力としてしか映らない。アジテーターのアジテーターとしての本質が見えるように思われてならないのだが、いかがなものであろうか?
ご用心ご用心である……。
警鐘を連打させなければならない事態なのだから……。