今日、平成24年3月11日は、あの東日本大震災から3年が経過した日である。2~3日前から、あの時の生々しい被災映像を繰り返し流しながら、この3年間の歩みについてを、特別番組として各局が報道している。そのいづれもが、真剣に真面目に取り上げていることを感じることができて、ホッとした思いだ。今日も又、終日、内容の濃い報道がなされており、日頃はマスコミに批判的な私も、マスコミの良心に触れた思いで素直に喜んでいる。
(復活して咲き誇るアンジェリカ) |
質問者が、福島の現状が決して好転していないことを、資料をもって説明しているにもかかわらず、又、政府の原子力安全に関しての諮問委員会(原子力規制委員会)の委員長が、「安全宣言できる立場にない」として安全宣言をしようとしないでいるのに、「世界一厳しい審査基準で臨んでいる」などと詭弁を弄していた安倍総理や担当大臣は、相変わらず、原発再稼働まっしぐらという対応に凝り固まっていた。もはや正常であるとは言い難い痼疾ぶりだ。国民でなく誰の代弁をしようとしているのか、と、疑わざるを得ない在り様である。
「アンケートによる被災者の要望をとりあげたので、復興対応策には問題はないと考える」とか、「何度も足を運んでいるので、現地の要望は理解しているつもり」などと答える民放での政府関係者達からは、形式を整えようとする姿や、体裁やメンツを保とうとする姿が見え見えで、恥ずかしくさえ感じられた。「現地の要望と違った対応をしている」「もっと、現地を理解してほしい」といった地元からの切実な訴えとの甚だしい乖離を感じたのは、私だけでけではなかった筈と思う。
今日の政府主催の「被災者慰霊祭」でも、天皇の被災者を思いやる誠意ある姿勢に比して、安倍総理の原発問題に触れまいとする逃げの姿勢には、情けなさを通り越してあきれかえる思いでたまらなかった。私にはあの姿勢からは、かっての中身のなかった“美しい国日本”のスローガンと、同様のことが連想できるのだが、いかがなものであろうか。復興は進んでいる、原発事故の対応は改善されているなどと、一国の総理たるものが白々しく言明するなど、あってはならないことだと私は思っている。今、何が一番大事なのかを真面目に考えろ!である。
支持率に支えられていると言われる安倍内閣ではあるが、「驕る平家は久しからずや」ということを忘れないでほしい。いつまでも国民を欺けるとは思わないことだ……。
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