(ハウステンボスの一景 4/6) |
いろいろな出来事が多すぎて、旅行どころではなかったのだが、60も半ばを過ぎたところでようやくといったところだ。
といって、この安らぎが私の手によってもたらされたものではないのが残念ではある。そのすべてが、妻のコツコツとした努力の賜物であるので、私としてはただただ頭を下げるのみである。
本当にありがとう……としか言いようがない。
(吉野ヶ里の復元住居群 4/7) |
今度の旅行は、2泊三日という限られた中で、あれもこれもと欲張った慌ただしい日程となってしまった。旅行社のフリープランツアーということだったので、行動範囲を広げるためにレンタカーを使用しての計画を立てた。加えて、妻の要望があれこれと出されるに及んでは、お世話になる身?の私としてはその実現を目指すべく、強行軍もやむなしの計画とせざるを得なかったのである。
(グラバー亭公園からの展望 4/7) |
(長崎の平和公園記念像 4/7) |
(雲仙温泉地獄谷 4/8) |
旅行の目的でもあり期待したイルミネーション・特に3Dを駆使した企画には圧倒され大いに楽しむことができた。一度は倒産の憂き身を味わったハウステンボスだけに、その企業努力の必死さが伝わってきて感動をすら覚えた。事業の失敗から立ち直れないままになっている私にとっては、その立ち直りが大きな励ましともなってくれた。努力なくして再生なしという現実を見せつけられた思いである。
邪馬台国を連想させる「吉野ヶ里の歴史公園」は、その遺跡の広大さからも、古代の村(クニ)を偲ぶのには十分なもので、この旅行中最も満足のできたところであった。建物などの復元が過ぎるきらいもあったが、弥生社会が想像できる遺跡としては申し分がなく、散策時間の足らなさが恨めしい限りであった。
グラバー亭公園は、かって明治維新において賊軍とされた「会津」出身の私にとっては、複雑な心境での見学となってしまった。偏狭的な考えではあるのだが、どうしても【死の商人】としてのイメージが強すぎて、近代日本への貢献という側面では見学できなかった。反省しなければならないとは思っているのだが…。
平和記念公園には訪れる人が少ないのか、人影がまばらであった。私達は、この惨劇をもたらした戦争を再び起こしてはならないとの願いを込めて、祈りをささげた。忘れ去ってはならない記憶なのである。原爆資料館には、多くの外国人も訪れていて、平和の希求がグローバルなものであることを実感した。
世界の三大夜景になったとかで浮かれることなく、平和都市長崎としての発展を願ってやまないところである。
雲仙温泉は、奈良時代の701年に【行基】によって開湯されたものだと、ホテルの若旦那?に教えてもらった。早朝にヘルシー散策だとして周辺を案内してもらった中で教えてもらったのだが、さびれゆく観光地の再発展を模索してのこうした努力が、大きな成果につながることを心から期待している。若旦那ガンバレである。
もっともっと、あちこちと周りたかったが、私達の慌ただしい旅は、とにかく無事に終わった。機会があれば、次回はもっとゆったりとした旅にしたいものである。
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