2010年6月10日木曜日

" 奇兵隊内閣 " ?

 会津出身の私だからと言って,長州出身の新総理に特別の感情移入はないが、それにしても「奇兵隊内閣」とは驚きである。高杉晋作の奇兵隊は、藩内閣に対してのクーデター部隊であって、日本における革命部隊ではなかった筈…。とは言え、結果としてその後の経過の中で、明治維新の大きな原動力となったことも事実だが…。

 高杉の奇兵隊は、その構成メンバーが従来の武士階級中心から、農民・町人・職人・浪人・神主・相撲取り等々を加えた常識はずれの部隊であり、当時の正義(尊皇攘夷)思想で組織された特異で奇妙な部隊であった。隊は、そのためもあってか「奇兵隊」と名乗って藩の保守(左幕)勢力と戦い、勝利してその勢力を一掃し藩の中心部隊に成り上がる。その後、第二次長州征伐で幕府に勝利し、鳥羽伏見の戦いを経て、戊辰戦争の中心的存在となった。

 慌しく成り上がった隊の急造幹部は、官軍(?)の幹部としても各地に派遣され、その無能ぶりのために多くの無益な戦いを仕掛けて人民を苦しめた。特に、わが会津も含めた奥羽越地方の被害は甚だしいもので、その差別的政策によって長期間苦しめられ、100年にも及ぶ怨念を残すこととなった。

 すでに死語となっていたはずの「薩摩と和すとも長州とは和さず」との会津の怨恨は、取りざたされる「奇兵隊内閣」のざわめきによって再び甦ることもあるまいが、明治維新におけるその隊の功罪の大きさについては、権力を手中にした新総理としても充分に考慮して欲しいところである。その隊の幹部たちが、維新政府の中で、いかに汚濁に塗れていったのかを、教訓として思い起こして欲しいものだ。今、その清潔さ透明さを疑問視されている与党は、幕末ブームにあやかろうなどとのケチな了見はではなく、この国をどう導いて行くのかの確固とした方向性を国民に示すべきである。夢想的なものではなく、具体性を持った方向性を---。

 新総理の「最小不幸社会を目指す」の言や善し、「奇兵隊内閣」がそのためのものであることを期待する。

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