嫁の手造りのケーキにローソクを点灯させ、二人の孫たちと顔を寄せ合って吹き消した。リハーサルなしなので、小さいほうの孫があわてて消そうとして、タイミングが合わずなんどかやりなおし、皆で大笑いをした。
我が家では、何だかんだと言いながらも、何らかの形で全員の誕生を祝っている。私たち夫婦・娘夫婦・息子夫婦・それに4人の孫たちを加えると、1年に最低でも10回は祝い事をしていることになる。父の日や母の日もそのおりおりに集まっているし、正月の2日も全員我が家に顔を見せるので、年中お祝いごとをしている感じである。
幸いなことに、私たちは車で20~25分の範囲に住んでいるので、それほど無理をしないでも会うことができる。よく、外孫がどうの内孫がどうのと話題になるようだが、我が家ではそうした感情の違いはない。適度の距離と少し多いぐらいの顔合わせが、丁度よい関係をつくっているようだ。
もちろん、そう思っているのは私だけかも知れないのだが----。
一番上の孫娘も小学2年生となった。2年生ともなると、それなりの交際範囲も広いようで、今までのように爺ちゃんべったりと言う訳にはいかず、私としてもいささか寂しい限りである。ヨチヨチ歩きで,ニコニコ笑顔で手を差しのべてくれた日が、とてもとても懐かしい。こうした感慨は、歳を重ねた証なのだろうか。
かっての家族風景は、祖父母と孫が手をつないで夕焼け空を眺めていると言う様な、ほのぼのとしたものであった。裕福ではないにしても、3世代同居が当たり前であった。そうした家族の中で、理屈ではない人情味のある絆が育まれていったものだ。私の妻は、私の事業の失敗以来、成長期の子供を抱えながら、家族バラバラとならないようにと、本能的にこうした絆を大切にしてきた。本人が気付いているかどうかは分からないが、私にはそう思えてならない。そうした妻の思いが、全員の誕生祝いという今の形を大切にすることで、同居はしていなくとも家族の絆を深く結びつけているのだと、私はそう理解し感謝している。
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