( 今年は咲かないかと諦めていたのに 見事に咲いてくれたハナカイドウ 3/25) |
私と妻の間には暗黙の了解がある。
それは、私たちの一方がガンに侵されて終末を迎えた場合の対応についてである。
妻の希望は、一切の告知をしないで欲しいというものである。自分の死を感じないままにこの世を去りたいというのがその理由である。あと何か月、あと何日とその日を数えることは嫌だということであった。
私の希望はというと、告知して欲しいということである。限りある命を、最後まで有効に使いたいと思っているからだ。その告知後の残された期間に、何かしらできることがあると考えられるからである。
このように違いのある二人ではあるが、終末に関しては共通した願いがある。医者の判断で回復の見通しが立たなくなった場合には、延命治療はしないで欲しいということだ。植物状態となって無駄に延命しても、私たちにはその延命措置になんの価値も感じることができないと思われるからだ。抗ガン治療を否定するわけではないが、私達はぜひにもそうしてもらいたいと願っている。
その際は、どのような措置であっても構わないので、苦痛を伴わないものにしてもらいたいものだ。苦痛に耐えられるのは、治癒できるという希望が持てるときであって、何の希望も持てないままの苦痛などはごめんである。モルヒネでもなんでも有効な鎮痛剤で、痛みを緩和してほしいと願う。と今は思っているのだが、いざというときにはどうなるのか…。
鳥越氏の話は、転移を繰り返す悪質なガンとの闘いの体験談であった。そして、その体験からは教訓として「早期発見に努め、健康長寿を目指す」ことの大切さを学びとった。74歳という年齢を感じさせない氏の若々しさは、闘病中であることも感じさせない力強さで、まさに「健康長寿」の体現者であることを知らしめるものであった。66歳の私としては、大いに学ばなければならないところである。あっちが痛いこっちが痛いなどと騒いでいてはいけないのだ。