2014年3月27日木曜日

健康長寿を目指すぞ!

( 今年は咲かないかと諦めていたのに
  見事に咲いてくれたハナカイドウ 3/25)
妻と一緒に、鳥越俊太郎氏の講演を聞いてきた。講演内容は、ガンと闘っている鳥越氏らしく「ポジティブに生きる」が主題であった。

私と妻の間には暗黙の了解がある。
それは、私たちの一方がガンに侵されて終末を迎えた場合の対応についてである。

妻の希望は、一切の告知をしないで欲しいというものである。自分の死を感じないままにこの世を去りたいというのがその理由である。あと何か月、あと何日とその日を数えることは嫌だということであった。

私の希望はというと、告知して欲しいということである。限りある命を、最後まで有効に使いたいと思っているからだ。その告知後の残された期間に、何かしらできることがあると考えられるからである。

このように違いのある二人ではあるが、終末に関しては共通した願いがある。医者の判断で回復の見通しが立たなくなった場合には、延命治療はしないで欲しいということだ。植物状態となって無駄に延命しても、私たちにはその延命措置になんの価値も感じることができないと思われるからだ。抗ガン治療を否定するわけではないが、私達はぜひにもそうしてもらいたいと願っている。

その際は、どのような措置であっても構わないので、苦痛を伴わないものにしてもらいたいものだ。苦痛に耐えられるのは、治癒できるという希望が持てるときであって、何の希望も持てないままの苦痛などはごめんである。モルヒネでもなんでも有効な鎮痛剤で、痛みを緩和してほしいと願う。と今は思っているのだが、いざというときにはどうなるのか…。

鳥越氏の話は、転移を繰り返す悪質なガンとの闘いの体験談であった。そして、その体験からは教訓として「早期発見に努め、健康長寿を目指す」ことの大切さを学びとった。74歳という年齢を感じさせない氏の若々しさは、闘病中であることも感じさせない力強さで、まさに「健康長寿」の体現者であることを知らしめるものであった。66歳の私としては、大いに学ばなければならないところである。あっちが痛いこっちが痛いなどと騒いでいてはいけないのだ。


2014年3月12日水曜日

心をこめた復興を!

先日、花芽を小鳥に食い散らされたこと、そしてゴミ袋のネットで残った花芽を守っていることを、命のはかなさとの関連で投稿した。その守りきった花芽が成長して、今では写真のように以前も増して咲き誇っているので、妻と一緒に喜んでいるところだ。

今日、平成24年3月11日は、あの東日本大震災から3年が経過した日である。2~3日前から、あの時の生々しい被災映像を繰り返し流しながら、この3年間の歩みについてを、特別番組として各局が報道している。そのいづれもが、真剣に真面目に取り上げていることを感じることができて、ホッとした思いだ。今日も又、終日、内容の濃い報道がなされており、日頃はマスコミに批判的な私も、マスコミの良心に触れた思いで素直に喜んでいる。

(復活して咲き誇るアンジェリカ)
その一方で、先日の国会中継(予算委員会)や、民放での被災地復興を巡っての復興対策委員長と現地関係者との討論番組をみていて、情けない思いにとらわれてしまったことも、正直なところである。

質問者が、福島の現状が決して好転していないことを、資料をもって説明しているにもかかわらず、又、政府の原子力安全に関しての諮問委員会(原子力規制委員会)の委員長が、「安全宣言できる立場にない」として安全宣言をしようとしないでいるのに、「世界一厳しい審査基準で臨んでいる」などと詭弁を弄していた安倍総理や担当大臣は、相変わらず、原発再稼働まっしぐらという対応に凝り固まっていた。もはや正常であるとは言い難い痼疾ぶりだ。国民でなく誰の代弁をしようとしているのか、と、疑わざるを得ない在り様である。

「アンケートによる被災者の要望をとりあげたので、復興対応策には問題はないと考える」とか、「何度も足を運んでいるので、現地の要望は理解しているつもり」などと答える民放での政府関係者達からは、形式を整えようとする姿や、体裁やメンツを保とうとする姿が見え見えで、恥ずかしくさえ感じられた。「現地の要望と違った対応をしている」「もっと、現地を理解してほしい」といった地元からの切実な訴えとの甚だしい乖離を感じたのは、私だけでけではなかった筈と思う。

今日の政府主催の「被災者慰霊祭」でも、天皇の被災者を思いやる誠意ある姿勢に比して、安倍総理の原発問題に触れまいとする逃げの姿勢には、情けなさを通り越してあきれかえる思いでたまらなかった。私にはあの姿勢からは、かっての中身のなかった“美しい国日本”のスローガンと、同様のことが連想できるのだが、いかがなものであろうか。復興は進んでいる、原発事故の対応は改善されているなどと、一国の総理たるものが白々しく言明するなど、あってはならないことだと私は思っている。今、何が一番大事なのかを真面目に考えろ!である。

支持率に支えられていると言われる安倍内閣ではあるが、「驕る平家は久しからずや」ということを忘れないでほしい。いつまでも国民を欺けるとは思わないことだ……。





2014年3月6日木曜日

だんだん孫たちが遠くなる、遠くなる?

一番上の孫娘が、11回目の誕生日を迎えた。4月からは、はやくも小学6年生である。
最近では、バレーボールに熱中していて、かってのように一緒に楽しむことがなくなってしまい、満たされないことが多く不満たらたらのジジイなのである。
(妻の拾ってきた桜の枝に花が咲いた。3/6)

誕生祝は靴がいいとの事だったので、ショッピングモールで待ち合わせをして、孫娘に選ばせた。やはり女の子なのか、洋服にも目が行くようで、娘(孫娘の母)に足し前させて、気に入った洋服もプレゼントすることにした。娘は喜んでいたが、肝心の孫娘は今一と言ったところのようで、妻と二人で拍子抜けした思いであった。

拾ってきた桜の枝なら、水を換えたり栄養剤(砂糖)を加えたりと、手を加えることで早めの開花を促すことはできても、孫娘までもは思うに任せないもののようだ。それが成長するということなのであろうか。

「だんだんお家が遠くなる、遠くなる。」と言った歌?が思い出される。「だんだん孫たちが遠くなる、遠くなる。」と言った心境になってしまい、何となく侘びしさを感じてしまう。
ジジイの僻みと言ったところか。孫たちの成長が、嬉しいような悲しいような、何とも複雑な今日この頃であるのだ。




2014年3月5日水曜日

あまりにもはかなくて……。

(ベランダで咲き誇るアンジェリカ)
写真の花は、もう1カ月以上もベランダで咲き誇っていた。……と、残念ながら、過去形の話として伝えざるを得なくなってしまった。
この綺麗に咲いていた花が、あろうことか小鳥に食い散らされてしまったのだ。小鳥たちが、食用としたのか、興味本位でいたずらしたのかは分からないが、とにかく見事に食い散らかされてしまった。
今は、応急措置として、生ゴミ用のネットを使って残された花芽を守っている。嬉しいことに、残された花芽からは、たくさんの花が開き始めているので、元のようになるのも近いようだ。又、きれいな花々を楽しめそうではある。

花々は、守ったり手入れしたりすることで再生させることができるが、悲しいことに人の命は絶対に再生させることができない。

私達に不幸がもたらされたのは、つい先日の大雪の日であった。私の妻の兄嫁が急逝してしまったのだ。義兄夫婦は、私たちの住まいとは 300~400m程しか離れいないところに住んでいる。まさにご近所のお付き合いといったところであった。

その日、義兄嫁は、大雪だということで、同じマンションの人と雪かきをしていたらしいが、その最中に突然倒れてしまったということであった。あわてて救急車を呼んでも、大雪ですぐには来てもらえず、警察から連絡してもらって漸く病院に搬送してもらったそうだ。この間2時間を要した言うことである。あの大雪では、誰も責めることはできないが……。

私達のところに連絡が入ったのは病院の義兄からで、手の施しようがない状態で手術もできないとの知らせであった。突然のことにその意味合いが分からないまま、雪道の中をノーマルタイヤで病院に向かった。本当に、この大雪は恨めしくも呪わしいものでしかなかった。
(なんとも恨めしい大雪であった。2/15)

彼女が病院に運ばれた時には、すでに心肺停止の状態だったそうだ。MRIで調べた結果は、蜘蛛膜下出血で脳内に出血が広がっていて手の施しようがなく、ただただ心臓の止まるのを待つしかない状況らしかった。

午後の1時過ぎに病院に運ばれて、深夜の1時一寸過ぎには、彼女は還らぬ人となってしまっていた。あまりにもあっけない、はかない終焉であった。現実とは思えぬままに、葬儀が執り行われて、彼女は、笑顔の写真を残してこの世を去ってしまった。数日の間は、私たちは、彼女の面影が思い起こされて、信じられないままに日を送っていた。これは本当の事なのだろうかという思いで……。

今、私たち夫婦は、65才で逝った彼女を偲びながら、余生をお互いに楽しもうと話し合っているところだ。いつ訪れるか分からない不幸を待つより、生きている今を大事にしたいからである。ちなみに私達は、私が66才で妻は64才の人生まだまだといった夫婦なのである。

2014年3月2日日曜日

孫を預かるのは大ごとだ!

 一番下の孫がインフルエンザにかかったので、4日ほど私のところで預かった。
預かった初日の深夜に、39度6分以上の高熱を出して、はあはあ言い出したのでビックリして熱さましにかかった。ぐったりした孫を見て、正直、預かるのではなかったと後悔したものである。自分の子でないだけに、その対応に苦慮せざるを得なかったからだ。

 と言うのは、熱さましの方法に、孫の親である私の娘との間には考え方に、大きなくい違いあったからである。大げさかもしれないが、私は熱に関しては神経質なくらいに気を配っている。過去(私のタクシー乗務員時代)に、肝を冷やした経験があるからだ。

 深夜に千住近くで乗せた親子連れ(20代の夫婦と3歳ぐらいの女の子)があった。
子供が熱を出したので、病院までと言うことであった。話の中で、熱は39度8分ぐらいまで上がったが子どもが元気だったので、救急車を呼ばなかったとの事であった。話の通り、車内でも子供は元気にしていた。運転手の私とも「お熱が出ちゃったの」「病院に行ってお薬貰ってくるの」などとおしゃべりしていてとても元気であった。

 病院を目指してしばらく走っていたら、急に後部座席でバタバタと言う音がして、母親と父親の悲鳴のような叫び声が起こった。「○○○が、死んじゃう!白目をむいてしまって、体が突っ張ってしまったままになったよ!」「○○○どうしたの!返事して!○○○!○○○!」

 若い両親のあわてように、私までもが冷静さを失い、「どうしました!娘さんがどうかしたのですか」と、あわててしまっていた。私は、もしや癲癇ではないかと思いながら、「舌をかまないように,注意して!」と言うのが精いっぱいの事であった。

 それからの病院までの走行は、まるで宙を走っているような思いで運転した。泣き叫ぶ両親の「とにかく急いで!信号もなにかも無視してとにかく急いで!○○○が死んじゃうよー!」との必死の切なさが伝わってきて、とにかく病院へ病院へと急いだ。

孫の誕生祝のケーキ
料金どころの騒ぎではなかった。到着するとすぐにタンカに乗せられて救急室に入って行った子供が心配で、胸がつぶれるようであった。15分ほどして、看護師が私のところにきて、「ひきつけだったようですよ」と告げてくれた。そして、両親から託されたとタクシー料金も預かってきていた。そこで私は漸くホッとした思いになることができた。無事だったのだと……。

 私もそうであるが、あの若い両親にとっても、子供のひきつけは初めてのことであったようで、あの突然の事態には、何の対応もできなかったのである。看護師の話によると、高熱からのひきつけはよくあるとのことで、あまりの高熱の場合には、とにかく下げることを心掛けること、下がらない場合には遠慮しないで救急車を呼ぶようにとの事であった。

 高熱は怖いという私の先入観は、こうした経験から来ているのだが、保育士をしている娘にとっては薬による対応の方が心配なのだと言う。そう言われても、熱にうなされている孫を見ていると、あの夜のことが思い出されてしまい、買い置きの小児用坐薬やピタット等の熱さまし湿布薬を使ってしまう。今度の場合も、額と両脇にピタットを貼りつけて、冷たいタオルを換えながら熱さましに神経を使った。その効果か、翌朝には平熱近くまで下がって、孫は元気になって食欲も出てきた。

 元気な孫を見ながら、私は妻とぼやいていた。「娘の仕事を助けるためとはいえ、今度のような場合は預かるのは考えもんだね。私たちには責任が取れないんだから、考えなくちゃね。」と………。