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2015年11月15日日曜日

とにかく痛かった!

(秋の味覚・柿/練習画題模写)
<ギックリ腰で大騒ぎ>

朝目覚めた時に、なんとなく腰に違和感を感じた。布団を押し入れにしまったあたりから、鈍い痛みのような感じがあったけど、それほど気にするほどの痛みではなかった。

朝食をとり食器を洗おうとして中腰になったら、徐々に腰の痛みが強くなってきた。それこそ、徐々に徐々にである。あれあれという言う感じで腰が固くなってくるのが感じられて、これはやばいことになりそうだと急いで食器を洗い終えた。別にギクッとしたことがあったわけではないのに、このころには歩くのが辛いぐらいの痛みに変わっていた。余りの辛さに畳に横たわったら、妻が心配して声をかけてきた。

冷やしたら楽になれるかもしれないと、薬箱から「冷えピタ」をとりだし痛い部分に貼った。ひんやりした冷たさに幾分か痛みがやわらいだので、そのまま横になって少し眠った。眠りから覚めてからは、痛む腰をさすりながら、いつもの日常に戻った。―10/24(土曜日)―

浴槽に入って温めては悪いのではとの妻の言を受けて、シャンプーと髭ぞりだけを済ませて就寝したが、なかなか眠られずに何度も寝返りを繰り返した。ところが、その寝返りが思うに任せなくなってしまい、トイレに起きだすのも一苦労になってしまった。体全体が硬直した感じになってしまったのだ。これはかってのギックリ腰と同じ状態だった。そこで、腰をゴムバンドで押さえて腰にかかる負荷を減らすことにしたが、そんな対応は一時しのぎでしかなく、とうとう身動きができない状態になってしまった。


(野菜/練習画題模写)
 それでも痛みに耐えながら、湿布薬や痛み止めの薬で火曜日まで我慢したが、翌日の「日帰り同級会」に参加するかどうかで悩むことになった。と言うのは、同級会を日帰りにすることにしたのは、私の要望であったからだ。その私が参加しないとは言いづらかったのである。

<無理をして同級会に>

今年の同級会(小中学校時代)は、巣鴨のレストランでフレンチのコース料理を楽しむという趣旨のものであった。安くて美味しいとの評判だとのことでとても楽しみにしていた。併せて近くの巣鴨地蔵尊にお参りしようとのプランでもあった。

巣鴨であれば、私のところから地下鉄で30~40分のところであるから、少しぐらいの無理は大丈夫だろうということで無理を承知で出席した。そして、コース料理を楽しんだり、お参りしたり、カラオケをしたりと、痛い腰をさすりながら同級生と旧交を温めてきた。

<痛み止めの注射を何か所にも>

楽しみの後にはなんとやらで、その夜から、トイレで紙を使用できないぐらいの状況に陥ってしまった。本当に這うような具合であった。翌日(木曜日)には、とうとう我慢が出来なくなってしまい、何とか病院にたどり着いて診察を受けた。レントゲンで腰を撮ってもらったら、先に痛めていた部分がさらに変形しているとかで、絶対減量を仰せつかってしまった。不節制の報いだとなじみの医師に笑われてもしまった。あげくは、背中からお尻にかけて、何か所も痛み止めの注射を打たれたのである。

今日(11/15)に至って、ようようにして痛みも薄れたが、なんとも辛い二十日間余りであった。わかっていても不節制してしまう自分のせいなのではあるが、なんとかならないものかと愚痴ってしまう自分でもあるのであきれているところである。

減量は一日にしてならないのである。肝に銘じよ!だ。









2014年3月27日木曜日

健康長寿を目指すぞ!

( 今年は咲かないかと諦めていたのに
  見事に咲いてくれたハナカイドウ 3/25)
妻と一緒に、鳥越俊太郎氏の講演を聞いてきた。講演内容は、ガンと闘っている鳥越氏らしく「ポジティブに生きる」が主題であった。

私と妻の間には暗黙の了解がある。
それは、私たちの一方がガンに侵されて終末を迎えた場合の対応についてである。

妻の希望は、一切の告知をしないで欲しいというものである。自分の死を感じないままにこの世を去りたいというのがその理由である。あと何か月、あと何日とその日を数えることは嫌だということであった。

私の希望はというと、告知して欲しいということである。限りある命を、最後まで有効に使いたいと思っているからだ。その告知後の残された期間に、何かしらできることがあると考えられるからである。

このように違いのある二人ではあるが、終末に関しては共通した願いがある。医者の判断で回復の見通しが立たなくなった場合には、延命治療はしないで欲しいということだ。植物状態となって無駄に延命しても、私たちにはその延命措置になんの価値も感じることができないと思われるからだ。抗ガン治療を否定するわけではないが、私達はぜひにもそうしてもらいたいと願っている。

その際は、どのような措置であっても構わないので、苦痛を伴わないものにしてもらいたいものだ。苦痛に耐えられるのは、治癒できるという希望が持てるときであって、何の希望も持てないままの苦痛などはごめんである。モルヒネでもなんでも有効な鎮痛剤で、痛みを緩和してほしいと願う。と今は思っているのだが、いざというときにはどうなるのか…。

鳥越氏の話は、転移を繰り返す悪質なガンとの闘いの体験談であった。そして、その体験からは教訓として「早期発見に努め、健康長寿を目指す」ことの大切さを学びとった。74歳という年齢を感じさせない氏の若々しさは、闘病中であることも感じさせない力強さで、まさに「健康長寿」の体現者であることを知らしめるものであった。66歳の私としては、大いに学ばなければならないところである。あっちが痛いこっちが痛いなどと騒いでいてはいけないのだ。


2012年12月9日日曜日

せっせと歩くぞ!

(嫌々ながら服用している薬)
朝8種類、昼4種類、夜5種類、就寝前1種類と本当に嫌になるぐらい薬を服用している。
血圧の薬、肩の筋肉をほぐす薬、筋肉を保護する薬とビタミン剤、痛み止め、血管の収縮を助ける薬、2種類の胃薬、中性脂肪を抑制する薬等々を半年以上も飲用し続けている。

 その効果がどれほどのものかは自分でも確かめようもないが、手術前後の痛みや辛さを考えると、薬を減らすことが怖くなってしまう。こうした私のような患者が多いのだから、国の医療保険制度が大変なことは、実感としても理解できる。でも、止むを得ないことだと割り切るしかない。あの痛みや辛さは二度と味わいたくないのが本音だからだ。

 そこで、せめてもとリハビリに精を出している。それでも週に2~3回通院しているので、負担もバカにはならず、リハビリだけに頼らずに、自己回復を課題として模索しているところだ。

(妻が買ってくれた図鑑)
その一つとして、ウオーキングを始めた。なるべく手の振りを大きくしながら、小さなリュックを背負って歩き回っている。その動きが肩にも良いようで、気のせいか、はりや凝りが少しは薄れてきたようだ。

 そのウオーキングもただ歩くだけでは味気なかろうと、カメラと花植木の図鑑をリュックに入れ、散策を兼ねたものにした。リハビリと気晴らしを同時にできるのだから、今では結構楽しいスケジュールとなってきてもいる。

 私は、妻と一緒の行動が多く、早歩きの妻に遅れないようにと、せっせと歩いている。万歩計で10,000~12,000歩ぐらいとなると、それなりに運動した実感が湧いてくる。こうすることが、医療制度を支えるささやかな一助になると信じて、せっせと歩き続けようと思っているのだ。

 次の日曜日は、二つの選挙の投票日である。空しさを感じつつも、自分の意思を貫くために投票するつもりだ。結果が予測されても、自分の大切な一票は無駄にはなりはしない、と信じて…。

2012年11月9日金曜日

盛りは過ぎても…。

(蕾から咲きはじめの姿)

 数年前に息子から妻にプレゼントされたミニバラは、今年も何度目かの開花を迎えた。

 3枚の写真は、特にきれいに咲きそうな部分を摘んで、咲き始めから咲き誇るまでを撮ったものだ。わずか何日間かの移り変わり様であったが、見つめているだけでも心弾むものであった。ベランダの花を、このようにじっくりと観察したことはなかったので、あらためて花の持つ神秘さに触れた思いである。

 妻が突然に具合を悪くした。
めまいと吐き気で、布団から起き出せなくなってしまったのである。歩いてトイレにも行けなくなり、食事もとれず嘔吐を繰り返すばかりであった。 突然のことであっただけに、私はオロオロしてしまい、救急車を呼ぼうとしたが、妻に止められてしまった。少し様子を見て欲しいというのだ。

(咲き始めた姿)
食事もとれず起き上がることもできないままに1日が経過してしまった。喉を通したのは、ヨーグルトと麦茶だけで、食べやすいようにと炊いたお粥と野菜のやわらか煮にも手を付けることができなかった。

 夜、娘から電話があったので状態を話すと、どうして病院に連れて行かなかったのかと叱られてしまった。妻の頑固さを知っているはずの娘なのに、生意気にも親を叱るのだから、それだけ成長し、本当の大人になったと言うことなのであろうか。変なところで、感心してしまったものだ。

 1日おいて、妻の状態も少し良くなったので、
朝一番で病院に行かせた。連れて行くと言っても
(咲き誇っている姿)
歩いて行けるからと、自分一人で出かけて点滴を受けてきた。その効果もあってか、昼時分にはお粥も食べられるようになり、ホッとさせてくれた。更年期障害の典型的な症状であったようである。体が急に熱くなったり、冷えたりと、自分でもコントロールができなかったようであった。

 63歳直前の年齢は、その盛りが完全に過ぎ去ったということでもあるようだ。2歳年上の私などは、特にそのことを切実に実感している。妻の突然の変調は、盛りを過ぎた人生を、二人してどう生きるかを真剣に考えよという、何らかの啓示なのであろうか?
 
 とにかく、私たちは写真のような盛りは過ぎたのである。だから、姿かたちは咲き誇れなくとも、心の充実を目指して、お互いの生きざまを誇れるように努力したいものである。老いてもますます盛んであることを示したいものだ…。
 
 

 
 

 

2012年8月3日金曜日

なかなか回復しない!

写真は、4月17日の腱板断裂手術後に、肩と上腕部を固定させるために使用したギブスの一種である。

脇の下に固定させ上腕部を押さえつけるもので、その不自由極まりないことは言語に絶するものであった。起きているときも寝ているときも、25日間の入院期間中3週間も外すことができなかったのだから、このギブスへの恨みは骨髄にまで達している。外したその日には思わず蹴とばしてやりたいぐらいであった。

このいまいましいギブスを外してから、本格的な週3回のリハビリに入り3ヶ月を経過したが、部分的にはそれなりの回復が見られるものの、肩や腕の周辺部が委縮して固まってしまい、予定通りの回復には至っていない。入院中に発生した原因不明の肩の脱臼による神経の損傷(?)が要因ではないかとのことである。

退院後も痛みが激しく眠れないことが続いたので、病院のベッド生活が恋しいほどであった。妻の負担も多くなってきたので、私の寝室を私の部屋(事務室兼書斎)に移し、自由に寝起きできるようにして、その負担の軽減を図った。薬の種類や量も多くなって、最近では副作用か浮腫みも出るようになった。痛み止めで効き目の強い薬によるものらしく、体重も5%ぐらいは増えてしまった。痩せるならともかく太ってしまうとは……。

今、パソコンが使えるようになったので、次は車の運転ができるようにと努力中である。私の車はハンドルにギアが付いているので、ギアに手が届かなくてはどうしようもない。オートマ車とは言え、片手運転ではハンドルさばきが思うに任せず、危険であるからだ。今のところ、左肩が思うように回復していないので、ギアに左手が届いてはいない状態だ。何とか届くようにと努力している。

車を元のように運転できるようになったら、一寸だけ大きくなった孫たちを連れて釣りに行こうと思っている。肩を痛めて以来、苦労をさせ続けている妻を乗せて、あちこちのフラワーパークを巡って歩こうとも思っている。そして何よりも先に、去年逝った母の墓前に花を供えたいと思っている。





2012年4月10日火曜日

春なのに---確実に。


 今、不自由な体勢でキーボードをたたいている。
左肩が思うに任せないので、机に向かっても左手の操作がぎこちなくなってしまい思うようにキーをうてない、じれったいこと、この上なしだ。

 心配していた左肩の腱板断裂に関しては、いよいよその接続と修復のために手術を行うことになった。長期リハビリによる回復の目途が、一向に立たないからだ。手術によって、どのくらいの回復が図られるのかは判らないが、現状よりははるかに良い状態になるとのことなので決断した。正直のところ不安でたまらない。なんせ、50年ほど前に盲腸の手術をして以来、手術も病気入院もしたことがないのだから、考えるだけで鬱陶しくなってしまうのだ。

 手術すると、リハビリも含めて半年間ぐらいは不自由な生活を余儀なくされるようだ。
とにかく我慢の一字で耐えるしかない。そして、以前のように、あれやこれやと頑張らねばと思う。このような私の事情には関係なく、遅れていた春もようやく訪れてきた。団地の桜は今が見ごろである。にりん草も可憐に咲き出した。


 手術による入院は3週間の予定で、肩から腕にかけてをギブスで固定し、腱板と肩の骨との接続を図るとのことである。そのために、変則的に固定されるギブスで、身体の自由は奪われてしまい、着衣やトイレなども思うに任せず、介護の手を要するとのことだ。もちろん、食事や入浴も同様に補助が必要とのことである。

 不自由な生活ということから、私は、昨年に永眠した母のことを想いうかべている。
介護施設でのある出来事のことをである。私は、入所して間もない母を気遣って、田舎に帰った。施設は、まだ新しいもので設備も職員も十分に満足できるもので、費用の点を除けば何も言うことはなかった。

 私が訪れた時は、ちょうど食事が終わりかけていた時で、母はお茶を飲んでおり私の来訪を喜んで迎えてくれた。食事はグループに分かれてとっていたようで、母以外の何人かはまだ終えていなかった。そんなおり、母は便意をもよおしてしまい、職員にその旨を訴えていた。

 母の訴えを聞いた職員は、食事中の他の人の世話で手が離せず、少し我慢してほしいと母に言っていた。他の職員(介護)も手が離せないようで、母は泣きそうな声になって、私に助けを求めてきた。情けないことに、私はそうした対応のなにものをもできないので、あらためて私からも職員に頼み込んでみた。しかしその時にである。その時に発せられた介護職員の言葉と対応に、私は激しいショックを受けてしまったのだ。いや私だけではない、母はショックどころではなく人間としての尊厳をもさえ傷つけられてしまったのだ。95歳(当時)とはいえ、母は転倒による歩行困難以外には、何らの問題はなかった。歩行ができなくなったことで、家族で介護できない事情もあって施設に入ったのであった。だから、母も私も、痴呆や耄碌による入所とは違った対応になると考えていたのである。

 「○○さん(母の名)、我慢できなかったら、そこでしてもいいんですよ。オムツをしていますから大丈夫ですよ。そこでしてください、してもいいんですよ。」、何気ない職員の優しげな言葉は、母のプライドをズタズタに切り裂いてしまった。
「違う!私は違う!私は違うんです!」母の叫びは悲痛であった。その叫びを聞きながら、私はいたたまれなくなってしまい、その場を逃げ出し、ほかのグループの職員に助けを求めた。私は、母がその場でオムツに用を足すことに耐えられなかったのだ。自分は、歩けないだけで、耄碌もしていなければ痴呆でもない、だからみんなと違うのだ言う母の叫びが私にはよく分かるから、その場にいることが耐え難かった。

 「最初はいやでも、すぐになれますよ。」母や私の訴えを、困ったものだと受け止めていた職員は、施設での対応はそうであるとして、特別ですよとの態度で、母の車いすを押してトイレに向かってくれたが、私には納得できなかった。そうしたことに慣れて行くだろう母を思うと、心から悲しくなってしまい、傍にいて介護もできない自分が、とても親不孝ものであると、つくづく思い知らされ心苦しかった。

 入院を間近にして、私はあの日のことを思い出してしまった。
不自由な療養生活を考えた時、母の味わったあの屈辱や情けなさを、私自身がかみしめる日も近いのだろうかと、侘びしく感じている今日この頃でもある。老いは、確実に迫っているという証なのであろうか----。
 
 



2012年3月22日木曜日

手術は嫌だ。でも----

遅れに遅れて春がやってきた。
今年の我が家の春は、ベランダの海棠(かいどう)の蕾の膨らみによって知らされた。

 暮れに植栽した菫が咲き誇っても、春の訪れは感じられなかったのに、海棠の蕾の膨らみは間違いのない春の訪れを感じさせてくれた。中途半端な梅の開花からは、中途半端な春の訪れしか感じられなかっただけに、海棠の力強い蕾の膨らみは、我が家にも確実に春が訪れて来ていることを知らせてくれ、冬の心でいた私に一筋の明かりを灯してくれた。(肩の痛みの原因が判明した)

 五十肩だとして痛みに耐え続けたこの4か月間、痛み止めの注射やマッサージを続けて回復を図ってきたが、一向にその成果は見られない。痛みが和らぐからと深夜も含めて一日に数回も入浴するが、その入浴も、不自由な着衣の着脱を伴ってそれなりの努力を要し、結果的には一時的な気休めにしかなっていない。とにかく、昼も夜もない痛みとの対決は絶望をさえ感じさせるもので、自分の肩や腕であるのに、その置きどころさえもわからなくなってしまい、取り外したいとさえ思ってしまう。布団に入るこさえも苦痛になってしまい、立ったまま眠れる方法はないかと真剣に考えてしまうほどだ。

 MRIによる検査結果は、腱板のうちの一本が断裂しているということであった。痛いはずである。自分は忍耐力に欠けているのではと考えたりしたが、そうでもなかったようである。痛くて当然であったということだ。これで痛みの原因は分かった。それじゃあ----ということになる訳だが----。

 説明では、断裂するにはそれなりの要因があったはずと言われたが、私には思い当たることはなかった。何かの拍子に断裂したのだろうとしか言いようがないのだ。筋肉の固まり具合から判断して、かなり以前に断裂した疑いもあるらしい。パソコンや簿記の勉強に集中していた時期に重なるので、集中心が痛みを感じさせなかったのだろうか?

 担当医によると、痛みの解消方法は二通りあるということだ。
その1は手術によるもので、身体のある部分の筋を取り出して断裂した腱板をつなぐというもので、術後2~3週間の入院が必要であり、半年ぐらいのリハビリも必要だということだ。そして、手術もリハビリもかなりの痛みを伴うということらしい。
その2は、断裂した状態のまま筋肉強化のリハビリを続けることで、断裂した部分をカバーできる状態を作り上げる方法だということだ。但し、その期間がどのくらいに及ぶのかは分からないという。もちろん断裂部分の治癒はできないそうで、元の状態に近づけるのが目的でしかないということである。

 今、私は、その2の方法を選択してリハビリに励んでいるのだが、痛みは増す一方で、満足にリハビリも行えないでいる状況だ。そこで、リハビリ担当者とも話し合い、手術もやむなしとの結論を出そうとしている。本音は、手術なんかはしたくはないのである。でも、見通しの立たない状態が続くのも困るし、昨年のスキルアップ努力(パソコン・簿記)も生かしたいので、一日も早い回復が必要でもあるのだ。

 手術は嫌だ。でも、このままはもっと嫌だ。----あ~あ~である-----。

 

 


 

2012年2月27日月曜日

癒しの散歩

 小さな区立公園の中に、瀟洒な日本庭園がある。写真は、その庭園にあるこじんまりとした人工の滝である。少し離れた位置から撮影したものだが、庭師の思惑が感じられて、なるほどと頷かされてしまう。

 この公園には心の字池もあり、その池を臨むように一寸した茶室も設けられている。茶室の縁側に腰を下ろして、池に流れ落ちる滝音を聞きながら目を閉じていると、京都の有名庭園を訪れているような錯覚を覚えてしまい、何とはなしの旅行気分に浸ることができる。

 「五十肩」に悩まされている私は、気晴らしと運動を兼て、3~4時間ほどの散歩に出かけることが多い。この区立の公園も、その存在は知っていても訪れることはなかったのだが、散歩ついでに立ち寄ってみたのだ。身近にある公園だからと、これまでに訪れなかったことが悔やまれる。この茶室でなら、茶道の心得はなくとも、茶席について一服を喫してみたいとも思う。そんなことを考えると、気のせいか、しばし、肩の痛みも飛び散っていくようだ。

 散歩は、思いがけないものが発見できて、結構楽しいものである。
春の訪れを探してみたり、時代の移り変わりを感じてみたり、懐かしい風情を楽しんだりと、その時々の感情によって違った発見ができることがうれしい。

 今の私は、一瞬でも肩の痛みを忘れることができる「癒し」の発見を求めて歩いている。小さなリュックを背負って、防寒具にくるまっての散歩なので、だるまさんが歩いているようだ。デジタルカメラを片手に、ゆっくり歩きながら目線を四方に配る。「癒し」に繋がる発見を求めていると、一寸したものでも目につくもので、写真のような果実にもついシャッターを押してしまう。一緒に歩いている妻と、かりんではないし夏みかんでもない、ポンカンでもザボンでもなさそうだ、などと言いながらシャッターを押す。そうした会話の中にも「癒し」は存在するようで、しばしの間は肩の痛みを忘れることができる。散歩の効用大いにあり、といったところだ。

 五十肩になって3ヶ月、痛みは一向に薄れずに、痛み止めの注射も寄せ付けない勢いだ。だから、私の「癒しの散歩」は当分は続きそうだ。身近なところでの、新しい発見を求めながら-----。

 



2012年1月31日火曜日

「五十肩」で寝不足に---


 とにかく痛い。痛くて眠れないのだ。眠れないから、夜が恐ろしい。また眠れないのかと考えると、布団に入ることすら億劫になってしまう。こんな状況が2ヶ月も続いている。だから、極度の寝不足に悩まされている。

 「五十肩」だというのだ。64歳の私であるが年齢には関係なく、そう呼称しているということだ。整形外科に行って、痛み止めの注射をしてもらったり薬をもらったりしているが、一向に治る気配がなく悪化しているのが現実だ。担当医によると、病気の原因はいまだに特定されていないということで、考えられるその要因を想定して治療にあたっているのだという。

 私の妻も数年前にこの「五十肩」になって、1年以上苦しんだ。病院に行ったりマッサージに行ったりと、あらゆる方法で治療したが、一時的に一寸だけ痛みが薄らいだだけで目立った効果は得られなかった。私も肩もみをしてあげたりしたが、思うような効果は上がらなかったようで、歯がゆい思いをしたものだ。

 ところがである。妻は、ある日突然のように、それまでの痛みが嘘のようになくなった。妻だけでなく、私の姉も同じように、突然のように痛みが取れたと言うのである。妻の姉も、同様な体験をしたと話していた。医者に話したら、ほとんどの人がそうであるというのだ。個人差はあっても、ある程度の時期を経過すれば痛みはなくなるという。どういうことなのであろうか?

 私は今、痛みのなくなる日をひたすら待ち望んでいる。寝不足と闘いながら、じっと耐えているのだ。失業中なので、仕事に支障が出るということはなくとも、この痛みからは一日でも早く解放されたい。そして、ぐっすりと眠りたい。

 こんな、切実な願いを込めて、新座市で出会った六地蔵に手を合わせた。
 

2010年11月5日金曜日

早く元気にね

 11月5日、今日は孫の「そうたん」が病院に行く日だ。前から気になっている足を診てもらうためである。もう、出かけた頃であろうか。とても心配でたまらない。

 保育園から、「そうたん」の足について話があったのは、半年ほど前のことらしい。『O脚のようです。一度診てもらったほうがいいのでは。』と、告げられたとのことであった。妻によると、娘も保育園の時に同じことを言われたらしい。身内におられませんかと言われたので、私の足を見たところ、見事なO形だったので納得したそうだ。「そうたん」は、じいちゃんの遺伝なのかな?

 あらためて見てみると、確かにO形になっていた。それも、かなりの湾曲である。娘の話では、大きくなると直る場合が多いとのことであったが、私の見た感じでは、医者の診断が必要だと心配させるほどの曲がり具合であった。「じじバカ」である私は、すぐにでも病院に行くようにと焦っているのだが、娘夫婦はのんびりと1ヵ月半後に保健所検診があるとして、一向に急ぐ様子はなかった。……困ったものだ。………で、今日がその日なのである。

 気になると、「そうたん」と遊んでいても足の方に視線が向いてしまい、その歩き方にさえ神経を使ってしまう。運動会でも、ほかの子と違いはないかと、そればかりを気にしていた。どうも違うような気がする。歩行そのものが不安定に見えて仕方がないのだ。左足の具合が内側に歪んで見えて、少しだけ引き摺っているように感じられる。不遜ではあるが、歌手の某氏の歩行に似ていると思えるのだ。娘には言いにくいが、たまらなく不安である。とにかく、今日の結果を待つしかないのだが…。

 その「そうたんが」が、自宅の階段から転げ落ちて、病院に運ばれたのは10日ほど前である。大きなこぶたんができて大泣きしたとのことだ。こぶたんの方は大したことがなかったようだが、自分から『ポンポンが痛い』とお腹を押さえて訴えるので、病院に行ったとのことだ。まだ口も満足にきけない「そうたん」が、必死にポンポンと言うぐらいなのだから、相当に痛かったのだろうとは、娘の話である。

 病院では、思いがけなくも[そけいヘルニヤ]との診断が下され、その場で腸を押し込んだとのことであった。階段から落ちた拍子に、脱腸したらしい。痛みはすぐに収まったようであるが、今後も同じことが起きやすいので、手術をしたほうがよいとのことだった。ということで、「そうたん」は11月の中旬に、ヘルニヤの手術を受ける。心配するほどの手術ではないとのこと、ホッと一安心というところか…。

 「そうたん」、早く元気になって、じじと紅葉を見に行こうね。

 

 



 

2010年10月8日金曜日

花は咲いたが?

 ベランダのポーチュラカがきれいに咲いています。今年は特に花の数も多く、妻はニコニコして毎日水やりをしています。
 どういうわけか、私の妻は、大輪の花よりも小さめの花が好きなようです。バラや百合・ひまわりといったものよりも、コスモスや芝桜・桜草といった群生する花や松葉ボタンのような大地に密着している花を好んでいます。派手な花よりも地味な花といったところでしょうか、妻の性格をうかがい知ることが出来ます。

 ところで、花は咲いたが…です。先の投稿で妻と一緒にダイエットに挑戦すると宣言したのですが、2ケ月も経っているのに、何の計画もたてられずあいもかわらずにモタモタとしています。妻は水泳教室に通ったりしていますが、食欲はますます旺盛で、その効果は出ていないようです。

 私はというと、経理の仕事が忙しかったことと、体調が思わしくなかったことを理由に、油っぽいものを減らしているぐらいで、取り立てて何の対応もせずに今日に至ってしまい、むしろ体重が増えてしまいました。タバコを止めると、食欲は旺盛になるようで、本当に困ったものです。このままでは、二人して大輪の花ならぬ大デブになりそうです。

 真剣に挑戦しなくちゃね!反省していまーす。

  

2010年9月3日金曜日

二人でダイエット?

 今年の元旦から始めた禁煙は、9月に入った今も続いている。この間、くじけそうになったこともあったが、苦しむこともなく何とか我慢できた。どうにか、このまま吸わずにいられそうだ。

 禁煙を始める時に、私は、あることを危惧していた。それは、太るのではないかという心配であった。禁煙によって太るという話は、よく聞かされていた。だから、太らないように気をつけていたが、タバコをやめたことで食欲が増してしまい、危惧した通りになってしまった。

 禁煙前に71㎏であった体重は、今では75kgとなってしまった。2重顎ならぬ3重顎となった顔はふくよか?になり、下腹ではなく上腹がポッコリと突き出たために、見事?なタヌキ腹が完成してしまった。なまじの料理?好きが、災いの原因となったようでもある。当然のごとく妻も巻き添えをくい、一緒に成長?を続けている。横へ横へと限りなく成長している…。

 太りすぎは健康にとっては大敵である。医者の話では、先の腰痛に際しても、この太りすぎが要因となったようだ。体重の増加が、腰への負担をきつくしたようである。又、仕事や一寸した運動で疲れやすくなり、回復も時間がかかるようになった。タクシー乗務のあとには足がパンパンにはって、浮腫みがとれるまで半日はかかるようになった。そこで………

 ……妻と話し合って、二人してダイエットに挑戦することにした。
 私は、事業に失敗する前(20年前)には80kgぐらいまで太ったことがあり、減食によるダイエットを続けた経験がある。同時期に飲みすぎで胃潰瘍も患い、何日間かの絶食をしたこともある。その折には一時的に66kgまで体重が下がり、2~3ヶ月間軽やかな生活を体験したものだ。しかし、すぐに76㎏までリバウンドしてしまい、しばらく、そのままの状態が続いた。その後、プロフィールに記したような経過があって71㎏までダウンし、禁煙にいたるまでその体重を20年近く維持し続けた。

 私の身長(171.5㎝)からして、ベスト体重は66~68㎏のようである。だから、私の減量目標は7~9㎏となり、その数値を目標に計画をたてることにした。ところがである………その計画作成が難しいのだ。私一人ではなく、二人で立てる計画だからである。勝手に献立を考えたり、絶食したりはできないからなのである。別々にすると、煩雑になるし一緒に挑戦する意味合いが薄れる。どうせなら、一緒に達成したい。そのためには、目標の数値からして、中途半端な計画ではできそうもない。しっかりとした計画が必要なのである。

 禁煙は、意思を強固にすれば出来ると思うが、ダイエットは計画を緻密にしないとできそうにない。まして、二人しての挑戦であるからには、中途半端な計画では失敗する。だから、慎重になってしまい、なかなかスタートが出来ずにいるのである。健康面からも、急ぐ必要があるのに、なぜかグズグズしているのだ。やっぱり、二人一緒には無理なのかな? 一人でやるべきなのかな?……

 近日中には、計画と実施状況について報告しまーす!

 

 

2010年7月23日金曜日

腰痛(ギックリ腰)孝

 恥ずかしい話であるが、私は、整骨院では注射や薬の処方はしないということを知らずにいた。マッサージ等は、医療行為でなく施術であるから、と言う事らしい。だから、どんなに痛かろうが、痛み止めの注射や薬の処方による治療は出来ないと言う事だ。

 そのせいか、私の場合は、腰にボードをあてがいそれをサラシでぐるぐる巻きにして固定し、全身を揉みほぐすという対応でしかなかった。ギックリ腰?というものに初めてお目にかかり、その痛さや不自由さに閉口した私は、それこそ藁にも縋りたい想いで訪れたのだが、その対応には唖然とさせられた。知らないこととは言え、レントゲンぐらいは当然と考えていたのである。もちろん、注射や薬をもである。

 腰を締め付けたことで、幾分かは痛みが薄らいだ。でも、痛くてどうしようもない状態に変わりはなかった。「注射や痛み止めの薬は?」、私の問いに答えず、「時間がかかりますので、しばらく通ってください。」と告げられた。別に不親切でもなかったので、そんなものかと、次の日も訪れた。トイレに行っても、お尻の始末もままならない状態なのに、同じ処置しかしない対応に私は不満を持ったが、翌日も通おうかと思っていた。

 『昨日も貰えなかったけど、会社に出す都合があるので、領収書を下さい。』と言う私の要望に、『うちは月に一回まとめて出しているので、その都度には出していません。』と返答された時、私の中で何かがはじけた。予期しない返事だったので、疑問が湧いてきて、ここは信用できないのではとの思いに駆られてしまった。薄れかけていた痛みが、激しくぶり返してくるような、そんな想いであった。

 3日めには、通いつけの診療所に行った。レントゲンを撮って説明を受けてから、注射を打ってもらい薬剤投与の処方箋をもらった。いつもは、高血圧の治療ばかりだったので、整形外科があったことを忘れていたのだ。このことで、痛みは驚くほどに薄れたが、日常生活を取り戻すには、まだまだの状態が続いた。再度痛み止めの注射をうってもらい、タクシーの乗務に戻ろうと試みたが、座席に腰が沈むことで痛みが増して、仕事どころではなかった。

 『2~3週間はかかるから、焦っても仕方がないよ。』、顔なじみの担当医が、慰めるかのようにそう言った。と言われても、最悪の売り上げ状況であるタクシー業界だけに焦らずにはおられないのだ。10日ほどして、何とかなると車で出勤したが、会社にたどり着くまでの50分ほどで腰が凝ってしまい、そのまま帰宅という情けない始末になってしまった。

 発症から2週間を経過した今は、痛みもそれ程ではなくなり、日常生活も正常になりつつある。担当医とも話し合って、痛みを庇うことでますます歪んでしまった骨盤や背骨を矯正したり、固まった筋肉を解きほぐすために、マッサージを受けている。別の整骨院で施術を受けているが、効果はあるようで、もう少しの我慢で痛みから解放されそうだ。……焦らず焦らずにである。付け足しのようであるが、この整骨院でも、領収書の発行は月に一度のことだと言う。整骨院とは、そういう業界なのだろうか? だとしたら、私は、前の整骨院に対して、失礼な感情を抱いてしまったのかも知れない……。

 写真は、2月に訪れた[商売繁盛で笹もってこい!]で有名な西宮の神社であるが、お賽銭が足りなかったのか、私の腰までにはごりやくがなかったようだ………。