2014年4月30日水曜日

まっ、いいか…。

(板橋区の花“にりんそう”の自生群落 4/12)
桜も散って、春は新鮮な息吹の中で花の盛りを迎えている。
写真は、都市部では珍しい”にりんそう”の群落自生地である。ここは、地元の愛好家たちのたゆまぬ努力によって守られてきた。この自生地には、その愛らしい姿を楽しもうと訪れる人も多く、今では一寸した名所ともなっている。
私は毎年この群落地を訪れ、可憐な花との対話の中で春の訪れを実感してきた。今年も当然のごとく対話を楽しんできた。

この時期、我が家のベランダは色とりどりの花々によって装飾される。
毎年のように咲き誇る真紅のシクラメンは、今年もあでやかさを増して目を楽しませてくれた。息子からもらったミニバラも今年に入って2回目の開花を迎えようとしている。それも、一度に6輪もというのだから、その黄色の蕾には期待を膨らませているところである。

(今年も見事に咲きました 4/25)
今年は、例年よりも出歩く機会が多くなっている。
先に命のはかなさについて投稿したように、意識的に今ある自分たちの生活を楽しんでおきたいとの思いからである。

この4月には、長崎への旅行もしたし、孫たちを連れて武蔵丘陵自然公園(国立)にも行ってきた。
新緑の中で、精いっぱい走る周る孫たちと遊べることは、ジジイ冥利に尽きると言ったところでもある。
婿殿の誘いに応じて、下の孫と一緒に海釣りも楽しんできた。成果は今一であったが、何年ぶりかの海釣りは爽快そのものであった。そして、なによりも、孫が釣りに同行できるまでに成長したことがうれしかった。孫との釣行が念願であっただけに、その嬉しさはひとしおである。
足利のフラワーパークに、藤の花も見に行ってきた。ライトアップされた藤の花は、幻想的でさえあった。時期的には少し早めであったが、藤以外にもつつじやシャクナゲが咲き誇っていて、満足のできる花見行であった。

(ライトアップされたおおふじ 4/28)
別に人生を急ぎ終えようとしているわけではないが、この4月は何となく慌ただしく過ごしてしまった。
仕事の事、健康の事、今後の生活の事、孫たちの将来の事、戦争に至りそうな危うい政治情勢の事等々、考えなければならないことや行動すべきことがたくさんあったはずなのに、この4月はミツバチのように花を求めて歩き周ってしまったのだ。出歩きすぎかな?

まっ、いいか…。

2014年4月10日木曜日

慌ただしい旅だった。

(ハウステンボスの一景 4/6)
結婚して42年にもなるのに、夫婦そろっての旅行などは初めてのことである。
いろいろな出来事が多すぎて、旅行どころではなかったのだが、60も半ばを過ぎたところでようやくといったところだ。

といって、この安らぎが私の手によってもたらされたものではないのが残念ではある。そのすべてが、妻のコツコツとした努力の賜物であるので、私としてはただただ頭を下げるのみである。
本当にありがとう……としか言いようがない。

(吉野ヶ里の復元住居群 4/7)
今回の旅行には。妻の姉も同行している。ここのところはよく一緒に行動しているので、何の違和感もなく一緒に楽しんできた。義姉は、10年ほど前に夫に先立たれているので私たち夫婦との外出を喜んでくれている。歳を重ねると相みたがいという感情が湧くようで、いつまでも仲良く過ごしたいものだと思っている。

今度の旅行は、2泊三日という限られた中で、あれもこれもと欲張った慌ただしい日程となってしまった。旅行社のフリープランツアーということだったので、行動範囲を広げるためにレンタカーを使用しての計画を立てた。加えて、妻の要望があれこれと出されるに及んでは、お世話になる身?の私としてはその実現を目指すべく、強行軍もやむなしの計画とせざるを得なかったのである。

(グラバー亭公園からの展望 4/7)
*4/6 PM12:30羽田発→4/8 PM12:35羽田着
(長崎の平和公園記念像 4/7)

(雲仙温泉地獄谷 4/8)
異国情緒たっぷりの町並みは、半日ではとても散策しきれない広さであった。
旅行の目的でもあり期待したイルミネーション・特に3Dを駆使した企画には圧倒され大いに楽しむことができた。一度は倒産の憂き身を味わったハウステンボスだけに、その企業努力の必死さが伝わってきて感動をすら覚えた。事業の失敗から立ち直れないままになっている私にとっては、その立ち直りが大きな励ましともなってくれた。努力なくして再生なしという現実を見せつけられた思いである。

邪馬台国を連想させる「吉野ヶ里の歴史公園」は、その遺跡の広大さからも、古代の村(クニ)を偲ぶのには十分なもので、この旅行中最も満足のできたところであった。建物などの復元が過ぎるきらいもあったが、弥生社会が想像できる遺跡としては申し分がなく、散策時間の足らなさが恨めしい限りであった。

グラバー亭公園は、かって明治維新において賊軍とされた「会津」出身の私にとっては、複雑な心境での見学となってしまった。偏狭的な考えではあるのだが、どうしても【死の商人】としてのイメージが強すぎて、近代日本への貢献という側面では見学できなかった。反省しなければならないとは思っているのだが…。

平和記念公園には訪れる人が少ないのか、人影がまばらであった。私達は、この惨劇をもたらした戦争を再び起こしてはならないとの願いを込めて、祈りをささげた。忘れ去ってはならない記憶なのである。原爆資料館には、多くの外国人も訪れていて、平和の希求がグローバルなものであることを実感した。
世界の三大夜景になったとかで浮かれることなく、平和都市長崎としての発展を願ってやまないところである。

雲仙温泉は、奈良時代の701年に【行基】によって開湯されたものだと、ホテルの若旦那?に教えてもらった。早朝にヘルシー散策だとして周辺を案内してもらった中で教えてもらったのだが、さびれゆく観光地の再発展を模索してのこうした努力が、大きな成果につながることを心から期待している。若旦那ガンバレである。

もっともっと、あちこちと周りたかったが、私達の慌ただしい旅は、とにかく無事に終わった。機会があれば、次回はもっとゆったりとした旅にしたいものである。

2014年4月4日金曜日

桜並木を散歩して

(埼玉県戸田市 荒川土手沿いの桜 4/2)

(同上を土手の上から撮影 4/2)
3月30日の雨の中、義兄嫁の納骨式が行われた。
本当に早いものだ。2月15日の大雪の日に倒れ、雨の日にお墓に入るなど、本当に悲しむべき出来事でしかなかった。それでも、認めざるを得ない現実なのだから、諦めるほかはない。

お墓のある埼玉県武州長瀬は、東京よりは開花がやや遅く、桜はチラホラとしか咲いていなかった。花の好きな人だったので、満開の桜吹雪の中での葬送が似合いだったろうにと、考えたりもした。

写真は、納骨式から3日後の花模様である。
埼玉県戸田市のボートレース場前荒川土手の桜並木だ。水曜日ということもあって、混雑はなかったが、丁度満開の見ごろで、そのあでやかさには圧倒される思いであった。

この桜並木の変貌ぶりには驚かされている。この並木も、私が仕事をバリバリとやっていた30数年前には、若木の並木であまりパッとしたものではなかったが、今は丁度壮年期と言ったところでみごとというほかはない。
たそがれ時に入っている私には、この圧倒的な力強さは眩しいぐらいである。いや羨ましいと言った方が良いのかもしれないな。木々の生命力には感動をすら覚えてもいる。

だから、この生命力を吸収して、65歳で亡くなった義兄嫁の分まで生き抜かねばとも思う。少なくとも、私も妻も、この素晴らしい桜並木の下を、仲良く元気に散歩できているのだから、頑張って行かねば申し訳ないではないか。

(たくましく、幹に直接花を咲かせていた 4/2)