(娘親子が母の日にプレゼントしてくれ た妻へのカーネーション) |
ということで、娘の提案で2つのお祝いを、一緒にすることにした。この日ぐらいは、私の手料理をと提案したが、あっさりと却下されてしまい、妻と娘とが台所に立った。
ちょっとマンネリ化して儀式めいたものとなってきたが、それでもみんなで祝うことができるということは、幸せなことだと思う。こうしたことの繰り返しが、お互いの絆を確認し合い、深め合えるのだとも思う。
この日は、近くの小学校で上の孫がバレーボールの試合に出ると言うので、その勇姿(?)を見に出かけた。早いもので、その孫は小学6年生になっている。
普段は、そのバレーボールのせいで孫と親しめないと文句を言っていたのだが、いざ孫の勇姿(?)を目にするととにかく頑張れと応援してしまうのだから、私も相当に大甘のジジイではある。
孫の奮闘?もあって、孫たちは4チーム中一位(全勝)で次のステージにすすむことになった。得意げな孫の顔が可愛くてたまらない。かってのように髭面をこすりつけたい思いであったが、嫌われてしまうのでそんなことはできない。孫の成長というのは、何とも歯がゆいものでもあるのだ。
(9条の会の講演会チケット) |
申し込んでいた、9条の会の「集団的自衛権と憲法9条」の講演会チケットが届いた。
連休後の安倍内閣の動きは、一気に<戦争のできる国造り>へと突っ走る様相を呈してきている。私たち夫婦のように、まずは憲法の再学習からなどというのでは遅きに失するのかもしれない。今こそ、全国民を挙げての行動が必要になっていると思う。
戦争への道を阻止するための大きなうねりが必要だ。子供や孫たちを戦争にやらないための、とてつもないほどの大きなうねりが必要だ。戦争をたくらむ勢力を押し流すほどの大きく強力なうねりを作り出さなければならない。平和を求める声が、国家という名に包み込まれるのをなんとしても防がなければ、子や孫たちの生死が危うくなる。
朝日新聞の「声」欄にも、憲法改正を是とする意見が多くみられるようになってきた。このようなことはかってなかったことではなかろうか。私たちはいつの間にか、安倍内閣のマインドコントロールに左右されてきているのではなかろうか。危うい、とにかく危うくなってきている。
私は、立ち込めている暗雲を取り払うために行動することを決意した。私のできる限りの行動をとることにした。事業の失敗から萎縮していた心を、奮い立たせることにした。例え一枚のビラ配りからでも具体的に行動することから始めることにした。改憲で炎上するネット上に、平和のための風穴を開ける努力もしたい。9条の会への参加も積極的にすることにした。この緑豊かな日本の国を、【戦争をする国】には絶対にしたくないからだ。可愛い孫たちを戦争に狩り出されたくはないからだ。