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2015年6月27日土曜日

暴走は許さないぞ!

(6/24の安保法制反対行動)
6/24 安倍政権の暴走を止めようと多くの人たちが安保法制反対を叫んで国会を包囲した。私と妻もその包囲行動に参加した。

日々にもたらされる安保法制に関する情報は一刻の猶予も許されない事態を示している。大げさではなく、この国の民主主義は破壊され戦前のような戦争をする国へと変貌させられようとしている。

自分達の意志にそぐわないものには耳をかそうともしないで、何が何でも違憲の法案を通そうとする姿は、かっての軍事国家の独裁的な指導者を彷彿させる。安倍首相の顔つきが、かのヒットラーに重なって見えるのは私だけではないのではないか。

60年安保、70年安保の闘争の時にはこの国会前にはあふれるほど人達が集まった。その規模は正に空前絶後というにふさわしいものであった。国民の意思が行動によって示されていたのだ。私は決して過激な行動をあおるものではないが、スマートフォンにかじりつくばかりで無関心極まりない多くの若者を見るたびに、この国の民主主義はどうなってしまうのだろうと不安に陥れられてしまう。若者よ目覚めよそして奮起せよである。

昨日今日のニュースでは、自民党若手議員の傲慢ぶりが、右翼作家百田氏の言動と相まってその不遜ぶりが報じられている。自民党・政権の意にそわないマスコミは潰してしまえと言う乱暴極まりない傲慢ぶりである。かって、若手軍人が先走って国を暴走させた行動にそっくりではないか。
その暴走をたしめるばかりか、言論の自由だからと容認してしまう安倍首相にはもはや民主主義を語る資格さえもも有しない。恥を知れである。

考えれば考えるほど腹だたしい昨今である。
とは言え、腹を立てているばかりでは暴走を阻止することはできない。この国を戦争へと導こうとするすべての勢力に対して、強烈な反撃をしなければならないと思う。今の私でできるあらん限りの行動をとらねばと思う。もちろん、非暴力の行動をであるが、ターゲットを絞って反撃しようと思っている。負けてたまるかである-----。

2015年3月22日日曜日

絶対に許さない!

(安保法制を憂える新聞報道)
この国の自公政権は、この国を戦争への道へといざなおうとしている。許してはならないことだ。

暴走気味の政権とは言え、少なくとも2~3年前までは、この国の安全保障について国民への配慮が、そこかしこに見られたものである。憲法の規定からもそれなりに慎重な対応をしていたはずである。

ところがである。昨年いや一昨年の秋ごろからは、そういった一切の配慮をかなぐり捨て、露骨に軍靴の足音を轟かそうとする企みが顕著となってきた。憲法を一内閣の解釈で実質的に変えようとしたり、命を弄ぶような自衛隊海外派兵への道を開いたりと、国民を無視した強権政治を始めている。それも数に驕って国民不在で法制化を謀り、憲法の平和条項を骨抜きにしようとさえもしているのだ。

沖縄の民意を無視した辺野古基地の対応などでは、民主主義の根幹をさえ踏みにじって、恥ずべき言動や態度を示している。会談を求める沖縄県知事に会おうとさえしていない。強行的に工事を始めようとして、抗議の県民を排除さえ繰り返している。そのくせ、口先では、平和維持のために地元としっかりと対話を重ねる等とうそぶき、国民を県民を愚弄してはばからない。

(春を告げる白モクレンが咲いている)
今の日本は、民主主義の国だなどと、とても言えた状態ではない。かっての強権政治への復活を企む連中に、国家そのものが蹂躙されている状況だ。こんな中で、愚かにも「八紘一宇」などとの陳腐な言葉を持ち出して、その思想が我が国のあるべき姿の根幹を示すものだなどと得意げに言明する破廉恥な議員まで出てきた。それもあろうことか国会の場で公然として発言してやまないのだから、あきれかえって開いた口もふさがらい。

何を考えているのだ!お調子者め。その標語のもとにどれだけの多くの国民が被害を受け、どれほど多くのアジアの人々が苦しんだのか、考えたこともないのだろうか。恥を知れ恥をだ。

そのような発言を許してしまう今の国会には危機感をさえ感じてしまう。そうしたことを許している政権の本質が露骨すぎて、その政権に狂おしいほどの憤りを感じている昨今でもある。

今年も桜の季節を迎えようとしているが、その桜さえも国家主義に散り乱されそうで不安でたまらない。戦争は絶対に許してはならないのだ。絶対にである。

                                               

2014年6月25日水曜日

またまた妥協ですか?

(公明党の妥協を伝える朝日新聞)
公明党が政権に絡むようになってから、こうした記事を何度読まされたことか。そして、その妥協の都度、日本の政治が右傾化への速度を速め、戦争への道を急速に歩み始めていることに何度も危惧を感じてきた。その危惧がとうとう現実のものとなってしまった。

極論だが、今日の危険な政治情勢を作り出した責任は公明党にあると言っても過言ではない。自民党の暴走を許しているのは、その補完勢力として、妥協に妥協を重ねてきた同党にこそその責任があるのだと思う。

政権にしがみつきたいがためのその妥協の連続が、この国をいかに不安な国とさせてきたか、彼らはおそらく気づいてはいまい。
振り返ってみてもその妥協の歴史は、枚挙にいとまがないのである。

そして、その妥協の言い訳も決まりきった文言で、「わが党の存在が自民党の暴走を阻んでいる。政権に入っているから、児童手当等の福祉政策も実現もできている。だから、政権に入っている事は絶対必要なことだ。それに、池田創価学会名誉会長の国会喚問を阻止できているのも、与党だからこそだ。」と…。
善良な支持者や学会信者は、その言い訳を信じて今日まで来ている。

いつものことながら、彼の党は、重要法案に関しては、最初は必ず抵抗の姿勢を見せている。そして、必ずと言っていいほどの妥協を繰り返してきた。先の言い訳を続けながらである。

今回の集団的自衛権の問題でも、平和の党だからと、反対のパフォーマンスをとっていたが、飯島内閣参与に、「名誉会長喚問」を示唆されると腰砕けになってしまい、記事のような妥協に追い込まれてしまった。とは、私の穿った見方であろうか。

そもそも、彼の党と自民党との政策協議の中に、自衛隊を戦争に駆り出すような集団的自衛権の政治課題が入っていたのだろうか。おそらくは入っていなかったはずである。そのことが政権協議に入っていたのなら、心から平和を希求する支持者や学会信者が納得しないからである。だから、今回も抵抗しているかのようなパフォーマンスが必要だったのだとしか思えない。政策協定にも入っていない重要問題を押し付けられるなど、政党としての資質を疑わざるを得ない。

公明党の妥協の歴史を遡ってみる。

その最初が、選挙制度の改悪に賛成した、小選挙区制の導入であった。この時も、最初は頑強に抵抗した。でも、結局は政治的駆け引きで妥協した。その結果が、今日の大政党(自民党)有利に作用することなど見え見えの事であったのにである。揚句は、政党助成金制度などで税金の流用にまで甘受しているのだから、彼の党の本質やいかんといったところである。

(お地蔵さんだって、憂えている)
思えば、戦争への危険を増大させたのは、それまでの党是を破棄して日米安保容認に転じ、自衛隊のPKO派遣に賛成してからである。その結果、アフガン戦争への後方支援やイラク戦争への協力、PKOを名目とする海外への自衛隊派遣と拡大の一途をたどるに至った。

国民を苦しめている消費税の導入やその税率アップも、一部の条件を付したとして妥協している。安倍内閣の経済政策が、大企業本位に立ったものであることを知らぬはずはないにもかかわらずである。彼の党の補完的役割で、どれだけ国民生活が脅かされいるかなど、支持者や学会信者はどれほど理解できているのだろうか。

原発の再開や海外輸出、武器の製造と輸出の緩和、秘密保護法案可決、と最近の安倍内閣はやりたい放題である。それができるのは、与党であり、友党?でもある公明党の協力が見込めればこそである。彼の党は、完全になめられているのだ。政権にしがみつきたい本音を、自民党に見透かされているからにほかならないのである。

今たくまれている、戦争への参加をもたらす集団的自衛権問題は、憲法の精神を根本から否定しようとするものである。この大事な国民的課題を、憲法の改正もなしに一内閣の解釈で変えようとしているのに、彼の党は報道のごとくまたまた妥協しようとしている。

彼らは、平和の党と自称してきた誇りも矜持もすべて失ってしまったのであろうか。支持者や学会信者への背信行為をまだまだ続けるつもりであるのだろうか。かっての結党精神はどこに行ってしまったのか。

しっかりと目を覚ませ公明党。国民の期待を裏切ってはならない。

2014年5月2日金曜日

今こそ憲法を学び直す時!

(孫と遊んでいる模型飛行機 5/2)

明日5月3日は憲法記念日である。テレビでこの連休について、それぞれ何の祝日であるかのインタビューをしていたが、残念なことに憲法記念日を知っていた人は4割にも満たなかった。ただ休日で有ればよいと考えている国民が多いということらしい。

昨日の朝日新聞に、ナチスの蛮行を容認したり、日本の侵略戦争を正当化したりする若者が増えているという記事が掲載されていた。最近問題となっている、図書館や書店での「アンネの日記」を破る事件も、こうした流れの中でのことだと危惧もしていた。

ツイッターやUチューブでの、中国・韓国を誹謗する投稿の多さには、目を覆うばかりである。その内容も悪意に満ちた、卑劣な言葉を浴びせかけると言った愚劣なものがほとんどで、何の説得力も主張をも持たない稚拙なものでしかないが、お互いに煽りあって興奮している様は恐怖さえ覚えるほどだ。

(ベランダのミニバラ 5/2)
こうした民族主義的ナショナリズムの台頭は、安倍内閣のすすめる極端な右傾化政策の産物でしかないのだが、放置しておいてよいものではない。さも表現の自由から政治に参加しているように偽装してはいるが、その実態は言葉や映像を用いての暴力にほかならず、軍靴を響かせる危険な序章となりかねないからだ。どのような形であれ、暴力主義のはびこりを許してはならない。

その危険な芽を早めに摘み論破するのには、私たち自身がしっかりとした平和主義で身を鎧わなければならないと思う。
だからそのために、私達は、今こそ世界に誇れる日本国憲法を学び直す時であると思う。平和主義の大切さを再度考えあわせる必要があると思うのだ。

私達夫婦は、今、遅ればせながらではあるが、戦争反対・原発反対のための一歩を踏み出すことにした。9条の会主催の講演会に参加することから始めようと申し込んだ。その一歩が小さくとも、平和を求める大きなうねりの一雫として役立てるようにと願ってのことである…。