(南三陸町の被災庁舎 9/22) |
歳のせいなんだろうか、盛夏に帰省することにためらいを感じるようになった。
私の郷里は、福島の会津である。東京からは、高速道路を使用すると丁度300キロぐらいの距離で、3時間30分ぐらいで帰れる。
今年は、会津から足を延ばして気仙沼(大谷海岸)のおばさんの墓参りをすることにした。実に、中学2年生以来の52年ぶりの訪問である。そのためか、道筋の記憶もあいまいで、カーナビ頼りの心もとないドライブとなってしまい、会津からの距離は、400キロ弱であったのに、5時間近い時間を要してしまった。
いとこ夫婦は、大谷海岸という海水浴場のある海辺の町に住んでいたが、あの大震災のために跡形もなくすべてを流されてしまい、今は高台にある仮設住宅での生活を余儀なくさている。
おばの墓は、高台にあって津波の被害は免れていた。私は、線香をたむけながら、懐かしい叔母や小父の顔を思い出していた。かってのチリ地震の際の津波を語ってくれたことなども併せて思い出していた。それにしても、あらためて自然の力の恐ろしさを知らされた思いであった。
いとこ夫婦からの三陸の味の供応を受けてから、気仙沼を訪れた。その気仙沼は、あの港祭りで賑わっていた漁港の面影はどこにもなく、ガランとした復興中の様相でさびしい限りであった。
(ガランとした復興中の気仙沼港 9/22) |
どこかの首相が、しらじらしくも復興は進んいる等と言いきっていたことを考えると腹だたしくてならない。どう進んでいるのだという思いである。途中の切れ切れに寸断されていた鉄道の様子や、荒れ果てたままの小さな漁港の姿には、ただただ慨嘆するほかはなかった。
写真の建物跡には、バスで訪れる人も多く、皆一様に心からの冥福を祈っていた。繰り返し報道された、最後まで避難放送を続けたという建物だけに、皆感慨もひとしおの様子であった。それにしても、かの建物を飲みつくした津波とは---考えるだに 恐ろしい自然の脅威である。
被災地の復興はまだまだである。オリンピックなどと浮かれていてはならないのである。
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