2014年11月25日火曜日

絶景かなは、アンチの行動?

(湖東三山の内、西明寺の紅葉 11/16 )
京都の紅葉を楽しみたいとの妻の希望で、湖東三山(百済寺、西明寺、金剛輪寺)と嵐山(トロッコ列車、天龍寺、渡月橋)、それに清水寺・南禅寺という一泊2日の超過密ツアーに参加してきた。

いつものように、妻の姉と3人での老人旅行であったが、今回は山登りに行ったような場所が多く、ただただ疲れたという感じであった。それにしても、有名寺院はなにゆえにかくも山中にお堂を建てたがるのかと首を傾げた次第である。ありがたや 苦難の末の 御本尊 といったところであろうか。とにかく、石段の多いお寺さんばかりである。

(清水寺の舞台から 11/17 )
清水寺の舞台からの遠望は素晴らしかった。かくも大がかりな木造建造物を築き上げた先人達には畏敬の念を覚えざるを得ない。
都をとりまく周囲の山々に古刹が多いのは、為政者の思惑が働いての事であろうが、それにしてもその権力の大きさには驚かされてしまう。駆り出され、絞りとられた庶民の苦しみはいかばかりであったろうか。でも、矛盾するが、その庶民はありがたい教えや巨大な建造物に歓喜して拝跪したに違いないのだ。権力者の思惑通りにである。

いつの世も、権力者は自己の勢力を誇り保存するために詭弁を弄して庶民を騙そうとする。このことは古今を通じてなんら変わることはない。時には、天変地異の禍までも政治的に利用する。権力を弄ぶものは、庶民などは道具でしかありはしないのだ。
(絶景かなーで有名な南禅寺の山門 11/17 )

かの石川五右衛門は、時の権力者・秀吉に逆らいその鼻を明かそうとして捕まったのだとの逸話がある。そのために、見せしめとして釜茹でにされてしまったというのである。だから、彼は大泥棒などではなく庶民のヒーローたる反逆者であったというのだ。真偽のほどは別として、その絶対権力者に立ち向かった姿には喝采を送ってもいいのではなかろうか。

1強5弱の中で暴走を続ける安倍政権は、あろうことか国費700億円を無駄遣いしてまで大義なき選挙を挙行してしまった。国民愚弄も甚だしいものである。しかるに、暴挙でしかないこの事態に際しても、いまだに40%近い支持を得ているというのだから、私にはとても信じられないことだ。2年前に安倍政権を許して窮地に立たされたはずの国民は、またまた同じ轍を踏もうとしているのだろうか。

戦争をしたいのですか?戦前の日本に戻りたいのですか?この際、しっかりと考えましょうよ!国民の一人一人が、平和のための五右衛門になりましょうよ……。


2014年11月13日木曜日

老いるとは?

(かりんの実を見上げて)
あの台風にもめげず、団地内のかりんは吹き落とされることもなく枝にしっかりとしがみついている。そしてそのたくさんの実たちが、黄色に熟して周りにかぐわしいにおいを降り注ぐようになった。

洗面器の中では、お祭りですくってきた金魚が元気に泳いでいる。3尾いたのだが、1尾は脱出を図ったのか、器の外に飛び出して干からびてしまった。可哀そうだったので妻と一緒に植木鉢の片隅にお墓を作って弔った。
そんなこともあって、この絵を描いた後に小さな浄化装置の着いた水槽を買って引っ越しさせた。だから、今ではブクブク泡立っている水槽の中を元気に泳ぎ回っている。

(お祭りですくってきた金魚)
最近、仏心(ほとけごころ)について考えることが多くなった。蜘蛛をつぶしたり、ゴキブリを叩いたり、虫をつまんだりした時などは特に考え込んでしまう。今まで何の気なしにしていた、そうした行為がすごく罪深いもののように感じられてならないのである。

金魚は弔うのにゴキブリなどは当然のように殺してしまう。その差には自分でも納得できない何かを感じてしまうのだ。とりわけて仏教の教えを信じているわけでもないのに、何故かもののあわれを考えてしまうのである。

齢67に至っての心境の変化とでも言えるのだろうか。思いまどろむことの多い昨今である。普段は、政治への不満をたぎらせてあれこれと憤っているはずの自分が、この頃では空の青さや、木々の色づきに目を奪われることが多いのだ。

老いるとはこうしたものなのだろうか?