2015年3月23日月曜日

孫たちも大きくなっている。

(この子が中学生になる)
写真は、一番上の孫娘である。
何年前のものであろうか。天真爛漫に菜の花の中を駆け巡る姿は、思いだすも懐かしいものである。この子が、この春には中学生となるのだ。

その成長の過程には、いろいろなことがあった。特に保育園時代の送り迎えには思い出が多い。ヨチヨチ歩きの孫娘と手をつないで、帰宅途中のあれこれに目を向けることは楽しいものであった。

猫のニャンコを捜したり、金魚の金ちゃんを見つけたり、近所のおばあちゃんにリンゴをもらったりとまっすぐ帰りついたことなどはなかったものである。とにかく孫娘の送り迎えは楽しいものであった。手を挙げて嬉しそうに飛びついてきた姿が目に焼き付いてはなれない。

今、この子はバレーボールのクラブチームに入っていて、なかなか一緒の時を過ごすことができない。それが成長するということであることは分かっているのだが、寂しいことである。今でさえそうなのだから、中学生になったら今以上に会えなくなってしまうだろう。

ジジイなんてものは勝手なものである。大きくなったと言って喜びながら、会えなくなるからと寂しがるのだから本当に勝手なものである。

この孫娘ばかりではなく、二人の孫息子も大きくなっている。この春には二人とも小学校に入学する。その内の一人は、ランドセルなど背負いきれないのではと思うくらいに小さな体が心配ではある。自転車に乗りたいと言って、補助輪なしで練習する姿に思わず手を差し伸ばしてしまうのだが、あまり手を差し伸べすぎもいけないかとも考えてしまう。とは言え、その自転車で、じいちゃんのところに泊まりに行きたいなんて言われると、ついつい手を出してしまう。本当に困ったものである。

孫たちは順調に育ってきている。この孫たちの為にももうひと踏ん張りしなくては思うこのごろである。戦争など絶対に許さないぞ!


2015年3月22日日曜日

絶対に許さない!

(安保法制を憂える新聞報道)
この国の自公政権は、この国を戦争への道へといざなおうとしている。許してはならないことだ。

暴走気味の政権とは言え、少なくとも2~3年前までは、この国の安全保障について国民への配慮が、そこかしこに見られたものである。憲法の規定からもそれなりに慎重な対応をしていたはずである。

ところがである。昨年いや一昨年の秋ごろからは、そういった一切の配慮をかなぐり捨て、露骨に軍靴の足音を轟かそうとする企みが顕著となってきた。憲法を一内閣の解釈で実質的に変えようとしたり、命を弄ぶような自衛隊海外派兵への道を開いたりと、国民を無視した強権政治を始めている。それも数に驕って国民不在で法制化を謀り、憲法の平和条項を骨抜きにしようとさえもしているのだ。

沖縄の民意を無視した辺野古基地の対応などでは、民主主義の根幹をさえ踏みにじって、恥ずべき言動や態度を示している。会談を求める沖縄県知事に会おうとさえしていない。強行的に工事を始めようとして、抗議の県民を排除さえ繰り返している。そのくせ、口先では、平和維持のために地元としっかりと対話を重ねる等とうそぶき、国民を県民を愚弄してはばからない。

(春を告げる白モクレンが咲いている)
今の日本は、民主主義の国だなどと、とても言えた状態ではない。かっての強権政治への復活を企む連中に、国家そのものが蹂躙されている状況だ。こんな中で、愚かにも「八紘一宇」などとの陳腐な言葉を持ち出して、その思想が我が国のあるべき姿の根幹を示すものだなどと得意げに言明する破廉恥な議員まで出てきた。それもあろうことか国会の場で公然として発言してやまないのだから、あきれかえって開いた口もふさがらい。

何を考えているのだ!お調子者め。その標語のもとにどれだけの多くの国民が被害を受け、どれほど多くのアジアの人々が苦しんだのか、考えたこともないのだろうか。恥を知れ恥をだ。

そのような発言を許してしまう今の国会には危機感をさえ感じてしまう。そうしたことを許している政権の本質が露骨すぎて、その政権に狂おしいほどの憤りを感じている昨今でもある。

今年も桜の季節を迎えようとしているが、その桜さえも国家主義に散り乱されそうで不安でたまらない。戦争は絶対に許してはならないのだ。絶対にである。