(安保法制を憂える新聞報道) |
暴走気味の政権とは言え、少なくとも2~3年前までは、この国の安全保障について国民への配慮が、そこかしこに見られたものである。憲法の規定からもそれなりに慎重な対応をしていたはずである。
ところがである。昨年いや一昨年の秋ごろからは、そういった一切の配慮をかなぐり捨て、露骨に軍靴の足音を轟かそうとする企みが顕著となってきた。憲法を一内閣の解釈で実質的に変えようとしたり、命を弄ぶような自衛隊海外派兵への道を開いたりと、国民を無視した強権政治を始めている。それも数に驕って国民不在で法制化を謀り、憲法の平和条項を骨抜きにしようとさえもしているのだ。
沖縄の民意を無視した辺野古基地の対応などでは、民主主義の根幹をさえ踏みにじって、恥ずべき言動や態度を示している。会談を求める沖縄県知事に会おうとさえしていない。強行的に工事を始めようとして、抗議の県民を排除さえ繰り返している。そのくせ、口先では、平和維持のために地元としっかりと対話を重ねる等とうそぶき、国民を県民を愚弄してはばからない。
(春を告げる白モクレンが咲いている) |
何を考えているのだ!お調子者め。その標語のもとにどれだけの多くの国民が被害を受け、どれほど多くのアジアの人々が苦しんだのか、考えたこともないのだろうか。恥を知れ恥をだ。
そのような発言を許してしまう今の国会には危機感をさえ感じてしまう。そうしたことを許している政権の本質が露骨すぎて、その政権に狂おしいほどの憤りを感じている昨今でもある。
今年も桜の季節を迎えようとしているが、その桜さえも国家主義に散り乱されそうで不安でたまらない。戦争は絶対に許してはならないのだ。絶対にである。
0 件のコメント:
コメントを投稿