2015年11月30日月曜日

右へ右へと----。

(昭和40年代の冬の郷里―会津磐梯山を臨む)
写真は、昭和40年代初めのころの冬景色である。遠くに磐梯山を配した雪景色は得がたいものであった。
この風景は、高校卒業を目前にした雪解けの時期であったろうか。就職で上京する私にとっては、名残の尽きない景色となって、今も心の奥深くにしまわれているものだ。

「戦争はとてもいけないものだから、先生たちは反対しているんです。」「あなたたちを戦場に送り届けたくないから、声を上げているんです。」
60年安保闘争の時に、小6だった私たちに話してくれた先生の言葉は、今もこの耳に残っている。

「君たちは、アカと言って揶揄するけど、アカってどういうことを指して言うのか知っているのか。」
「アカは働く人たちの尊い血の色で、働く人たちのために闘う象徴的な色でもあるんだよ。」
高校3年の時の国語の先生の話は、胸に響くものであった。何も知らずに、粋がってその先生をアカ呼ばわりした恥ずかしさが思い起こされてならない。

私たちの学んでいた昭和の30~40年代は、先生たちとの会話はある程度自由であった。だから、先生たちの一言一言は、それなりに私たちの心に染み入るものが多かったと思う。先生たちもまた、子供たちをどう教育しようか、子供たちの未来をどう守っていこうかといった姿勢を、前面に押し出していたと思う。そうした中での信頼関係は、その後の受験一辺倒に走ったお仕着せ教育とは違って、人間的な血の通いあいを感じさせたものであった。

(3年前の孫の入学式―H13.4)
2枚目の写真は、2年前の孫の入学式の写真である。その時の印象は、このブログでも書いたように形式ばったもので、国旗掲揚や国歌重視といった側面が見え見えで、孫たちの将来に暗澹たる思いをさえ抱いたものであった。

最近の自公政権下における、国家的圧力による政治的右傾化は目に余るものが多く、その急速な押し付け政策には、目を覆うばかりである。

報道機関への圧力はもちろん、右翼組織を利用しての歴史の修正をはじめ、教育への介入によってつくられつつある戦前回帰への道徳普及、自衛の名目による戦争準備への強化など、あげたらきりのない押し付けぶりである。

それも、秘密保護法の制定や、軍事産業への加担、戦争法案の強行突破など、虎視眈々として軍事国家再生をめざす下準備をした上でのことだけに、悪質も極まりないものである。

国民よ目覚めよである。沖縄では、民主主義も人権も国家の名のもとに犯されているではないか。機動隊を派遣までして沖縄県民を弾圧しているではないか。見過ごしていけないのだ。この国が右へ右へと傾いていくのを見過ごしては、絶対にならないのである。

2015年11月22日日曜日

負けてたまるか!

(マイナンバー配布の不在通知―27/11)
かっての赤紙(召集令状)でもあるまいに、赤色の不在通知書とはなんとも縁起が悪い。借金や滞納税の督促状でもなかろうに、感情を逆なですることこの上ない通知書だ。

最初から、このマイナンバー制度については異論が多かったが、国民を管理下に置こうとする自公政権は、国民の了承を図ることもなく遮二無二推し進めようとしている。安保法制下の国づくりのために必要だかろうか。国民をなめるのもいい加減にしてほしい。

案の定、不在通知書を受け取っても郵便局に出かけない人たちが多く、通知書が役所に戻されているということだ。当然のことだと思う。自分たちを管理束縛するためのものに、積極的に協力などできるはずがないではないか。

このままの状況が推移すれば、マイナンバーを保持しない国民が、数百万人にも達するかもしれない。そうなったら、国家的一大事であるはずだが、それでもそのまま見切り発車することになるだろう。将来に禍根を残そうとも、政府の狙いが、国民総背番号による国家統制にあるのだから、強引な押し付けをやめることはないと思われる。

(辺野古での政府欺瞞を伝える東京新聞―27/11)
安保法制化の軍事国家には、国家統制のとれる財政的裏付けがどうしても必要だから、いいも悪いもなく国民から搾り取る姿勢を強めることは間違いない。それが自公政権の本質なのだから。

私たちは、産軍一体の国家方針で戦争を遂行し、国民に塗炭の苦しみを与えたあの軍閥政治を忘れてはならない。
秘密保護法のもとに、国民の目と耳をふさいで戦争に突っ走ったあの暗黒専制政治を忘れてはならない。
産学一体の名のもとに、軍事教育を敷いて軍事開発を促し、前途洋々たる学生を愛国の名のもとに戦場に送った、あの明治外苑での狂気の行進を忘れてはならない。
そして、かっての軍閥体制下で、私たちの父祖が、どのような抑圧下で戦前戦中を過ごしたかを、思い起こさなければならないのだ。

今まさに、すぐそこに危機は迫っている。フランス・パリでのテロ事件を契機に、安倍政権は、かってのような言論弾圧を企んで、「共謀罪」の再提出をさえ目論んでいる。一挙に軍事体制を作ってしまおうという考えだ。「日本会議」なる右翼組織が、憲法改正を叫んで蠢動していることもその一端だ。ネット右翼などはすでにヒステリー状態となっており、ハイルヒットラーを彷彿させている。

日本人は、正邪の判断によらず感情に流されやすい。そのことが、反テロを口実とした専制国家体制づくりに利用されようとしている。軍国坊ちゃんたる安倍は、今をチャンスと翼賛体制を築こうとしている。本当に、危険極まりない情勢だ。

私たちは、心して自公政権を監視しなければならない。戦争への道を、なんとしても阻止しなければならない。そのためにも、戦争反対の闘いを絶え間なく続ける必要があるのだ。暴走政権の圧力によって、正論は押しつぶされようとはしているが、必ずや勝利すると私は確信している。正義が負けるはずはない、負けてたまるかである。

2015年11月18日水曜日

存在意義なし?

(H26/11の京都旅行―「絶景かな」の南禅寺)
腰を痛めてのたうち回っている時に、情けないニュースが飛び込んできた。あまりなまでの不快感に腰の痛みが増幅されてしまった。

それは、細野豪志・前原誠司などが、本音を露にして民主党年内解党論をぶちまけたからだ。前々から分派的行動を続けていたので当たり前といえば当たり前であるのかもしれないが、それにしても、タイミングを計ったようなその行動には、顰蹙を通り越して政治家としての良識をさえ疑わざるを得ない。正直、バカじゃないのといったところだ。日本をどうしたいと思っているのか。

彼らは、立憲主義・民主主義が犯されている今の危機的現状を、認識できていないのであろうか。先の延長国会で明白となった、自公政権による平和主義への挑戦を、本当に理解しているのだろうか。

理解していないのだとしたら、民主党員としてこれまでとってきた彼らの行動は、単なるパフォーマンスでしかなかった言うことだ。戦争反対!民主主義を守れと訴え続けた大多数の国民を裏切り続け、破壊者自公政権を裏から助けていたと言うことだ。平和を求める多くの国民をだまし続けてきたということだ。

共産党とは相いれないだとか、理想とする民主党の党是に反するとかを理由にして、戦争勢力と対峙する勢力の大同団結をつぶそうとして躍起になっているあんたたちは何者なのだ!民主勢力の内部分裂を図る政権側の回し者だったということなのか。恥を知れ恥を!戦争の危機が迫っている時に、今あなたたちのやろうとしている行動は、かっての翼賛政治家の行動そのものだということが分からないのか。

あなたたちに民主的政治家を名乗る資格はない。民主勢力一員としての存在意義すらもない。そんなに権力に縋りつきたいのなら、さっさと自公勢力側にすり寄っていけばいい。私たちには必要はないのだから。
石川五右衛門は、アンチ独裁を叫んだと言われている。あなたたちも、少しは見習うがいい!



2015年11月15日日曜日

とにかく痛かった!

(秋の味覚・柿/練習画題模写)
<ギックリ腰で大騒ぎ>

朝目覚めた時に、なんとなく腰に違和感を感じた。布団を押し入れにしまったあたりから、鈍い痛みのような感じがあったけど、それほど気にするほどの痛みではなかった。

朝食をとり食器を洗おうとして中腰になったら、徐々に腰の痛みが強くなってきた。それこそ、徐々に徐々にである。あれあれという言う感じで腰が固くなってくるのが感じられて、これはやばいことになりそうだと急いで食器を洗い終えた。別にギクッとしたことがあったわけではないのに、このころには歩くのが辛いぐらいの痛みに変わっていた。余りの辛さに畳に横たわったら、妻が心配して声をかけてきた。

冷やしたら楽になれるかもしれないと、薬箱から「冷えピタ」をとりだし痛い部分に貼った。ひんやりした冷たさに幾分か痛みがやわらいだので、そのまま横になって少し眠った。眠りから覚めてからは、痛む腰をさすりながら、いつもの日常に戻った。―10/24(土曜日)―

浴槽に入って温めては悪いのではとの妻の言を受けて、シャンプーと髭ぞりだけを済ませて就寝したが、なかなか眠られずに何度も寝返りを繰り返した。ところが、その寝返りが思うに任せなくなってしまい、トイレに起きだすのも一苦労になってしまった。体全体が硬直した感じになってしまったのだ。これはかってのギックリ腰と同じ状態だった。そこで、腰をゴムバンドで押さえて腰にかかる負荷を減らすことにしたが、そんな対応は一時しのぎでしかなく、とうとう身動きができない状態になってしまった。


(野菜/練習画題模写)
 それでも痛みに耐えながら、湿布薬や痛み止めの薬で火曜日まで我慢したが、翌日の「日帰り同級会」に参加するかどうかで悩むことになった。と言うのは、同級会を日帰りにすることにしたのは、私の要望であったからだ。その私が参加しないとは言いづらかったのである。

<無理をして同級会に>

今年の同級会(小中学校時代)は、巣鴨のレストランでフレンチのコース料理を楽しむという趣旨のものであった。安くて美味しいとの評判だとのことでとても楽しみにしていた。併せて近くの巣鴨地蔵尊にお参りしようとのプランでもあった。

巣鴨であれば、私のところから地下鉄で30~40分のところであるから、少しぐらいの無理は大丈夫だろうということで無理を承知で出席した。そして、コース料理を楽しんだり、お参りしたり、カラオケをしたりと、痛い腰をさすりながら同級生と旧交を温めてきた。

<痛み止めの注射を何か所にも>

楽しみの後にはなんとやらで、その夜から、トイレで紙を使用できないぐらいの状況に陥ってしまった。本当に這うような具合であった。翌日(木曜日)には、とうとう我慢が出来なくなってしまい、何とか病院にたどり着いて診察を受けた。レントゲンで腰を撮ってもらったら、先に痛めていた部分がさらに変形しているとかで、絶対減量を仰せつかってしまった。不節制の報いだとなじみの医師に笑われてもしまった。あげくは、背中からお尻にかけて、何か所も痛み止めの注射を打たれたのである。

今日(11/15)に至って、ようようにして痛みも薄れたが、なんとも辛い二十日間余りであった。わかっていても不節制してしまう自分のせいなのではあるが、なんとかならないものかと愚痴ってしまう自分でもあるのであきれているところである。

減量は一日にしてならないのである。肝に銘じよ!だ。