(昭和40年代の冬の郷里―会津磐梯山を臨む) |
この風景は、高校卒業を目前にした雪解けの時期であったろうか。就職で上京する私にとっては、名残の尽きない景色となって、今も心の奥深くにしまわれているものだ。
「戦争はとてもいけないものだから、先生たちは反対しているんです。」「あなたたちを戦場に送り届けたくないから、声を上げているんです。」
60年安保闘争の時に、小6だった私たちに話してくれた先生の言葉は、今もこの耳に残っている。
「君たちは、アカと言って揶揄するけど、アカってどういうことを指して言うのか知っているのか。」
「アカは働く人たちの尊い血の色で、働く人たちのために闘う象徴的な色でもあるんだよ。」
高校3年の時の国語の先生の話は、胸に響くものであった。何も知らずに、粋がってその先生をアカ呼ばわりした恥ずかしさが思い起こされてならない。
私たちの学んでいた昭和の30~40年代は、先生たちとの会話はある程度自由であった。だから、先生たちの一言一言は、それなりに私たちの心に染み入るものが多かったと思う。先生たちもまた、子供たちをどう教育しようか、子供たちの未来をどう守っていこうかといった姿勢を、前面に押し出していたと思う。そうした中での信頼関係は、その後の受験一辺倒に走ったお仕着せ教育とは違って、人間的な血の通いあいを感じさせたものであった。
(3年前の孫の入学式―H13.4) |
最近の自公政権下における、国家的圧力による政治的右傾化は目に余るものが多く、その急速な押し付け政策には、目を覆うばかりである。
報道機関への圧力はもちろん、右翼組織を利用しての歴史の修正をはじめ、教育への介入によってつくられつつある戦前回帰への道徳普及、自衛の名目による戦争準備への強化など、あげたらきりのない押し付けぶりである。
それも、秘密保護法の制定や、軍事産業への加担、戦争法案の強行突破など、虎視眈々として軍事国家再生をめざす下準備をした上でのことだけに、悪質も極まりないものである。
国民よ目覚めよである。沖縄では、民主主義も人権も国家の名のもとに犯されているではないか。機動隊を派遣までして沖縄県民を弾圧しているではないか。見過ごしていけないのだ。この国が右へ右へと傾いていくのを見過ごしては、絶対にならないのである。