2016年3月28日月曜日

治安維持法は許さない。

(春まだ浅い吉見観音三重塔―3/22)
治安維持法の下、特高警察によって無残に殺害された小林多喜二の写真を見た。写真は、その悪法の何たるかを如実に示している。本当にひどい時代であったと思う。

その点、今の時代は、戦争の反省から得た平和憲法によって、まがりなりにも社寺巡りなども楽しむことができる。この自由を勝ち取ってくれた先人達には、感謝の念で一杯だ。

しかし、昨今の政治情勢は、安倍政権のために急速に悪化の一途をたどってきている。予断を許さない状況だ。軍靴の響きが間近に迫っているのを、肌身で感じるようになってきている。危ないことこの上ない。

現代版の治安維持法を形作るためか、破防法に加えて秘密保護法を暴挙によって法制化した。もちろん、国民の思想や結社の自由を奪うためにである。なにがなんでもアメリカのポチ軍隊を目指す安倍政権は、露骨に国民への挑戦を開始した。なりふり構わずといったところだ。国民が反対を唱えようが抗議しようが、ルールも何もかもをも無視して、軍事国家への道を暴走しだしている。公明党・大阪維新が一緒であることは言うまでもない。
                                 
(吉見観音で剪定されていた桜の小枝に花が咲いた-3/27)
何がそこまで暴走させているのかは、私には理解ができないが、感じられるのは、妄執にも似た権力へのあくなき執着である。そこには、国民への思いやりや励ましは少しも感じられず、ドロドロとしたヘドロ状態での確執のみが見受けられる。自己陣営の利益のみを追及してやまない姿は、ただただ恥ずかしい限りである。

消費税の軽減税率を巡っての策謀や、PPT交渉の詐術にも似た取り決め、加えてメディアへの度重なる干渉と圧力、甘利問題に対しての馴れ合いたと腐敗しきった妥協等、取り上げるのも嫌になるぐらいだ。

ここにきての、北海道民を裏切った鈴木父娘の蠢動は見苦しい。共産党憎しとはいえ、破防法までを持ち出すとはビックリポンの道化でしかない。とち狂ったと言われても仕方がないであろう。だいたいにおいて、彼らに政治理念や思想性があるのだろうか。疑わしい限りである。都合によって民主に行ったり自民にすり寄ったりと、その節操のなさは目を覆うばかりだ。

日本の軍国主義者やドイツのヒトラーが「反共」を唱えてどういう結果を招いたかをよく考えてほしいものだ。戦争は「反共」を足掛かりとして始まる。「反共は戦争前夜」と言われる所以を、よく考えてみればいい。安倍政権を利するための「反共」は、国を亡ぼすことにつながることを肝に銘じるべきだ。父娘して何をしているんだあなた達は!

2016年3月7日月曜日

鵺(ぬえ)は国会から去れ!

(今年も咲いたシクラメン-3/5)
もう何年になるだろうか。今年もシクラメンが咲いた。
ほとんど手入れもしていないのに、毎年可憐に咲き誇ってくれている。最初のころは、暮れから正月にかけて開花していたが、この頃では、3月から4月にかけて開花するようになった。気候変動のせいででもあるのだろうか。だとすると、開花時期が早まりそうだとも思えるのだが、どうだろうか。それとも、手入れが行き届かないせいで、花そのものの開花力(生命力)が弱まったということなのだろうか。

手入れもしないで、開花力を云々するなど、花(写真のシクラメン)に対して失礼に過ぎるかもしれないが、毎年咲き誇ってくれていることには感謝しているので、花さんには勘弁してほしいところである。ともかく、理屈抜きに「今年も咲いてくれてありがとう」と言いいたい。本当にありがとう。

ここのところ、国会中継をよく見ている。受信料は払っているのに中継の少ない(意図的かどうか?)NHKでは物足りなくて、インターネット中継を主として利用している。高校野球などは、2チャンネルに変えてまで全試合をほぼ完全に放送(中継)しているのに、国会審議に至っては、中途でも放送を打ち切ってしまう。そのカット部分は深夜に放送しているからと、その対応のまずさをしきりに弁解しているが、そうした扱いを受けているのが小規模な政党であることは覆い隠している。

(枯れたと思っていたミニバラが復活した-3/5)
高市総務大臣は、そうしたNHKの不公平をこそ指弾すべきであって、メディアによる政権批判を押しつぶそうなどとの圧力を加えるべきではない。思想信条にかかわる放送内容に関しては、権力側はいかなる干渉をも慎むべきなのだ。放送法の成立過程が、今日の平和憲法成立と軌を一にして、戦争からの反省に根差していることは言うまでもない。つまり、放送法は、二度と戦争に加担しないというメディアの強い自己批判による表現の自由を守るための自己規範だ、ということを忘れてはならないのだ。その法の精神も理解しないで、権力によるメディアへの規制法であると解釈するなど、断じて許されることではない。勘違いも甚だしいし、驕りもいい加減にしろというものだ。

そのおごる政権におもねる勢力もある。国会議員としての任務や役割を本当に承知しているのかと疑いたくなってしまう。国会が招請した公述人に対して、あろうことか、侮蔑した対応をなし捨て台詞まで吐き散らした愚か者がいたのだから、あきれ返ってしまう。いかに何でもそれはないではないか。その足立何某とかいう大阪維新所属議員は、これまでも、本来の質疑から外れた他党攻撃を繰り返し、反論できない議場であることを悪用して、国会や国民を侮辱してきた問題議員である。このような議員が言論の府たる国会にいること自体が、私には理解ができない。それも、時の政治権力に対しての批判故ということでもあればまだ許せるとしても、その権力にすり寄りおもねるための暴挙でしかないのだから、野党を標榜するも恥ずかしいくらいである。恥を知れ!---だ。

鵺(ぬえ)的な大阪維新は、この国にとって百害あって一利なしの政党だ。とっとと、自民党に行け!中央においても恫喝的大阪方式が通用するなどとは思わないほうがいい。なめるではないぞ。