2016年3月7日月曜日

鵺(ぬえ)は国会から去れ!

(今年も咲いたシクラメン-3/5)
もう何年になるだろうか。今年もシクラメンが咲いた。
ほとんど手入れもしていないのに、毎年可憐に咲き誇ってくれている。最初のころは、暮れから正月にかけて開花していたが、この頃では、3月から4月にかけて開花するようになった。気候変動のせいででもあるのだろうか。だとすると、開花時期が早まりそうだとも思えるのだが、どうだろうか。それとも、手入れが行き届かないせいで、花そのものの開花力(生命力)が弱まったということなのだろうか。

手入れもしないで、開花力を云々するなど、花(写真のシクラメン)に対して失礼に過ぎるかもしれないが、毎年咲き誇ってくれていることには感謝しているので、花さんには勘弁してほしいところである。ともかく、理屈抜きに「今年も咲いてくれてありがとう」と言いいたい。本当にありがとう。

ここのところ、国会中継をよく見ている。受信料は払っているのに中継の少ない(意図的かどうか?)NHKでは物足りなくて、インターネット中継を主として利用している。高校野球などは、2チャンネルに変えてまで全試合をほぼ完全に放送(中継)しているのに、国会審議に至っては、中途でも放送を打ち切ってしまう。そのカット部分は深夜に放送しているからと、その対応のまずさをしきりに弁解しているが、そうした扱いを受けているのが小規模な政党であることは覆い隠している。

(枯れたと思っていたミニバラが復活した-3/5)
高市総務大臣は、そうしたNHKの不公平をこそ指弾すべきであって、メディアによる政権批判を押しつぶそうなどとの圧力を加えるべきではない。思想信条にかかわる放送内容に関しては、権力側はいかなる干渉をも慎むべきなのだ。放送法の成立過程が、今日の平和憲法成立と軌を一にして、戦争からの反省に根差していることは言うまでもない。つまり、放送法は、二度と戦争に加担しないというメディアの強い自己批判による表現の自由を守るための自己規範だ、ということを忘れてはならないのだ。その法の精神も理解しないで、権力によるメディアへの規制法であると解釈するなど、断じて許されることではない。勘違いも甚だしいし、驕りもいい加減にしろというものだ。

そのおごる政権におもねる勢力もある。国会議員としての任務や役割を本当に承知しているのかと疑いたくなってしまう。国会が招請した公述人に対して、あろうことか、侮蔑した対応をなし捨て台詞まで吐き散らした愚か者がいたのだから、あきれ返ってしまう。いかに何でもそれはないではないか。その足立何某とかいう大阪維新所属議員は、これまでも、本来の質疑から外れた他党攻撃を繰り返し、反論できない議場であることを悪用して、国会や国民を侮辱してきた問題議員である。このような議員が言論の府たる国会にいること自体が、私には理解ができない。それも、時の政治権力に対しての批判故ということでもあればまだ許せるとしても、その権力にすり寄りおもねるための暴挙でしかないのだから、野党を標榜するも恥ずかしいくらいである。恥を知れ!---だ。

鵺(ぬえ)的な大阪維新は、この国にとって百害あって一利なしの政党だ。とっとと、自民党に行け!中央においても恫喝的大阪方式が通用するなどとは思わないほうがいい。なめるではないぞ。

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