2010年6月28日月曜日

素直に喜べない

 埼玉県高坂にある子供自然動物公園に、孫と出かけたおりの1枚である。日本カモシカが、場違いのように、公園の片隅で寂しそうにしていた。私のイメージするカモシカは、急峻な崖の上の威厳のある立ち姿であって、ショボクレたような風情は何となく可哀そうであった。3歳9ヶ月の孫は素直に喜んでいたのだが…。

 街は早朝から沸き立っている。号外も出て、日本チームの快勝を伝えている。課題のデンマーク戦に勝利し、ワールドカップの予選リーグを突破して、決勝トーナメント進出を果たしたのだ。快挙である。サッカー通でもない私も、寝もやらずテレビ観戦して声援をおくった。パッとスッキリしない昨今にあっては、まさに快挙そのもである。「よくやった、おめでとう。ありがとう。」と、大声で祝福したい。

 テレビは、快挙に酔う各地の様子を、繰り返し映し出している。各地のサッカースタジアム・スポーツバー・選手の家族や母校の喜び・渋谷や六本木・大阪や名古屋の繁華街の様子・現地の表情など、すべて祝勝ムード一色である。男も女も、老いも若きも、誰もが思いがけな勝利を素直に喜んでいる。韓国のあの熱狂振りには及ばないまでも、その活躍ぶりに興奮していることは事実である。このことは、今の日本にも、こうしたことで皆が喜び合えるのだ、と何となく嬉しさを感じさせる。

 同じテレビで、前日公示された、参議院議員選挙のことが報じられていた。争点は消費税だというが、民主・自民ともにその主張の根拠があいまいである。あまつさえ、増税を恥じることもなく、値上げ主張の本家争いを演じている。口では、無駄の洗い出し・天下りの撤廃・予算の根本的見直し・公務員法の見直し等を主張しながら、それでも足りないから・足りないこと気づいたからと世論を誘導して、増税を当然として論じている。

 気の早いことに、マスコミは選挙の情勢とやらを論評し、民主・自民の停滞とみんなの党の躍進を予想している。何をか言わんやである。今、マスコミに求められていることは、そのようなことではない筈だ。悲しいことに、今の日本には、政権や政党の支持率云々を論じて、浮かれているほどの余裕はない。900兆円からの借金を抱え、倒壊しかかった不安定な国家であるという現実を、国民にしっかり考えさせて欲しいのだ。その上にたって、今度の選挙の持つ大事な意義と役割を、徹底した論陣を張って国民に訴え、政治への関心を高めさせるべきなのである。

 私には、マスコミの大半が、マスコミの持つ本来の役割や 責任から、だんだん遠のいてしまっていると感じられてならないのである。過当競争の中で、読者・視聴者の顔色を窺わなければならないことも承知はしている。そのためには、最も関心がありひきつける魅力を持つニュース、例えばワールドカップでの快挙-の様な出来事は 、恰好なニュースソースであることは理解できる。でも・しかしなのである。その快勝に埋没してはならないのである。国民を、そのようなことに埋没させてはならないのだ。

 私は今、私の孫が、カモシカを見つけて素直に喜んだように、日本チームの快挙を、マスコミの在り方に関連付けて素直に喜びきれない自分が、好きになれず疎ましくてならない。 困ったものだ…。 
 -26日以来のもやもや-












 





 


2010年6月18日金曜日

誕生日に思うこと

長男の家で63回目の誕生を祝ってもらった。
嫁の手造りのケーキにローソクを点灯させ、二人の孫たちと顔を寄せ合って吹き消した。リハーサルなしなので、小さいほうの孫があわてて消そうとして、タイミングが合わずなんどかやりなおし、皆で大笑いをした。
我が家では、何だかんだと言いながらも、何らかの形で全員の誕生を祝っている。私たち夫婦・娘夫婦・息子夫婦・それに4人の孫たちを加えると、1年に最低でも10回は祝い事をしていることになる。父の日や母の日もそのおりおりに集まっているし、正月の2日も全員我が家に顔を見せるので、年中お祝いごとをしている感じである。

幸いなことに、私たちは車で20~25分の範囲に住んでいるので、それほど無理をしないでも会うことができる。よく、外孫がどうの内孫がどうのと話題になるようだが、我が家ではそうした感情の違いはない。適度の距離と少し多いぐらいの顔合わせが、丁度よい関係をつくっているようだ。
もちろん、そう思っているのは私だけかも知れないのだが----。

一番上の孫娘も小学2年生となった。2年生ともなると、それなりの交際範囲も広いようで、今までのように爺ちゃんべったりと言う訳にはいかず、私としてもいささか寂しい限りである。ヨチヨチ歩きで,ニコニコ笑顔で手を差しのべてくれた日が、とてもとても懐かしい。こうした感慨は、歳を重ねた証なのだろうか。

かっての家族風景は、祖父母と孫が手をつないで夕焼け空を眺めていると言う様な、ほのぼのとしたものであった。裕福ではないにしても、3世代同居が当たり前であった。そうした家族の中で、理屈ではない人情味のある絆が育まれていったものだ。私の妻は、私の事業の失敗以来、成長期の子供を抱えながら、家族バラバラとならないようにと、本能的にこうした絆を大切にしてきた。本人が気付いているかどうかは分からないが、私にはそう思えてならない。そうした妻の思いが、全員の誕生祝いという今の形を大切にすることで、同居はしていなくとも家族の絆を深く結びつけているのだと、私はそう理解し感謝している。




2010年6月10日木曜日

" 奇兵隊内閣 " ?

 会津出身の私だからと言って,長州出身の新総理に特別の感情移入はないが、それにしても「奇兵隊内閣」とは驚きである。高杉晋作の奇兵隊は、藩内閣に対してのクーデター部隊であって、日本における革命部隊ではなかった筈…。とは言え、結果としてその後の経過の中で、明治維新の大きな原動力となったことも事実だが…。

 高杉の奇兵隊は、その構成メンバーが従来の武士階級中心から、農民・町人・職人・浪人・神主・相撲取り等々を加えた常識はずれの部隊であり、当時の正義(尊皇攘夷)思想で組織された特異で奇妙な部隊であった。隊は、そのためもあってか「奇兵隊」と名乗って藩の保守(左幕)勢力と戦い、勝利してその勢力を一掃し藩の中心部隊に成り上がる。その後、第二次長州征伐で幕府に勝利し、鳥羽伏見の戦いを経て、戊辰戦争の中心的存在となった。

 慌しく成り上がった隊の急造幹部は、官軍(?)の幹部としても各地に派遣され、その無能ぶりのために多くの無益な戦いを仕掛けて人民を苦しめた。特に、わが会津も含めた奥羽越地方の被害は甚だしいもので、その差別的政策によって長期間苦しめられ、100年にも及ぶ怨念を残すこととなった。

 すでに死語となっていたはずの「薩摩と和すとも長州とは和さず」との会津の怨恨は、取りざたされる「奇兵隊内閣」のざわめきによって再び甦ることもあるまいが、明治維新におけるその隊の功罪の大きさについては、権力を手中にした新総理としても充分に考慮して欲しいところである。その隊の幹部たちが、維新政府の中で、いかに汚濁に塗れていったのかを、教訓として思い起こして欲しいものだ。今、その清潔さ透明さを疑問視されている与党は、幕末ブームにあやかろうなどとのケチな了見はではなく、この国をどう導いて行くのかの確固とした方向性を国民に示すべきである。夢想的なものではなく、具体性を持った方向性を---。

 新総理の「最小不幸社会を目指す」の言や善し、「奇兵隊内閣」がそのためのものであることを期待する。

2010年6月6日日曜日

どうなってるの?

 政治家の神経ってどうなっているのかねえ。
 失敗して、みんなに叩かれて、都合が悪くなったら辞任ですか。私なんか、何とかしなくちゃともがいてもがいて何年も苦しみ抜いたのにねえ。もっと、責任の重さを考えて欲しいよ。もっと苦労しなくちゃ、本当の大人じゃないよ。
 その辞任劇を、何だかんだと攻撃している元の与党の面々は恥ずかしくないのかねえ。それと新党を作って、我々は関係ありませんなんて顔してるのもいるけど、本当はあんたがたに根本的な責任があるんじゃないの?
 今
、この国の運営を担うことの出来る人って、本当にいるんだろうかねえ。我々国民もしっかりしなくちゃね。そういう人を、我々が育てるようにしたいものだね。



2010年6月3日木曜日

たそがれを楽しもう!


ブログを始めました。
人生のたそがれ時を迎えているとはいえ、生き方までたそがれたくはないですよね。4人の孫たちのためにも頑張らなくちゃ。孫だけでなく妻のため・自分のためにも頑張らなくっちゃね。
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