街は早朝から沸き立っている。号外も出て、日本チームの快勝を伝えている。課題のデンマーク戦に勝利し、ワールドカップの予選リーグを突破して、決勝トーナメント進出を果たしたのだ。快挙である。サッカー通でもない私も、寝もやらずテレビ観戦して声援をおくった。パッとスッキリしない昨今にあっては、まさに快挙そのもである。「よくやった、おめでとう。ありがとう。」と、大声で祝福したい。
テレビは、快挙に酔う各地の様子を、繰り返し映し出している。各地のサッカースタジアム・スポーツバー・選手の家族や母校の喜び・渋谷や六本木・大阪や名古屋の繁華街の様子・現地の表情など、すべて祝勝ムード一色である。男も女も、老いも若きも、誰もが思いがけな勝利を素直に喜んでいる。韓国のあの熱狂振りには及ばないまでも、その活躍ぶりに興奮していることは事実である。このことは、今の日本にも、こうしたことで皆が喜び合えるのだ、と何となく嬉しさを感じさせる。
同じテレビで、前日公示された、参議院議員選挙のことが報じられていた。争点は消費税だというが、民主・自民ともにその主張の根拠があいまいである。あまつさえ、増税を恥じることもなく、値上げ主張の本家争いを演じている。口では、無駄の洗い出し・天下りの撤廃・予算の根本的見直し・公務員法の見直し等を主張しながら、それでも足りないから・足りないこと気づいたからと世論を誘導して、増税を当然として論じている。
気の早いことに、マスコミは選挙の情勢とやらを論評し、民主・自民の停滞とみんなの党の躍進を予想している。何をか言わんやである。今、マスコミに求められていることは、そのようなことではない筈だ。悲しいことに、今の日本には、政権や政党の支持率云々を論じて、浮かれているほどの余裕はない。900兆円からの借金を抱え、倒壊しかかった不安定な国家であるという現実を、国民にしっかり考えさせて欲しいのだ。その上にたって、今度の選挙の持つ大事な意義と役割を、徹底した論陣を張って国民に訴え、政治への関心を高めさせるべきなのである。
私には、マスコミの大半が、マスコミの持つ本来の役割や 責任から、だんだん遠のいてしまっていると感じられてならないのである。過当競争の中で、読者・視聴者の顔色を窺わなければならないことも承知はしている。そのためには、最も関心がありひきつける魅力を持つニュース、例えばワールドカップでの快挙-の様な出来事は 、恰好なニュースソースであることは理解できる。でも・しかしなのである。その快勝に埋没してはならないのである。国民を、そのようなことに埋没させてはならないのだ。
私は今、私の孫が、カモシカを見つけて素直に喜んだように、日本チームの快挙を、マスコミの在り方に関連付けて素直に喜びきれない自分が、好きになれず疎ましくてならない。 困ったものだ…。
-26日以来のもやもや-