2012年1月31日火曜日

「五十肩」で寝不足に---


 とにかく痛い。痛くて眠れないのだ。眠れないから、夜が恐ろしい。また眠れないのかと考えると、布団に入ることすら億劫になってしまう。こんな状況が2ヶ月も続いている。だから、極度の寝不足に悩まされている。

 「五十肩」だというのだ。64歳の私であるが年齢には関係なく、そう呼称しているということだ。整形外科に行って、痛み止めの注射をしてもらったり薬をもらったりしているが、一向に治る気配がなく悪化しているのが現実だ。担当医によると、病気の原因はいまだに特定されていないということで、考えられるその要因を想定して治療にあたっているのだという。

 私の妻も数年前にこの「五十肩」になって、1年以上苦しんだ。病院に行ったりマッサージに行ったりと、あらゆる方法で治療したが、一時的に一寸だけ痛みが薄らいだだけで目立った効果は得られなかった。私も肩もみをしてあげたりしたが、思うような効果は上がらなかったようで、歯がゆい思いをしたものだ。

 ところがである。妻は、ある日突然のように、それまでの痛みが嘘のようになくなった。妻だけでなく、私の姉も同じように、突然のように痛みが取れたと言うのである。妻の姉も、同様な体験をしたと話していた。医者に話したら、ほとんどの人がそうであるというのだ。個人差はあっても、ある程度の時期を経過すれば痛みはなくなるという。どういうことなのであろうか?

 私は今、痛みのなくなる日をひたすら待ち望んでいる。寝不足と闘いながら、じっと耐えているのだ。失業中なので、仕事に支障が出るということはなくとも、この痛みからは一日でも早く解放されたい。そして、ぐっすりと眠りたい。

 こんな、切実な願いを込めて、新座市で出会った六地蔵に手を合わせた。
 

2012年1月27日金曜日

昭和は遠くに----

 小学3年生の孫娘が、学校で「昭和時代の道具」について勉強しているので、我が家にも何かないかと問い合わせてきた。あらためてそう問われると、団地住まいの我が家には、地方の農家のように古い道具が置かれているわけでもなく、あれこれと探してみたが、相応の道具を見つけることができなかった。
 見つからないとの返事にガッカリしていた孫娘を励まそうと、所用で埼玉県の新座市に出かけるおりに、孫娘を同行して「昭和探し」をすることにした。デジタルカメラを片手に、一寸したハイキング気分で歩くことにしたのだ。しかし、いざ探すとなるとなかなか見つからないもので、「昭和の道具」と限定されると、昭和から現代まで使用しているものはどうなんだろうなどと、その判断に迷ってしまい、なかなかこれはというものを見つけることができなかった。
 
 あれこれ探していると、「おじいちゃん、あった、あった」と孫が目を輝かせて駆け寄ってきた。そして、写真の赤いだるまポストを見つけてすぐにシャッターを押した。 その後も、こ一時間ほど探し歩いたが、これはというものには出会わなかった。建設現場に作業用の一輪車があったりしたが、「平成の道具」の面も多いということで写真には撮らなかった。難しいものである。

 自宅に戻ってから、孫が、道具入れの中から七輪を見つけてきた。孫の感性では「昭和の道具」に見えるようだ。本人がそう言うのだからと写真に撮った。「七輪は江戸時代にもあったんだよ。煮炊きは、七輪ですることが多かったようだよ。」と一応の説明はしたが、他にこれはというものもなかったので、この写真も学校に持っていくことにしたようだ。

 私も64歳の半ばになっている。平成の今上天皇も相当の年齢となっている。私の周りでは、平成生まれの孫たちが飛び回っている。「昭和の道具」を探すのにひと苦労するようになったということは、昭和がだんだん遠くになりつつあるということらしい。-昭和は遠くになりにけり-は、言葉ではなく実感として受け止めざるを得ないようだ。


 

2012年1月9日月曜日

孫で暮れて孫で明ける

 昨年の暮れは、小学3年の娘孫を2泊三日、5歳の息子孫を1泊二日預かった。孫来てうれし帰ってなおうれしなどと言われているが、その通りだと思う。大晦日も途中まで孫と一緒で、結構疲れがたまってしまった。

 新年は、元日に家族の顔合わせをしたので、娘も息子も孫連れで集合した。今年は喪中ということもあって、年賀のあいさつは簡単に済ませ、ささやかなおせち料理をつまみながらお酒を酌み交わした。例年であれば、誰かしらが車で来ていたので、お酒も乾杯程度であったが、今年は全員が電車で来たので、何の心配もなく飲むことができた。

 ところがである。元旦に孫の一人がお泊りということになり、今年も孫に振り回されそうな気配が濃厚となった。3日には別の孫がお泊りとなり、宿題の書初めを見てやることになった。今の子供たちの書初は、墨をすることから始まるということはない。できあいの墨汁をそそいで簡単に書き始めるのだ。だから、墨の濃淡による味わいのある書体などとは縁遠くなっている。指導する教師や親ができないのだから、筆の持ち方から運び方までを教えないと、毛筆と呼べるような書体を書くことは無理なようだ。

 7日には、息子孫が、じいちゃんやばちゃんと遊びたいと嫁に送られてきた。私は、病院に行ったり予約してあったパソコン教室に出かけたりしたのでそれほど遊べなかったが、妻は四六時中一緒だったので相当に疲れたようだ。孫は可愛いい、でも疲れる。年初からの率直な感慨である。

 冬休みが終わろうとしているのに、孫の習字はうまくいかないとのことだった。そこで、追加の指導(?)が必要となりまたまた孫娘のお泊りとなった。孫娘にとっては、8日の夜は、眠い目をこすりながらの習字となり、新年に書初めをして気を引き締めるなどというその目的からはかけ離れた辛い書初めとなってしまったようだ。やれやれである。