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(秋の名残りの真紅のモミジ) |
初冬の佇まいである。写真は団地の防音緑地帯の一角であるが、四季それぞれにそれなりの風景を演出してくれている。私は、この緑地帯を楽しい散歩道として利用している。
師走に入って、街は二つの選挙戦が繰り広げられており、何かと騒がしくなっている。都知事選と衆議院選である。混迷政治の結果としての選挙戦であるが、私には、この選挙が「空しくやるせない思いを募らせる選挙」となっている。
選挙につきものの中間情勢の発表があって、民主の大敗北と自民・公明・みんなの党等の回復と躍進が見込まれるとの分析が示された。維新の会は予想したほどでなく、新党みらいや、既存政党の共産党や社民党他は軒並み苦戦であるという。
今回の選挙は、とても大事な選挙だと思う。今後の日本の進路を左右する、本当に大事な選挙であると思っている。であるのに、過去の反省もなく原発を容認し、再軍備を目指そうとする勢力が伸長するなど、とても考えられない状況が生み出されようとしているのだ。どうしたのですか?こんな選択をしようとして皆さんは後悔しないのですか?私には信じられない、こんな選択をしようとしているとは……。
原発の再開については、経済的な混乱を起こさないための現実的な対応だとかとの理屈を掲げて、国民を逆行への道に誘導しようとしている。あの原発事故はたまたま震災によってもたらされたものであるので、常時危険にさらされているわけではないと。だから、今は、国家の経済復興を優先させるべきであると。原発に代わるエネルギーの確保には、原油や諸外国との関係から困難が伴うとも。だから、少々の危険には目をつぶって我慢しようと。とにかく、根本から離れたところで、論議を重ねているのだ。嘆かわしい限りである。
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(秋の去っていく風景) |
仮に自民党の安倍さんが毒虫に刺されて、その命が危険にさらされているとしよう。そして、その毒虫が、まだ数多く彼の周りを飛び回っているとしよう。このような場合、何を優先としなければならないかは自明の理であるはずだ。理屈ではなく、生命を第一に考えた対策を立てるであろう。先ずは、注入された毒の除去から始め、ついで、ぶんぶん飛び回る毒虫の除去に全力を尽くすはずだ。飛び回っているが、近寄らなければ刺されはしないと放っておきはしないはずである。原発対応のように、経済復興が先だから、対策は10年かけてとか30年後だとかなどと、決して言うはずはないのである。原発問題の基本的な考え方は、ここに置かなければならないのだ。理屈ではなく、命にかかわる問題は何にもまして優先されるべきものなのだ。だから、原発即時撤廃こそが正しい選択だと、私は深く確信している。
情勢分析から予想される政界地図は、あまりにも右がかったものとなりそうだ。ゴマメの歯ぎしりにも似た私のジレンマなど、とるに足らないものかもしれないが、子を思い孫を思う一老人としては、ジッとしてはおられない気分なのである。私には、戦争への足音が聞こえてきそうな、たまらない焦りがある。戦後生まれではあっても、戦争の悲惨さはベトナム戦争や中東戦争・アフガン戦争等世界中の多くの事実から知らされている。だから、体験はなくともあってはならないものと、心から思っているのだ。あろうことか、その戦争への道を切り開く勢力が、この選挙で大きくなろうとしている。
選択を間違ってはいけない!間違わないで欲しい!もっともっと真剣に考えて欲しい!子供たちや孫たちの将来に影を投げかけないで欲しい!そう願う私であるのに、この空しさをとり除くことはできそうにない。本当に空しい。自分の無力であることを知るだけに、この空しさは例えようもなく切ないものだ…。