2014年10月27日月曜日

本来について考えよう!

(水量豊かな袋田の滝 10/15)

(観瀑台からの袋田の滝 10/15)
写真は、同級会の途次に訪れた茨城県の“袋田の滝”である。この日は、台風通過のせいもあって、水量も豊富でその迫力は名瀑にふさわしいものであった。

この滝にはこれまでに2度訪れているが、いつもちょろちょろとした流れしか見られず、期待外れであっただけに、本来の姿を見せられた思いで嬉しい限りであった。

本来の姿と言えば、ここのところの政治家の見苦しいあたふたぶりにはあきれ返ってしまい開いた口もふさがらない。政治家とは何者ぞと問いただしたい思いである。

国民注視の国会中継で、うちわをかざしてうちわのようなものでうちわでないと開き直る現職の女性法務大臣、子どもでもその収支に疑問を持つであろう報告書を突き付けられて、言い逃れもできず困惑している二世女性大臣、SMバーへの支払いを交際費として計上していた引継経産省大臣と、語るのも恥ずかしい醜態でしかない。

しかし、これが安倍内閣の実態で、いまさら呆れかえっても仕方がないのかもしれない。だから当然のようにボロが出たということで、嘆くにも値しない出来事なのだと思う。第一次安倍内閣を彷彿させるこの事態は、安倍総理の指導力の欠如と人物眼のなさを如実に示したということでもある。一刻も早いご退陣を願いたい。

法の解釈もできない法務大臣、収支の計算のチエックも出来ない経産省大臣、SMバーへの支出を政治活動費と判断する部下に支えられる引継大臣とこの国の指導部は、なんと情けないメンバーで構成されていることか、恥ずかしい限りである。今こそ、政治家の本来のありかたが問われる時ではなかろうか。

国民よ目覚めよ!である。本来の政治家とはどういうものであるかを真剣に考えようではないか。

2014年10月7日火曜日

復興はまだまだ遠い!

(南三陸町の被災庁舎 9/22)
猛暑を避けて、お彼岸に郷里に帰った。
歳のせいなんだろうか、盛夏に帰省することにためらいを感じるようになった。
私の郷里は、福島の会津である。東京からは、高速道路を使用すると丁度300キロぐらいの距離で、3時間30分ぐらいで帰れる。

今年は、会津から足を延ばして気仙沼(大谷海岸)のおばさんの墓参りをすることにした。実に、中学2年生以来の52年ぶりの訪問である。そのためか、道筋の記憶もあいまいで、カーナビ頼りの心もとないドライブとなってしまい、会津からの距離は、400キロ弱であったのに、5時間近い時間を要してしまった。

いとこ夫婦は、大谷海岸という海水浴場のある海辺の町に住んでいたが、あの大震災のために跡形もなくすべてを流されてしまい、今は高台にある仮設住宅での生活を余儀なくさている。

おばの墓は、高台にあって津波の被害は免れていた。私は、線香をたむけながら、懐かしい叔母や小父の顔を思い出していた。かってのチリ地震の際の津波を語ってくれたことなども併せて思い出していた。それにしても、あらためて自然の力の恐ろしさを知らされた思いであった。

いとこ夫婦からの三陸の味の供応を受けてから、気仙沼を訪れた。その気仙沼は、あの港祭りで賑わっていた漁港の面影はどこにもなく、ガランとした復興中の様相でさびしい限りであった。

(ガランとした復興中の気仙沼港 9/22)
気仙沼で宿をとって、帰路は途中まで三陸の海岸沿いを南下した。写真の南三陸町を訪れた時には、その余りなまでの荒涼さに言葉さえも出なかった。まるで荒野そのもであったからだ。その中をダンプが走り回るという異様な光景でもあった。この光景が、どのような街並みに変わるのかなど、私にはとても想像がつかない。

どこかの首相が、しらじらしくも復興は進んいる等と言いきっていたことを考えると腹だたしくてならない。どう進んでいるのだという思いである。途中の切れ切れに寸断されていた鉄道の様子や、荒れ果てたままの小さな漁港の姿には、ただただ慨嘆するほかはなかった。 

写真の建物跡には、バスで訪れる人も多く、皆一様に心からの冥福を祈っていた。繰り返し報道された、最後まで避難放送を続けたという建物だけに、皆感慨もひとしおの様子であった。それにしても、かの建物を飲みつくした津波とは---考えるだに 恐ろしい自然の脅威である。 

被災地の復興はまだまだである。オリンピックなどと浮かれていてはならないのである。