2015年2月4日水曜日

本質を垣間見た!

(妻が旅行してきたNZの大自然 1/18)
現金なものである。
妻が旅行から帰ってきたら、あれほどの孤独感があっという間に吹き飛んでしまった。一人でいた期間の不満をぶちまけてやろうと思っていたのに、結局はほとんど何も言わずに済ませてしまった。それどころではなかったのである。

というのも、妻は帰るそうそうに高熱を発してしまい、寝込んでしまったのだ。私は、妻の旅行先が国外(ニュージーランド)であっただけに、それなりに不安となり大いに気を揉んでしまった。検査の結果は、インフルエンザA型に感染したということで、一安心といったところであったが、当人は旅の疲れと高熱が重なって数日寝込んでしまった。

私たち夫婦がこんなことでてんやわんやしている時期に、中東では大変な事態が発生していた。これまでの日本では考えられないような事件が起こっていたのである。
「イスラム国」を標榜するテロリスト集団が、日本人2名を人質としあれこれの脅迫の末に殺害してしまったのだ。あげくに、日本国を敵対国とし日本国民を殺戮の標的とすると宣言したのである。

(映画の撮影地ともなっているNZの大峡谷 1/21)
人道的にも宗教的にも許される行為ではない。非人間的な残虐な行為であって一切の弁明の余地もない仕打ちである。

これまで、わが日本は中東においては友好国として受け入れられてきた筈である。にもかかわらずこうした事態に陥ってしまったのはどうしたことなのか。「イスラム国」は、日本が十字軍に組したということをその理由としている。

言わずとも知れているように十字軍は、キリスト教国がイスラム教国を制圧するために編成された軍隊で、宗教戦争のための軍隊であった。その十字軍に日本が組したとテロ集団に誤解されたことが、この度の惨劇を生んでしまったのである。誤解した彼らに何らの正当性がないことは明白であるが、誤解させてしまった落ち度については反省しなければならないことと思う。

今回殺害された2名の邦人が人質とされていることは、日本政府においては昨年の内から承知していたことであった。水面下で解放の交渉があったかどうかは分からないが、「イスラム国」における人質の扱い方は、米・英国人への残虐行為からも推し量れるはずであった。

その時期に一国の首相が中東を訪問し、彼らの敵対国と見做されている中東諸国に経済支援をあえて表明するなどとは、私には考えられない暴挙でしかなかった。例え、人道支援がその主たるものであったにしてもである。正当性の是非はともかく、戦争中の当事者にとっては、その支援が敵対行為に見えるのは当然なのではなかろうか。

(NZの大峡谷湾内を観光船で周遊 1/21)

だから、今回の安倍首相の支援表明は、火に油を注ぐ結果を招き、大切な人命を失う大きな要因となったと言わざるを得ない。こうした主張に対しては、積極的ではなく後ろ向きの議論でしかないと批難が浴びせられているが、政府の対応が人命尊重第一でなければならないことを考えあわせると、あえて声を上げるべきだと私は思う。

国会の論戦を見ていても、開き直りのように自分の行為は正しかったと弁明している。批判することはテロに屈したことに他ならないと、矛先を変えようとさえしている。世論もマスコミもその論調に同調されつつあるのがなんとも嘆かわしい。政府は努力した、その努力に目を背けるのは非国民的発想だと言わんばかりではないか。
安倍政権の本質を垣間見た思いでいっぱいである。

犠牲となられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。





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