(今年の干支のサル君です。) |
と、手放しで祝うことができるかどうか不安な情勢となっている。
証券業界には、申年は暴れ年になるとして注意を呼びかける向きがあるようだが、安倍自公に壟断されているこの国の前途はいかがなものであろうか。
年末のあわただしい「日韓劇場」は、歴史のゆがみをただすものとは程遠い、被害者を置き去りにしたご都合主義の政治決着パフォーマンスであった。厳に、被害者の元慰安婦たちの激しい抗議行動に見舞われ、その曖昧さを両国民の前に露呈した。
ここのところの安倍政権の行動は、すべてが7月の参議院選挙に向けた票獲得のための欺瞞的な行動だ。そこには、国民の思惑や意思は存在してはいない。あるのは、この参議院選挙で、憲法改悪を推し進めようとする邪悪な企みだけである。国民を、表面的なもので釣り上げようとする、姑息で陰険な政治手法の連続でしかないのだ。
愚かでお粗末な公明党でも、安倍自民の企みに気づかないはずはない。それなりの見識を持ち合わせてはいるはずだから、内心では慌てふためいているに違いない。それでも、彼らは、安倍自民とは袂を分かつことができないと思う。なぜなら、彼らにとって権力とは、麻薬にも似た甘い蜜のようなものとなっているからである。今の公明党は、学会などの支持者から、手ひどいしっぺ返しでも食わない限り目覚めることないと思われる。それほどまでに、権力の亡者となり果てているのだ。もはや、期待はできないし、すべき存在ではない。
この年が、例え暴れ年と言われようと、私たちは乗り切っていかなければならない。乗り切って、安倍自公を必ず倒すのだ。そうしなければ明るい未来は望めないし、孫たちに胸を張って平和を語れななくなってしまう。見ザル、聞かザル、言わザルとなって、負けザルなんかになるものか!........である。
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