2016年2月23日火曜日

軍国主義者の亡霊か?

(団地の春はこぶしの花から―2/23)
例年のことであるが、団地の春は「白梅とこぶし」の開花から始まる。今年もその順番で訪れた。白梅は散り始めているが、こぶしはこれからで、写真のようにチラホラと咲き始めた。

今、私たちの団地は、大幅な修繕工事とサッシ取り換え工事が終わって、すこぶる快適な住環境となっている。管理組合の担当者には感謝感謝である。築40年以上の団地なのに、とても快適に生活でき、満足満足といったところだ。

ところが、団地生活の特徴と言ってもよいのだろうが、個々の受け止め方にはいろいろあるようで、なかなか難しい側面もある。きれいになったのだから、良かった良かったとはいかないようだ。

工事の施工や予算面に対しての不服や、担当者達に対しての不満や批判も相当出された。私などは、これまでの仕事柄からか、その担当者たちの苦労が偲ばれるだけに、不満や批判などさらさら湧いてこないのだが----。人間集団とは複雑なものである。

(辺野古基地反対のための国会包囲行動―2/21)
沖縄の辺野古基地問題は、その複雑なものの最たる具体例である。戦争したい人間などいるはずもないであろうに、人権を無視してまでも作ろうとする輩がいて、それを支持する数多の市民もいるのだから、複雑怪奇という外はない。

沖縄は、その歴史的事実を見てもわかるように、いつも本土の権力者によって虐げられてきた。前の戦争では、本土の捨て石としての犠牲を強いられ、県民の4分の1が犠牲となり殺された。

その沖縄にである。その沖縄に新たな基地を建設して、さらなる犠牲を強いるなど、通常の考え方ではありえない話なのだ。そのあり得ない話が、国の施策として打ち出され、実行されつつあるのだから、国家とは人民を虐げるために存在するのかと、懐疑的にさえなってしまう。

今、私(達が)対峙している国家は、明らかに民主主義とはかけ離れた存在になりかけようとしている。リンカーンの「人民の人民による人民のための政治]からは、だんだん遠のこうとしているのだ。それも、立憲主義を骨抜きにしようとしている奴らの手によってである。自公+大阪維新、お前たちは軍国主義者の亡霊なのか?

2/21(日)の国会包囲行動には、28,000人もが参集した。その人たちの手と手が、国会を完全に包囲した。「沖縄を返せの」歌声も響き渡った。怒りの声は、天にまで届いたはずだ。亡霊なんかに負けてたまるかである。

0 件のコメント:

コメントを投稿