この公園には心の字池もあり、その池を臨むように一寸した茶室も設けられている。茶室の縁側に腰を下ろして、池に流れ落ちる滝音を聞きながら目を閉じていると、京都の有名庭園を訪れているような錯覚を覚えてしまい、何とはなしの旅行気分に浸ることができる。
「五十肩」に悩まされている私は、気晴らしと運動を兼て、3~4時間ほどの散歩に出かけることが多い。この区立の公園も、その存在は知っていても訪れることはなかったのだが、散歩ついでに立ち寄ってみたのだ。身近にある公園だからと、これまでに訪れなかったことが悔やまれる。この茶室でなら、茶道の心得はなくとも、茶席について一服を喫してみたいとも思う。そんなことを考えると、気のせいか、しばし、肩の痛みも飛び散っていくようだ。
散歩は、思いがけないものが発見できて、結構楽しいものである。
春の訪れを探してみたり、時代の移り変わりを感じてみたり、懐かしい風情を楽しんだりと、その時々の感情によって違った発見ができることがうれしい。
今の私は、一瞬でも肩の痛みを忘れることができる「癒し」の発見を求めて歩いている。小さなリュックを背負って、防寒具にくるまっての散歩なので、だるまさんが歩いているようだ。デジタルカメラを片手に、ゆっくり歩きながら目線を四方に配る。「癒し」に繋がる発見を求めていると、一寸したものでも目につくもので、写真のような果実にもついシャッターを押してしまう。一緒に歩いている妻と、かりんではないし夏みかんでもない、ポンカンでもザボンでもなさそうだ、などと言いながらシャッターを押す。そうした会話の中にも「癒し」は存在するようで、しばしの間は肩の痛みを忘れることができる。散歩の効用大いにあり、といったところだ。
五十肩になって3ヶ月、痛みは一向に薄れずに、痛み止めの注射も寄せ付けない勢いだ。だから、私の「癒しの散歩」は当分は続きそうだ。身近なところでの、新しい発見を求めながら-----。
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