(ベランダのノースポール) |
そこで、押入れに首を突っ込んでアルバムを探した。アルバムとはいうものの、子供たちが保育園に入るまではそれなりに整理したのでそれらしくはあるが、それ以後はただ写真を撮って保管してあるに過ぎず、雑然としていてアルバムなどと呼べる代物ではない。
何時・何処で・誰が・誰と・何のために撮ったのかも判然とせず、1枚1枚の写真を見ながら考え込んだり首を傾げたりと苦笑いをしながら数百枚の写真をめくり続けた。
不思議なもので、そうしているうちに、この写真は娘との初めてのハイキングであったとか、息子の保育園のお迎えの際に、先生にシャッターを押してもらったのだとかが、少しづつ記憶としてよみがえってきて、だんだんと嬉しくなってきた。最近では、昨日の食事がなんであったかさえも忘れる始末なのに、20年も30年も前のことが次々と想い起こされるのだから、自分でも驚く次第である。
押入れから箱ごと引っ張り出して、部屋中に撒き散らかして、ああだったこうだったとか独り言を言いながら、何とはなしに時空列的に整理を始めると、その時々の瞬間が鮮明に浮かび上がってくるようになってきた。だから、何十年も整理できずにいた難題のはずのその作業がとても楽しくなってきて、雑然としていた写真も、妻関係の思い出、娘関係の思い出、息子関係の思い出、仕事関係の思い出、家族みんなの思い出などとそれなりに整理ができ、アルバムづくりの基礎ができたように思えてきた。とは言え、我が家の写真はこれだけではなく、押入れ以外にも最近の孫たちの写真を含めた相当量があるのだから、基礎ができたなどと喜んではいられない。
亡くなった両親や長兄・祖父母のあれこれの記憶や、中学高校時代の青臭い自分や青春時代の中での妻との出会いなどが、めくられる1枚1枚の写真から思い起こされて整理する手が止まってしまうのだが、我が家のアルバム作りもようやくその第一歩を踏み始めた言えそうだ。台帳に貼りつけたり、コメントを書き綴ったりといった作業はこれからであるが、焦る必要もないことだ。1枚1枚に込められている懐かしい思い出をたどりながら、じっくりと取り組んでいこうと思う。
押入れのアルバム(?)にもようやく光が届きそうである…。
押入れから箱ごと引っ張り出して、部屋中に撒き散らかして、ああだったこうだったとか独り言を言いながら、何とはなしに時空列的に整理を始めると、その時々の瞬間が鮮明に浮かび上がってくるようになってきた。だから、何十年も整理できずにいた難題のはずのその作業がとても楽しくなってきて、雑然としていた写真も、妻関係の思い出、娘関係の思い出、息子関係の思い出、仕事関係の思い出、家族みんなの思い出などとそれなりに整理ができ、アルバムづくりの基礎ができたように思えてきた。とは言え、我が家の写真はこれだけではなく、押入れ以外にも最近の孫たちの写真を含めた相当量があるのだから、基礎ができたなどと喜んではいられない。
亡くなった両親や長兄・祖父母のあれこれの記憶や、中学高校時代の青臭い自分や青春時代の中での妻との出会いなどが、めくられる1枚1枚の写真から思い起こされて整理する手が止まってしまうのだが、我が家のアルバム作りもようやくその第一歩を踏み始めた言えそうだ。台帳に貼りつけたり、コメントを書き綴ったりといった作業はこれからであるが、焦る必要もないことだ。1枚1枚に込められている懐かしい思い出をたどりながら、じっくりと取り組んでいこうと思う。
押入れのアルバム(?)にもようやく光が届きそうである…。
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