2012年11月14日水曜日

同級会に行ってきた。―2

 私の同級生(小・中学時代の2クラス)は、その顔ぶれがほとんど変わっていない。小さな村落だったので、小学校も中学校も同じ顔ぶれで過ごしてきた。その9年間というものは、2名の転校生の入れ替えと、病没した1名があっただけである。だから、私たちの同級会はクラス会ではなく同村同年会と呼ぶべきもので、お互いの子供時代をよく知っており、卒業後の付き合い方も子供時分と変わってはいない。俺お前の付き合いなのだ。

 悲しいことではあるが、中学卒業後から現在までに5名の友が亡くなってしまった。事故や病没によってであるが、その早い別れは惜しむべきものであり、残った私たち五十数名は、彼らの分までこれからの人生を有意義に過ごさなければならないと思う。同級会とは、そうしたことの確認の場でもあるのだ。
(東照宮正面からの紅葉風景)

ホテルでの宴会は楽しいものであった。
年齢(65歳)が年齢であるだけに、話題の大半は健康や孫の話が多かった。特に健康面では、この1~2年の間に、心臓のバイパス手術をしたものや咽頭ガンの手術をしたものなど、人生の岐路に立たされた者もいた。又、大震災で甚大な被害を蒙ったのに、たくましく立ち直ったものもいて、私などは手が上がらないなどとショボクレてはいられないと励まされたものだ。

 子供の話、孫の話、嫁・婿の話と、まるで老人会の集いみたいな愚痴話も多く、気心が知れているだけに遠慮のないアドバイスもでて和やかであった。カラオケを聞くよりは、隣同士で話し合うことの方が楽しく、料理にも手を付けず談じあっていた。余りの楽しさに、次回は5年後ではなく1~2年後に開催しようとの意見が多く、それも修学旅行みたいにはとバスに乗ってみたいなどとの希望もでて、次の幹事への期待も大なるものであった。私も、同室の3人と深夜まで話が尽きず、翌朝は目をこすりながら朝風呂にとびこむほど楽しめたので、次回に大きな期待を寄せる一人である。
 
 バイキング形式の朝食後、一室に一同が会した。そこで別れがたいので、車で参加したものに全員が分乗して、東照宮の紅葉を楽しもうということになった。写真は、その東照宮で撮ったものである。幸いなことにモミジの色付きが特に鮮やかで、全員を楽しませてくれた。丁度見ごろでラッキーであった。混雑が多くなって、全員で昼食をとる場所が確保できず、各車ごとに分かれて食事をとることにしてそのまま散会とすることにした。私は、同方向の4人を乗せて、鹿沼までの杉並木を楽しんで帰路についた。途中、手打ちそばを食したが、まあまあといったところで腹を満たした。

 再会を約して、みんなと別れたのは夕方の5時頃である。友の変わらぬ無事と再会への期待を胸に、帰宅後すぐにデジカメを確かめプリントアウトを始めた。次回も元気な笑顔で会えるようにと祈りながら……。本当に楽しかったよー!
 

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