2015年6月28日日曜日

あるがまま精一杯に

(68才を迎えた自画像)
憂いを含んだ自画像となってしまった。
6月16日は、私の68回目の誕生日であった。昨年の誕生日には、子供たちから忘れられて憤慨し、このブログで愚痴っていたが、今年は、忘れられることもなくそれなりに祝いの言葉とプレゼントをもらった。

だから、笑顔での自画像となるはずであったが、誕生日の前日に郷里から義姉(亡長兄嫁)の逝去の知らせが入ったので、こうした顔となってしまった。

義姉は、5年前に蜘蛛膜下出血の大手術をして奇跡的に回復し、昨年からは自動車の運転ができるまでになっていた。その義姉が、蜘蛛膜下出血の再発ではなく、肝臓がんに侵されて肝硬変を起こして旅立ってしまった。

そのがんの要因は、50年余も前に帝王切開手術をした際の輸血だったのではないかということであった。C型肝炎に感染していたようだというのである。何とも割り切れない話であった。5年前の手術後には定期的に検査を受けていたのだから、もう少し早く発見できなかったものかと残念でならない。肝硬変を発症してからは、余命1カ月以内との診断を下され、本人は何も分からないままに75才で鬼籍に入ってしまったのだから、人の一生なんてものは本当に分からないものである。

(9才を迎える孫の凛太朗)

ここのところつかれたように似顔絵を描いている。
デッサン力がないので、思うように描けないでいるがなんとか画き続けている。妻はもちろん、二人の子供たち、4人の孫たち、亡くなっている両親や妻の母親をも画いた。

孫たちからはあまり似ていないと評判の方はあまり良くない。同じ団地の知人からは金にならない絵描きだなんて笑われているが、その人にも押しつけでモデルとなってもらった。お礼だと言ってイナゴの佃煮をもらったりして、結局は迷惑をかけることとなってしまったのだから、困った迷絵描き?である。

義姉の葬儀に帰郷したので、懐かしい顔ぶれと再会でき、こんな折にしか会えないのは残念だなどと、不遜ではあっても懐かしい思い出を話し合った。

私自身も68才を迎えたのであるから、おじさんおばさんもほとんどが亡くなってしまっている。そんな中で、私の親父の末の妹が90才で元気な顔を見せてくれたので、とてもうれしい思いでいっぱいであった。私の両親に直接繋がる只一人の現役おばさんなのである。

(ただ一人となった90才のおばさん)
私は次兄と一緒におばさんとの再会を喜んで一緒に笑顔の写真を撮った。葬儀の後でのことであったが、少々後ろめたい思いで笑顔をカメラに向けた。そのおばさんの似顔絵も、帰宅してから写真をもとにして描いた。

上手ではないが、おばさんに贈ろうと思っている。私の妻は、このおばさんの様に歳を重ねることができたらいいなどと話している。そうしたコメントも添えて写真と一緒に送るつもりでいる。喜んでもらえるとうれしいのだが---。

人の一生は思わぬことの連続であるようだ。
義姉の死はそのことをつくづくと考えさせてくれた。だから、私たち夫婦は、これからの人生をあるがままに精一杯に生きて行こうと考えている。そして、私たちの存在そのものが、周りの人たちの喜びとなれるように生きて行こうと再確認もしている。

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