雲ひとつないお天気、まさに快晴である。雨天順延が幸いして、りん君の運動会は最高のお天気に恵まれた。10月に入ってから、私にとっては3回目の孫の運動会だ。
小2の花音に始まって、保育園のそうたん(1歳9ヶ月)、幼稚園のりん君(4歳2ヶ月)と続いたのだが、仕事の都合で花音の運動会だけは見に行けなかった。花音には、自分のところだけ来なかったとふくれられたが、『借り暮らしのアリエッテイ』という映画に連れて行って、埋め合わせをした。
運動会は、お天気しだいで日程が狂うことが多く、共働きの若夫婦にはその調整が大変である。二人以上の子供がいて、小学校・幼稚園・保育園と別々に通っていると、その日程のやりくりは本当に大変である。私の場合には、妻が一人ですべてに参加してきたのだが、今にして思えば、働きながらであっただけに本当に大変なことであったと思う。ただただ感謝感謝である。
運動会には、パパ・ママだけでなく多ぜいのじいちゃん・ばちゃんが来ている。りん君も母方のじいちゃん・ばあちゃんが顔を見せてくれた。そして、りん君の出番には、身を乗り出して声援を送った。そうした光景があちこちで見られた。もちろん私たちも手を振って応援した。
そうこうしながら、私は、昭和30年代の郷里の運動会を思い起こしていた。当時、農村という特殊性はあるものの、小学校の運動会は村・地区を挙げての一大イベントであった。そして、その運動会では、親子・兄弟・親戚・級友間のふれあいを深め、親子競争や地区対抗リレーで地域ぐるみの一体感・連帯感を確かめ合ったものだ。
茣蓙に車座になって食べた昼食は、太目のかんぴょうの海苔巻きにぎっしりと詰まったおいなりさん、甘い鯛でんぶのおぎにりに里芋と油揚げの煮物が定番で、芋あり・栗あり・柿ありと秋の味覚も盛りだくさんで、とても楽しいものであった。隣同士がお互いのものを交換し合って、お互いのものを誉めあっては喜んでいた。保育園も幼稚園も少ない時代であっただけに、運動会は、子供たちのお披露目の場でもあり、大人(地域社会)全体が子供たちを認識できる場でもあった。ああ、あの子は〇〇んちの3番目かという具合に。
今の時代にかっての運動会を求めても無理なことは承知している。しかし、カメラやビデオの撮影に気をとられて、わが子だけの記録造りにあくせくしているパパママの姿からは、「時代である」と笑ってはすごせないやるせなさを感じさせる。地域ぐるみで共有できた、子供たちを通じての交流や連帯の場・運動会はもはや存在しないのだと…。今では、たんなる発表会の場に過ぎないのだと…。
澄み切った青空のように、子供たちの心には曇りもかげりもないままでいて欲しい。大人たちの都合や社会の都合で、勝手に染め分けて欲しくはないのだ。生活用品の充実や便利機器の発達が、文化の発展を促したと勘違いしているむきがあるが、心の充実なくしての発展などはあり得ない。小学生の時からケイタイを持たせたり、高価なゲーム機を与えているようではどうしようもない。私たちは、今こそ、子供たちが何を求めているのかを理解すべきである。運動会は、それを理解できるチャンスでもあるのだ。
パパやママ、じいちゃんばあちゃん、おじちゃんおばちゃんを見つけた時の、子供たちのあの喜びに輝いた目を、私たちは忘れてはならない。あの輝きこそが、真に求めているものを証明しているのだ。子や孫のために、運動会に出かける人が多ぜいいるのだから、私たちは、時代の波に流されず、運動会の持つ本来の目的や役割を考え直してみたいものだ。……ヨーイドンである。
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