2010年10月23日土曜日

老いるとは

 この半年ぐらいのタクシー乗務の間に、同じように考えさせられることが3件あった。それは、老いるということであり、その老いがそう遠くない時期に、私にも妻にも確実に訪れるということだった。そしてその体験は、老いが痴呆症をともなうことを見せつけたことで、言いようもないほろ苦さを感じさせるものであった。

 おどおどとして乗り込んできた80歳ぐらいの老人(男)は、いつまでたっても行き先を告げないでいる。私は行き先を確認してから発信させるようにしているので、スタートさせずにこちらからも「どこまでお送りしますか?」とたずねた。「えーと、えーと…。」、老人は考え込んでいるのだが返答が出来ないでいる。 「行き先が分からないと、お送りできませんので、想いだせてから乗られたらいかがですか?」と言って、止むを得ないのでドアを開けてその方を降ろした。そしてしばらく走った後、何となく後ろめたかったので、ユーターンして戻ったが姿はなかった。

 品のよい80過ぎのおばあさんだった。「△△△に行って頂けますか?」「ハイ、かしこまりました△△△でよろしですね。」、行き先が確認できたので、車をスタートさせた。お天気の話などしながら走らせていたら、「あのね、私、タクシーで分からないところに連れて行かれたのよ。」と変な話を始めた。「池袋から乗ったんだけど、あっちこっちまわっても家に着かないから、おかしいわって言ったら、あそこに降ろされちゃったのよ。」「ちゃんと、△△△とおっしゃったのですか?」「△△△じゃなくて、〇〇〇っていったのよ。」「えっ、△△△じゃないんですか?」…。正直、困ったことになったと思った。--どうやら、このお客さんは、自分の行くところが分からないらしい--

 私の不安そうな様子が分かったのか、おばあさんは「私、お金は持ってるから大丈夫よ。」などと見当違いの事を言い出した。どうやら、前のタクシー運転手は、面倒になって降ろしてしまったらしい。私は困ってしまって車を止め、あらためてそのおばあさんの行き先を確認しようとしたが、おばあさんは泣き出しそうな顔になり、「お家に帰りたいの」と訴えるようにしている。何だかんだと話しているうちに、迷子札のことを思い出して、「何か書いたものを持っていませんか?」と言うと、本人も気づいたらしく財布から、メモのようなものを出した。そこには住所と電話番号が書いてあった。早速電話したが、留守なのかだれもでなかった。その住所はそれほど遠いところではなかったので、とにかく送ることにした。

 その住所は、△△△でもなく〇〇〇でもなかった。目的の住所に近づいたのでたずねたら、その周りには見覚えがないと言う。住所の近くに車を止めて、おばあさんには車内で待ってもらって、その家のインターフォンを鳴らしたが誰も応答しなかった。あきらめて、近くの警察に行こうとしたところ、勤め帰りのような男性が、「家に何かごようですか?」と声をかけてきた。その男性に事情を話したら、「うちの母です。うちの母にまちがいありません。」と言って、すぐに車のおばあさんを確認した。息子さんであった。息子さんを見つけたおばあさんの表情が急に明るくなった。料金は息子さんに支払ってもらった。おばあさんは、車を降り、手をひかれてうれしそうに家に入っていった。何度も何度も頭を下げていた息子さんと、あの嬉しそうなおばあさんの顔は、当分の間忘れることはないだろう。

 3件目の体験は、年老いた奥さんが90過ぎの徘徊おじいさんを迎に行くというものであるが、投稿が長文になってしまうので、紹介は次の機会にしたい。

 掲載の写真は、妻が埼玉県の『川越祭り』を撮ってきたものである。こうした伝統行事は、多くの人々の想いと努力が支えとなって、何十年何百年と続けられるものだ。私も妻も、しばらくの間は元気でいられそうなので、何度かは見物に行ける事と思う。祭りには直接関与できなくとも、見学に参加することはできる。参加することが、祭り継続の小さな一助になると信じて…。

 私たちは、喧嘩をしながら、ぼやき合いながら、お互いにボケないことを念じながら生きて行こうと思っている。そして、たとえボケたとしても、社会の一員として、老いた自分たちにもできる小さな役割を、見つけたいと考えている。その役割に、老いてからの生甲斐を感じたいとも思っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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