今朝の8時ごろ、妻を、車で職場まで送ってきた。妻は、いつもなら7キロぐらいの道のりを、健康のためだからと自転車通勤しているのだが「雪道だけは駄目だから送ってよ」と、頼まれたからだ。大雨のときなどにも送っているので、慣れた道筋ではあるのだが、雪道のときは一寸した緊張感を持つので、普段よりも早めに出かけた。車の流れが、まるで違ってしまうからだ。
私の車は、この時期にはスタッドレスタイヤに履き替えており、この程度の積雪には驚かない。でも、東京ではほとんどの車が雪に対応できるタイヤを履いてはいないので、周囲への対応には、結構気を使ってしまう。冬用タイヤを保持することは、それなりに大変なことだ。団地住まいの私などは、その保管場所に苦慮して、知り合いのタイヤ屋さんに預かってもらっているので、毎年季節ごとに履き替えることができているが、ほとんどの人はその保管場所が見つけられずに、困っているようだ。それで、一寸した積雪には、ノーマルタイヤのままで対応しようとして、事故を誘発させてしまう。
私は、去年の7月までタクシーの乗務員をしていたので、東京での雪道がいかに危険に満ちているかを体験として知っている。あわやといった場面にも何度か遭遇しており、雪が積もりだすと、あたふたと帰庫することにしていた。君子危うきに近寄らずの、逃げの一手に徹底していたのである。でも、業務上、止むを得ずに運転している人が大半である限り、自分の注意ばかりではこの雪道の危険は防ぎきれない。
そこで、時期を限っての法整備が必要なのでは、と考えることがある。個人の対応だけに頼っていたのでは、根本的な解決にはならないと思うからだ。時期と地域とを考慮した一律的な使用義務とか、道路の損耗を考慮した履き替え時期の規制とか、タイヤ保管場所の設置とかを法的に整備すれば、予測できる危険を未然に防ぐことができるのではないだろうか。
こうしたことを言い出すと、突拍子もないことだと批判されそうだが、性能の良くなっている車両への一律的な車検制度を見直すことだけでも、予算的な面での解決はできると思えるし、保管場所等も公共の空き地等を防災事業と関連させて活用すればそれなりに解決できると思う。車検制度の見直しで個人の負担もさほどのことにはならないはずなので、実現にはそれほどの困難はないと考えのは甘すぎるだろうか。多くなる廃タイヤの活用についても、従来の油脂化への研究と併せ、チップ化して東日本大震災の復興資材として研究すれば、思いがけない活用法も見い出せるのではないだろうか。
私のひとりよがりの考えはともかく、雪に弱い東京からの脱却を図るためには、点としての個人対応のみに任せないで、面としての行政対応が必要なことは間違いないことだと思う。皆で考えて見る必要があるようだ。雪が積もったからとあたふたしないで、その風情を楽しみたいものである---。