2016年6月21日火曜日

親の心を子は知っている。

親の心をよく知っている、と誉めるべきか。息子家族からの「父の日プレゼント」は、卓上の天体望遠鏡であった。どうやら、孫の天体望遠鏡を羨ましがっていた私の心を察しってのことらしい。69歳にもなって、玩具みたいな天体望遠鏡もないであろう、と思われるであろうが、正直私にはとても嬉しいプレゼントだ。

どんなものでもいいから、天体望遠鏡が欲しいとは、子供時代からの夢だった。その夢が、なかなか実現しなかったのだ。ある時からは、子供みたいだと言って、プレゼントのリストからは外されてしまった。それではと、自作の天体望遠鏡をと考えないでもなかったが、生来の不器用者ゆえ、着手すらできなかった。大げさに言えば、喉から手が出るくらいに欲しかったのだ。

(プレゼントされた卓上天体望遠鏡)
近々、孫たちを連れて、孫の望遠鏡と一緒に秩父の山に星空観測とシャレてみたい。もちろん、オモチャみたいな天体望遠鏡なのだから、どんな星を観測できるかはわからない。でも、澄み切った夜空を眺めながら、あれこれと星空談議を交わすのは楽しいはずだ。できれば、ホタル狩りも併せてと行きたいところだが、そう都合のよいところがあるとは思えない。秩父はどうであろうか。

こんな子供じみた夢を語っている間にも、世相はどんどんと悪化の一途をたどっている。本来なら、ホタルやら星空などと、のんびりしたことなどを言ってはいられない事態なのだ。

舛添都知事の問題は、自公の策略に嵌ってしまい、疑惑解明のないままに幕引きとなってしまいそうだ。本当にふざけた話である。
辞任と引き換えに、全ての疑惑に蓋をかぶせてしまったのだから、自公のやり方はあくどいものである。自公だけなら、さもありなんと理解もできるが、民進党までもがその策略に加担したのだから、何と言ってよいのか分からず、アングリ状態と言ったところだ。参議院選挙で苦戦を噂されてる民進党のとるべき態度だとは到底思えない。何を考えているのかと言ってやりたい。

(我が家の会津土産の定番)
その参議院選挙。あれほど憲法改正をと騒いでいた安倍総理が、選挙まぢかとなった途端に口を噤んで知らぬ顔を決めている。憲法改正が国民に支持されていないことを察知してのことだ。公明党の山口委員長に至っては、憲法問題は争点にさえなっていないと逃げの一手と決め込んでいる。

両党が嘘つき政党であることは、承知済みであるが、少なくとも公党であるのだから、争点隠しをせずに、国民の前で論争すべきが筋であろう。政策論もへちまもなく、あの狂奔じみた「野党共闘は野合」一本やりの攻撃は、国民を愚弄するものでしかないし、破たんしたアベノミクス云々などは子供騙しでしかないことを、いい加減に分かって欲しいものだ。

ネットTVの党首討論では、安倍が「秋の国会から憲法改正を論議したい」と本音を漏らし、選挙戦での争点隠しを自ら暴露してしまった。慌てたのは山口委員長。「国民の間で争点にもなっていないし、政府が発議云々するのはいかがか」と否定のポーズづくりに躍起だが、国民世論が憲法改正問題に大きな関心を示し、改正に否定的なことは承知のはずだ。すべての世論調査がその事実を示しているのだから、世論に敏く変わり身の早い同党が、知らぬはずはないのである。おとぼけもいい加減にしてほしい。

その論より証拠が、都民批判の多さにびっくりして、後出しじゃんけんで舛添辞任を迫り、自らへの延焼を恐れての隠ぺい工作。あの白々しい公明女性都議の「辞任が成ったので、疑惑追及の質疑は取り下げた。あとは舛添氏の問題」との言い訳が、都民の目にどう映ったのか、知らぬわけでもあるまい。これが同党の体質だと言ってもいい。都政も国政も自民追随に徹し「自民党公明部」、あるいは「自民党学会対策部」と化していることを恥じるがよい。学会信者をいつまでもなめ切っていると、必ずや「仏罰」が下されるであろう。よも忘れるではない。





2016年6月18日土曜日

69歳+2日、頑張らねば。

(郷里のあやめ祭り前々日―6/13)
私には72歳までは絶対に生きるという変な拘りがある。親父の逝った歳を超えたいからだ。若い時には、42歳までは絶対に死ねないと言う信念みたいなものも持っていた。その42歳が心筋梗塞で急逝した長兄の逝った歳だからだ。

別に親父や長兄に後を託されたわけではないが、何がなんでも二人の歳は超えたいという拘りは持ち続けてきた。その72歳まで、あと3年弱となった。体調を考えると、まだ十分に余裕はあると思っているが、今の世の中では何があっても可笑しくはないので、大切に生きていこうと思っている。

でも余裕があったとしても、長寿を全うしたオフクロの97歳を再度の目標とはできそうにもない。男は女よりも弱いと言った言いわけではなく、自信が持てないというのが正直なところだ。考えると、オフクロは見た目以上に逞しかったと思う。いつも心臓がどうの神経痛がどうのと騒いでいたが、看護婦出身であるだけに、自己管理をしっかりとしていたようだ。ボケないようにと、折り紙や刺しゅうなどで絶えず指先を動かし続けていた。努力していたのだと思う。

手の震えは感じられても、その文章はしっかりとしたものだった。何かあるたびに、オフクロは手紙に認めて知らせてきた。転んで歩けなくなるまでは、なんだかんだと手紙で知らせてきた。ぼやいたり泣き言を言ったり文句を言ったりといろいろだったが、いつも会いたいとの本音は伝えてきた。会津のオフクロにとって、大阪や東京の子供たちはついそこの距離にいないだけに、本当に心細かったのだろう。もう少し会いに行っておればと反省もしきりである。

(甥の末子―生後6カ月)
そのオフクロは震災の年に、その4年後に義姉が他界した。実家もすっかりとそのメンバーが変わった。写真の赤ん坊は、甥の末子で生後6カ月である。義姉が他界して半年後に生まれた。まるで生まれ替わりだという者もあるが、私はそうは思わない。正に天使の降臨であるかのよう思えてならないのだ。

とにかく可愛い。法事で帰省中の3日間というもの、手放すことなく抱き続けていた。よくミルクを飲み、よく寝て,健康そのものの本当にかわいい女の子である。連れ帰って自宅に置いておきたいぐらいに可愛い。

69才+2日。祖父母を失っているこの子のためにも、私はもう少し頑張らねばと思えるようになった。もちろん、自分の4人の孫たちのためにでもある。頑張って生きねば!

2016年6月16日木曜日

自然から学んでほしい。

 とにかく圧巻であった。自然の織り成す不思議には言葉も出ないと言ったところだ。福島県阿武隈山中の「あぶくま洞」は、国内鍾乳洞の中では最大級の規模を誇っている。未公開や未発見分も含めると、どこまで繋がっているのか分からないそうだ。

あの東日本大震災のおりにも、崩れることなくその自然美を保持していたというのだから、8000万年にも及ぶ自然の力強さには、ただただ頭を垂れるほかはない。

石灰岩から滴り落ちる一滴一滴がこの造形美を完成させているのだから、あくせくとした人間の営みなどは、瞬きにも例えられない。悠久の流れの中では、ちり芥にも過ぎないということなのだが、そのちり芥が見苦しく騒ぎ立てているのが人間界である。

 今日は私の69回目の誕生日である。いよいよ古希の世界に突入したと言ったところだ。だが、この記念(?)すべき朝の報道は、舛添辞任劇で一色に塗りつぶされている。ようやく決着がついたかのような論調が目立ち、そのいいかげんさに、せっかくの誕生日も白けたものとなってしまった。真相究明はどうしたんだ、と言いたい。

辞めさせりゃいいってもんじゃない。なんでも、安倍自らが舛添に直接引導を渡したとか。それも声高に、今やめれば次もあるかのような説得をもって。あたかも安倍の功績でもあるかのような報道には、開いた口も塞がらない。いいかげんに提灯持ちはやめて欲しい。安倍の果たさなくてはならないことは、まず国民に謝罪し、舛添問題の本質を自らに語らせ、その上での辞任であったはず。その上で、政治資金規正法の欠陥を認め、その是正に言及すべきであったはずだ。

それにしても、流石はマスコミと言って笑えばよいのか、早速の後がま候補騒ぎには、呆れてしまう。マスコミの存在価値が問われても止むを得ないところだ。真相究明が先だろうが、誤魔化しの片棒を担ぐではない。

(あぶくま洞―6/13)
朝一番での電話はそれなりに嬉しいものだ。娘親子が、「誕生日おめでとう」の挨拶をしてくれた。孫に至っては、眠そうな声での「おめでとう」であったが、それでも嬉しいものである。2年前には、誕生日を忘れられたと怒っていた私であるが、今朝は、この件に関してはご機嫌だ。息子からは、親子で土曜日に来るとの連絡があって、何やらかプレゼントもあるらしい。歳はとっても嬉しいことは嬉しいものだ。現金すぎる自分に呆れ返りつつも、楽しみにしているのだから、個人的には幸せなのだと思う。

あぶくま洞には、法事で帰郷した帰路に立ち寄った。この自然遺産を、孫たちにも見せてやりたいと思う。風評被害で悩む福島の現実を見せながら、自然との共存についてを学んでもらいたい。福島原発のもたらした罪深さを、浜通りの惨状をつぶさに見せて、肝に銘じさせてやりたい。もの言わぬ孫であって欲しくはないという、じじいの願いを込めて---。

2016年6月7日火曜日

手長エビ釣ったド―!

(釣り上げた手長エビ―6/6)
体長5~6センチの手長エビだ。まあまあの大きさで、手ごたえもエビ独特のものがあり、大いに楽しめた。一緒に行きたいと妻が言い出したので、これ幸いと早速出かけた次第。弁当(私製)持参で自転車をこぎ、小一時間も要する岩淵水門行きも、好きな釣行なので、このときばかりは愚痴なし、の私である。

2時間ほどの釣りであったが、25匹の釣果を得て大満足であった。妻も、10匹ぐらい上げたので大喜びである。何事も妻の喜びを第一とすべしが肝要。

釣ったエビは、かき揚げとして夕膳にのった。桜色のその姿は、いかにも「エビ、海老」としたもので、美味であり目も楽しませてくれた。釣られて食べられたエビにしてみれば、ふざけるじゃないと言ったところであろうが、遊びで釣ったわけではないので、お許し願うのみ。エサはまだまだたくさん残っているので、つぎの釣行も近い。エビ君、待っててね。

(あでやかなユリの花-住民の手による団地花壇―6/6)
自分で手をつくさずに、きれいに咲いたところをついパチリとは、一種の花盗人とでも言えるのだろうか。でも、きれいなものへの感謝を込めてのパチリであるから、多分お許し頂けるものと思う。

それにしても厚顔無恥とはよく言ったものだ。安倍に甘利に舛添と、そろいもそろって面の皮が厚すぎる。反省はおろか謝罪もない。こんな連中がこの国のトップであり、中堅なのだから、と呆れ返るほかはない。

少しは、私を見習え! 写真を撮っても、花盗人ではないかと、心配するこの小心さを見習え!政治の要諦は、庶民感覚を大切にする細心さだ。人の痛みの分かる小心さだ。嘘をつくこと、ほらを吹くこと、人を脅しつけることなどは、政治家の恥でしかない。
安倍も、甘利も、舛添も私(庶民)の細心さ、小心さを大いに見習うがよい。見習え!見習わないなら即退陣せよ。

2016年6月5日日曜日

「だんだん自分が遠くなる。」

(住民が手入れしている団地内の花壇―6/2)
「だんだんお家が遠くなる」とは、童謡の一節であったか。最近、物忘れが激しいので、照れ隠しに「だんだん自分が遠くなる」などと口ずさんでいる。とにかく、その物忘れの頻度が激しく、妻からは「晩御飯に何食べた?」などとからかわれたり、「食べたことさえ忘れてなければ、まだ平気よ」と慰められたりもしている。TVではないが、「どうしたもんじゃろのう]の心境だ。

5/23に、「7秒の記憶」と言う投稿をして、まだまだ頑張らねばと自分を励ましたばかりなのだが、直近の記憶力の悪さには、驚きもし呆れ返ってもいる。正に「だんだん自分が遠くなる」状態なのだ。ちょっと怖いが、一度病院に行って診察を受けてこようかと考えている。

実は、5/23からこの投稿日までの間に、2度投稿 (5/31、6/2) したのだが、下書きに戻してしまった。幸いにして閲覧者がなかったから良いようなものの、大恥をかくところであった。

5/17から、ツイッター を再開しているので、最近の政情などについて呟くことが多くなっている。年甲斐もなく、結構きつい呟きを発することも多く、反応のあるなしにかかわらず、自己満足的に言いたいことを呟いている。もちろん、いい加減なことや誹謗中傷めいたことは呟かない。自分はネトウヨ等とは違うとの矜持を持っているからだ。でも、どうなのだろうか。気短から、カッカとして参戦しているのが本当かも。

(花の種類も多くきれいな花壇だ―6/2)
5/23~6/4までの間には、いろいろな出来事が多くあって頭の整理も大変であった。だんだん遠くなる自分を戻しながらのツイッターなのだから、判断力の鈍ることもしばしばであった。歳のせいとは言いたくないが、もどかしいこと限りなしである。

沖縄での悲劇、伊勢志摩サミット、オバマ氏の広島訪問、マスコミの舛添叩き、国会閉会、甘利の不起訴、定例都議会の開始、参議院選への突入と、心波立たせられる事案が多く、安倍への怒りや憤懣は頂点に達していたと言ってもいい。こうしたおりの呟きや投稿がどんなものか、ご想像頂けると思う。まして、安倍内閣の支持率が上昇したなどと報道されては、じっとしてなどはいられなかった。

下書きに戻した投稿は、2回にわたるもので、原稿用紙に直せば数十枚分と長かったが、一気に書き上げた。安倍内閣の支持率が高いことの理由についてを、「日本会議」との関係から、激情のままに書き綴ったものだ。が、冷静になって読み直してみると、いくつかあいまいで不正解な記述が見られた。で、あわてて下書きに戻してしまった。いつかは、不正解な部分を書き改めて、再投稿したいと考えている。

「だんだん自分が遠くなる」を実感しつつ、いつまで投稿を続けられるだろうか、いつまで冷静に自分の思いを呟き続けられるだろうか、と、しみじみ考えている夜明け前なのだ。

(* 下書きに戻した2件の投稿は、6/9に再投稿した。)



2016年6月2日木曜日

国民はなぜ安倍内閣を支持するのか―2

(再掲示/トイレットペーパーの芯で作った飛行機)
5/31付投稿で示したように、ヘイト攻撃等に見られる民族主義の台頭が顕著となってきた。特に第一次安倍内閣時にその兆しが表面化して以来、くすぶり続けながらも浸透し、第二次安倍内閣に至って、急速にその実態を露わにするようになった。第三次安倍内閣からは、その実態を隠そうともせずに、表面に出てきた。

出てきた新興右翼組織の中には、あろうことか天皇への批判めいた街宣さえ始めているものもある。軍国主義復活のためなら、支柱と仰ぐ天皇さえ攻撃対象にしているのだ。安倍の今上天皇に対する姿勢の表れと言ってもよい。彼らにとっては、天皇は担ぐ神輿に過ぎないということなのだろう。

当初は、暴対法の関係からか、暴力団くずれの政治結社が急増して、街宣車などで騒いでいる程度だった。が、現在はその様相ががらりと変わってしまった。軽トラから大型トラックへぐらいの変化である。右派理論家を交えて理論武装し、いずこからか資金調達もして組織だった運動を展開し始めているのだ。横の連絡体制も取れているようで、侮りがたい存在となっった。ヘイト攻撃は、そうした連中が組織だって行っているもので、散発的な暴走行為ではない。この国を戦前の体制に戻そうとの目的意識をもって、排斥運動を繰り返しているのだ。欧州における、右派の台頭やネオナチ運動と同質と言ってもよい。

右派理論家として目立っている櫻井よしこなどは、そうした連中のマドンナ的存在として祭り上げられている。言論界やマスコミだけでなく政界(特に革新系)への罵倒と中傷を展開しているが、その主張には正当性のあるものなどはなく、ほとんどがデマと欺瞞に満ちたものばかりだ。こうした右派理論家は、政界の中にも入り込んでいる。安倍晋三、稲田朋美などはその代表と言ってもいい。

そうした右派民族主義者のデタラメぶりは、先の朝日新聞社記者攻撃などでその典型を示した。が、現在では、その虚偽主張を告訴されて言い訳も出来ず窮地に立たされている。先の東日本大震災を利用して、緊急車両ガソリン不足をでっちあげ、緊急事態法必要論を展開したが、TBS[報道特集」でその嘘を暴露され、反論さえできずにいる。嘘を平気で言いふらし、人権さえ無視したその手口は、ヘイト攻撃に狂奔する連中と同じで、この国を暗雲で覆い隠そうとしている。

(再掲示/紙飛行機の編隊)
その暗雲の本体である「日本会議」は、言わずと知れた日本最大の右派的民族主義者の集合体である。憲法改正で9条を葬り、自衛隊を国防軍とし、天皇を国家元首と仰ぎ、戦前の軍国主義復活を狙う、時代錯誤もいいところの民主主義破壊の一大組織である。

自民・民進(松原・前原など一部)など政治家も数多く参加しており、実質的に今日の日本を動かしている組織だ。もちろん、安倍や麻生もその名を連ねている。稲田朋美なども幹部格として同然に名を連ねている。櫻井よしこは、その思想的理論部隊の宣伝隊長といったところであろうか。

この「日本会議」が、政界だけにとどまらず、経済界、宗教界、スポーツ界、一般社会にまで浸透していることは意外に知られていない。
形を変え名前を変えて、業界や商店会、町会にまでも食い込んでいるのだ。彼らの言うところの草の根運動によってである。巧妙なのは、その運動が、気づかれないうちに進んでいるということだ。え、あの人もと言う具合にだ。あの実直そうな舞の海が、その旗振り役の一員だなどと誰が信じられようか。意外な面々が、意外なほどその名を連ねている。知られずにその浸透を果たしているということだ。

具体的なところでは、町会活動にもその典型が見られる。日常的な町会活動が、日本会議の手助けになっている、などと気づく人は誰もいない。それだけに、変わりゆく自分に気づくこともほとんどない。でも、長年の間に確実に右派思想がその身ついて、何の不思議も感じなくなってしまっている。残念ながら、私の身近にもそうした人が多い。そこでその一人を例に挙げる。

その知り合いは、青年時代には「民青」と言う共産党系と言われる組織に入っていた。その後、親の代からの店舗(食料品店)を引き継いで、やはり共産党系と言われる「民商」という組織にも入っていた。しかし、、地元商店街の有力者(自民党員)からの影響が大きかったのか、やがて区議会議員は地元出身者をと言うことで、その自民党区議の後援会有力者となった。それでも当初は、都政や国政は革新系でなければと言っていたのだが、町会の幹部になったあたりからは、完全な自民党支持者となり、現在では自民党員として動き回っている。「日本会議」などの草の根運動の成果?だといってもよい。おそらく当の本人は、何も気づいてはいないと思う。日本会議の草の根運動は、その裾野を広げるところにその運動目標を置いている。だから、地方議会の中に占める会員議員の人数は驚くほどに多い。

(再掲示/100円ショップで買い求めたゴム鉄砲)
「民青」とか「民商」とかは、思想の革新性を求める割に実利を与えるという側面が少ない。ある面運動体と言うことで、実利よりも運動優先と言った組織ともいえる。その点、商店会や町会などは日常の繋がりが多いことから、隣組的連帯感が生まれ、交流の中で実利感も得ることができる。ここで言うところの実利や実利感とは、経済的な面だけでなく、友情とか友好的交流とか、心の充足感とかを総称したものだ。具体的な表現は難しいので、感覚的に理解して頂ければと思う。

その実利感は、町会と言う組織ではさらに強くなって、地域の中での自己の存在感を味わうことになる。存在感は、自己の役割が大きくなればなるほど、満足感へと変わっていく。これは、名誉欲とか出世欲とは違ったものだ。存在感から精神的満足感を得たいという、単純な自己満足的欲望だと私は理解している。そう考えると、保守的であるはずの町会長に、無欲でお人好しの人が多いのも頷けるはずだ。叙勲を受けることが最高の幸せと考えているような人たちだ。更に付け加えると、こうした活動ではその伴侶も、本人同様に満足感を得ている場合が多く見られる。婦人部活動と言う名で、本人と一緒に町会活動にいそしんでいるのだ。草の根運動は、こうした形でもその裾野を広げている。日常的な活動であるだけに、遠くの親戚よりもその繋がりは深い。その深い関係の中で、「日本会議」は影響力を強めているのだ。

この町会の組織と同様に、納税協力会とか、青色申告会とか、法人会とか、交通安全協会とか、自衛隊協力会とかでも地域を通じた仲間意識が育まれ、それぞれに精神的満足感を得ようとする人たちが集っている。それぞれの役員を兼務する人も多く、その繋がりは予想外に広く強い絆を見せている。そして、こうした繋がりの多くが、保守系区議や保守系市町村議員を支えることになる。その後援組織が、都政や県政・国政議員を支える基礎組織として働く。考えるまでもないことだ。経済団体や業界団体でも同様なことが起っている。宗教団体などでも当然のように起っている。保守基盤は、こうしたものの集合体で成り立っていると言っていい。だから、強固なのである。

宗教団体と言えば、公明党を支える創価学会にしてもしかりである。「日本会議」と創価学会とがどう繋がるのかと不思議に思えるだろうが、さにあらずなのだ。そこには、選挙制度の問題が大きく関わってきて、政権に足を突っ込み過ぎ抜きさしならなくなった公明党の事情もある。同党は、小選挙区制によって自民党を支えられるようになり、その存在意義を主張できるようになったはいいが、政権欲に捉われたことで、今では自民党の創価学会対策部として働くようになってしまった。真面目な学会員こそいい迷惑であるが、そこはそれ、信じることが第一とする宗教団体の特質もあるから、なかなか気づく人は少ないようだ。昨年の安保法制で目覚めた学会員も多くなってきてはいるが、学会そのものをも動かすほどの高まりとはなっていない。安倍政権打倒を目指すなら、それらの人たちを励まし支援することが肝要だと思う。そして、この励ましや支援こそが、安倍政権打破の重要なポイントとなるはずだ。

ここまでまわりくどく、ヘイト攻撃や民族主義の台頭、それに町会や宗教団体にまで触れてきたのは、「日本会議」の草の根運動が予想以上に浸透しているということ、それも恣意的に巧妙に張りめぐされている、ということを知って欲しいがためである。私にも、誰がいつから計画し実行しだしたかは定かでない。しかし、現に、メディアに対してはその効果を上げている。圧力によって萎縮させた等は、その端的な例だ。NHK会長人事に介入し、傀儡的人物を送り込むなど、その証拠だと言えるのではなかろうか。放送法を盾にされて、圧力に屈してすっかり委縮し、メディアとしての気概すら示せなくなっている現状は、[日本会議」の狙いだったと言ってもいい。高市総務大臣の高圧姿勢などは「日本会議」の勝利を宣言しているようなものだ。

以上の考え方はあくまでも私見であるので、批判があって当然のことと思う。戦争を憎むあまり、安倍自公の暴走を阻止したいがための偏見であるかもしれないが、お許しを願いたい。次にその私見を纏めてみる。その上で、本題とした【国民はなぜ安倍内閣を支持するのか】についてを考察する。思い付きの考察だと不快に思われたのなら早速の離読をお願いする。

サブリミナル効果?

かって、オーム真理教事件でサブリミナル効果と言う言葉が、マスコミを賑わした。潜在意識への繰り返しの問いかけにより洗脳するという意味合いだが、オームはその罠を信者に対して巧妙に仕掛けていた。教材・宣伝アニメの中に、浅原の映像を密かに埋め込んだとか、なんとか帽子とかを被らせて微弱電流で脳に刺激を与え、その効果を高めるとか、マントラ(経文)を唱え続けることで夢遊病的境地に立たせ、ジャンプを浮遊だと誤魔化して超人意識を持たせるとか、実に巧妙に信者を操った。

そのサブリミナル攻撃が、長年にわたってこの国になされている。そして、その効果がここ数年の間に急速に表れだしたのではないか、というのが私の持論である。もちろん、「日本会議」の恣意的な思惑によるものであることは言うまでもないが。

そんな、馬鹿な話がと笑い話にされそうだが、決してそうではない。前の投稿でも触れた―基本政策の支持が少ないのに高支持率を保てる不思議―を解明するためには、そのサブリミナル効果が、この日本にどういう現象を引き起こしてきたかを確認することが必要だ。と同時に、そのサブリミナル攻撃がどのようになされているかの検証も必要となる。そして、その検証が終われば、笑い話でないことが理解できる。

サブリミナル効果を上げるためには、その対象者が影響されやすい状態であることが望ましい。つまりは、真理についてを余り深く考えないようにさせてしまうということだ。事実かどうかは確認のしようがないが、かってアメリカは日本占領を続けるためにと、日本人に対して白痴化政策を仕掛けていたという話が流された。退廃文化を押し付けて考えさせなくしてしまおうとの政策だったというのだ。笑い話のようだが、かってはともかく、現状において白痴化現象が起こっているというのは事実のようだ。それも国民の大多数に及んでいると言っていい。

満員電車の中でもスマートフォンを手ばさない姿や、シルバー席を陣取って障害者を見向きもせずにゲームやメールに熱中している姿、座っているいないに関わらず携帯を絶対に手放さない老若男女、交差点内に子供を置き去りにしたことを忘れてメールする母親、片手自転車運転でメールする若者、歩きスマホに夢中な高校生などと、この国では、携帯(スマートフォン)を例に取り上げても白痴化現象が確実に進行していることが証明されている。このような人たちの多くは、スマホの世界に入り込んでいて、他を考える余裕をさえ失っているのだ。つまりは、麻薬患者が麻薬を欲しがるがるような状態に陥っており、付け入られ易くなっているということだ。サブリミナル効果がでやすい環境をスマホを通じて、自ら作っているのだ。

メディアだけでなくあらゆる組織や団体を通じて、長年に渡りサブリミナル攻撃が続けば、人間の思考方法が変化するのは当然のことだ。それも、本人が気づかないうちに仕掛けられているのだから、防ぎようもないことである。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、町会の回覧板や掲示板、業界新聞や役所の広報誌等、その伝達手段は無制限だったと言ってもよい。「日本会議」と言う危険な組織が、その恣意をもって仕掛け続けたとすると、その効果のほどは知れようというものだ。

戦後の日本人は、先の大戦の反省から平和憲法のもとに、貧しいながらも民主的な教育を受け、戦争のない国家、戦争しない国家を国是として歩んできた。だから軍隊は勿論、武器の製造をもさえ許してこなかった。教育現場では、民主主義の普及のためにと自由な教育が施こされた。又、国威だと称して国旗の掲揚や国家の斉唱などが強要されることもなかった。個人の尊厳が大切にされていたからだ。こうしたことが戦後の私たちには、当然のことであったのだ。

しかし、国を誤らせた戦犯たちが許されて蠢動し始めてから、この国の先行きに齟齬が生じるようになった。安倍晋三の祖父A級戦犯岸信介、同じく賀屋興宣、児玉誉士男、笹川良一等の暗躍が始まると、敵国であったはずのアメリカとの同盟第一に、この国を反共浮沈戦艦とするべく憲法改悪の旗印を掲げるようになった。この段階から事実上の解釈改憲が行われ、警察予備隊、保安隊を経由して今日の自衛隊が創設された。そして、この時から、自衛隊の合憲か否かの論争が始まったのだ。

この時期に、日本帝国への回帰を願う思想が形成され、その中核に生長の家の学生組織が座って活動を始めた。その後その学生たちが中心となって立ち上げたのが「日本会議」の初期組織である。彼らは草の根運動を続けながら、この国の要所要所にその種をまき散らし、長年をかけて右派組織をまとめこの国の右傾化を画策してきた。

小泉政権下で、政権に入った安倍晋三は、祖父岸信介に心酔して、改憲を自己の政治目標と定めて自民党内外で活発に動き始めた。その行動と併せるがごとくに、「日本会議」の活動も活発となり、櫻井よしこなどが右派論客として持てはやされるようになった。草の根運動が「日本会議」の恣意のもとに本格的に活動しだしたのはこの頃からである。サブリミナル効果を狙ったかどうかは定かでないが、あらゆる組織にその根が蔓延るようになった。

教科書問題が騒がれ、慰安婦問題や南京事件等の歴史修正が取りざたされたのもこの頃からだ。国旗掲揚や国歌斉唱を義務付けようと策謀しだしたのもこの頃である。東京都知事となったワンマン石原慎太郎もその役割を大いに担った。彼の領土問題への口出しは、この国の民族主義台頭を促進させたと言ってもよい。現在騒がれているオリンピック招致なども、彼の名誉欲から出発したもので、100億円からの無駄遣いをしただけでなく今日にまで騒ぎの種をまいてしまった。責任も負わず火消もしない本当に罪深い男である。

この領土問題(尖閣諸島や竹島等)からの国防意識は、中国の台頭と北朝鮮の核開発とが絡み合って、周辺危機と言う形で国民の間に浸透させられた。それに合わせての安全保障論議も意識的に活発化され、アメリカとの同盟強化論へと誘導されることとなった。つまりは、国民の間に、こうして考え方が刷り込まれたということだ。だから、安保法制への闘いが高まっても、その強行が為されても60年安保闘争のようには盛り上がらなかったのである。草の根運動と白痴化作戦?の大成功と言ったところだ。

特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則の実質的解除、武器製造の実質的解禁、憲法解釈変更による集団的自衛権行使の容認、アメリカとの軍事同盟の強化、辺野古基地建設の強行、警察権による盗聴行為の容認、米軍との地位協定固定化容認と核保有の法的容認等々安倍政権になってからの反民主義的暴政はとどまるところを知らない。国民の多くは、余りなまでの性急さに、考える余裕さえ与えられずに洗脳された状態になっている。頭の中には絶えず安倍がいて、良いも悪いもなく、その存在を認めるようになっているのだ。安倍、アベ、安倍と言う具合にその偶像化が進んでいるということだ。ドイツの宣伝相ゲッペルスではないが、嘘も百篇繰り返せば真実になるという現象が、現実に起こりつつあるということである。

だから、安倍の存在は、政策云々の問題ではなく、植え付けられた記憶として残されているので、政策が失敗しようが成功しようがは大勢に影響しないという結果を生むようになった。こうした状況を作ったのが「日本会議」であり、その恣意によるサブリミナル攻撃であったと私は思っている。野田政権の悪いイメージが強すぎるので、替りわりなしとして安倍を選択しているというのは、現実的ではなくなっている。そんなものは、過去の話である。―基本政策への支持が少なくても高支持率を保っている―要因は、ここにあったのである。安倍の存在が国民の深層心理に根付かされてしまったということだ。メディアの責任が重いのは当然だといってもよい。

仮に安倍でなく、橋下徹をもってきたらどうであろうか。その際も、「日本会議」にその恣意があれば、安倍と同様な結果を生むに違いない。偶像は、その時代を反映(右派的強権指向)できる雰囲気を要していれば誰でもよいのである。だから、最早、政策だけで安倍政権を倒そうなどは夢でしかないということだ。敵は安倍にあらず偶像を作り出している「日本会議」だと思わなければならない。参議院議員の山本太郎氏も「日本会議」の草根運動には警戒しろと警告を発している。見るべき人は見ているということだ。草の根運動が、サブリミナル現象を引き起こしていることに気づいているのかもしれない。

ここまで述べれば、安倍内閣の高支持率の不思議も、ヘイト攻撃の本質も理解していただけたと思う。繰り返すが敵は安倍や公明党にあらず、黒幕の「日本会議」だということを強調しておきたい。安倍自民党や公明党等はその走狗でしかないということだ。併せて、サブリミナル効果が相当に浸透していることを認め、その上での対応が迫られていることを、肝に銘ずべきとも言いたい。つまり、闘い方を変えよということだ。政策一辺倒では戦えないと自覚せよということでもある。

私の呼びかけや警告は、大げさではなく、平和を愛し戦争反対を唱えて行動する、全ての人々へのメッセージである。例え私見であろうとも、メッセージの中に一片の真実が含まれていると信じて投稿を続けているのだ。ということで、素人故の乱脈乱文は切にお許し願いたい。

長くなってしまったので、黒幕「日本会議」そのものについては、次としたい。