2016年6月21日火曜日

親の心を子は知っている。

親の心をよく知っている、と誉めるべきか。息子家族からの「父の日プレゼント」は、卓上の天体望遠鏡であった。どうやら、孫の天体望遠鏡を羨ましがっていた私の心を察しってのことらしい。69歳にもなって、玩具みたいな天体望遠鏡もないであろう、と思われるであろうが、正直私にはとても嬉しいプレゼントだ。

どんなものでもいいから、天体望遠鏡が欲しいとは、子供時代からの夢だった。その夢が、なかなか実現しなかったのだ。ある時からは、子供みたいだと言って、プレゼントのリストからは外されてしまった。それではと、自作の天体望遠鏡をと考えないでもなかったが、生来の不器用者ゆえ、着手すらできなかった。大げさに言えば、喉から手が出るくらいに欲しかったのだ。

(プレゼントされた卓上天体望遠鏡)
近々、孫たちを連れて、孫の望遠鏡と一緒に秩父の山に星空観測とシャレてみたい。もちろん、オモチャみたいな天体望遠鏡なのだから、どんな星を観測できるかはわからない。でも、澄み切った夜空を眺めながら、あれこれと星空談議を交わすのは楽しいはずだ。できれば、ホタル狩りも併せてと行きたいところだが、そう都合のよいところがあるとは思えない。秩父はどうであろうか。

こんな子供じみた夢を語っている間にも、世相はどんどんと悪化の一途をたどっている。本来なら、ホタルやら星空などと、のんびりしたことなどを言ってはいられない事態なのだ。

舛添都知事の問題は、自公の策略に嵌ってしまい、疑惑解明のないままに幕引きとなってしまいそうだ。本当にふざけた話である。
辞任と引き換えに、全ての疑惑に蓋をかぶせてしまったのだから、自公のやり方はあくどいものである。自公だけなら、さもありなんと理解もできるが、民進党までもがその策略に加担したのだから、何と言ってよいのか分からず、アングリ状態と言ったところだ。参議院選挙で苦戦を噂されてる民進党のとるべき態度だとは到底思えない。何を考えているのかと言ってやりたい。

(我が家の会津土産の定番)
その参議院選挙。あれほど憲法改正をと騒いでいた安倍総理が、選挙まぢかとなった途端に口を噤んで知らぬ顔を決めている。憲法改正が国民に支持されていないことを察知してのことだ。公明党の山口委員長に至っては、憲法問題は争点にさえなっていないと逃げの一手と決め込んでいる。

両党が嘘つき政党であることは、承知済みであるが、少なくとも公党であるのだから、争点隠しをせずに、国民の前で論争すべきが筋であろう。政策論もへちまもなく、あの狂奔じみた「野党共闘は野合」一本やりの攻撃は、国民を愚弄するものでしかないし、破たんしたアベノミクス云々などは子供騙しでしかないことを、いい加減に分かって欲しいものだ。

ネットTVの党首討論では、安倍が「秋の国会から憲法改正を論議したい」と本音を漏らし、選挙戦での争点隠しを自ら暴露してしまった。慌てたのは山口委員長。「国民の間で争点にもなっていないし、政府が発議云々するのはいかがか」と否定のポーズづくりに躍起だが、国民世論が憲法改正問題に大きな関心を示し、改正に否定的なことは承知のはずだ。すべての世論調査がその事実を示しているのだから、世論に敏く変わり身の早い同党が、知らぬはずはないのである。おとぼけもいい加減にしてほしい。

その論より証拠が、都民批判の多さにびっくりして、後出しじゃんけんで舛添辞任を迫り、自らへの延焼を恐れての隠ぺい工作。あの白々しい公明女性都議の「辞任が成ったので、疑惑追及の質疑は取り下げた。あとは舛添氏の問題」との言い訳が、都民の目にどう映ったのか、知らぬわけでもあるまい。これが同党の体質だと言ってもいい。都政も国政も自民追随に徹し「自民党公明部」、あるいは「自民党学会対策部」と化していることを恥じるがよい。学会信者をいつまでもなめ切っていると、必ずや「仏罰」が下されるであろう。よも忘れるではない。





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