あの東日本大震災のおりにも、崩れることなくその自然美を保持していたというのだから、8000万年にも及ぶ自然の力強さには、ただただ頭を垂れるほかはない。
石灰岩から滴り落ちる一滴一滴がこの造形美を完成させているのだから、あくせくとした人間の営みなどは、瞬きにも例えられない。悠久の流れの中では、ちり芥にも過ぎないということなのだが、そのちり芥が見苦しく騒ぎ立てているのが人間界である。
今日は私の69回目の誕生日である。いよいよ古希の世界に突入したと言ったところだ。だが、この記念(?)すべき朝の報道は、舛添辞任劇で一色に塗りつぶされている。ようやく決着がついたかのような論調が目立ち、そのいいかげんさに、せっかくの誕生日も白けたものとなってしまった。真相究明はどうしたんだ、と言いたい。
辞めさせりゃいいってもんじゃない。なんでも、安倍自らが舛添に直接引導を渡したとか。それも声高に、今やめれば次もあるかのような説得をもって。あたかも安倍の功績でもあるかのような報道には、開いた口も塞がらない。いいかげんに提灯持ちはやめて欲しい。安倍の果たさなくてはならないことは、まず国民に謝罪し、舛添問題の本質を自らに語らせ、その上での辞任であったはず。その上で、政治資金規正法の欠陥を認め、その是正に言及すべきであったはずだ。
それにしても、流石はマスコミと言って笑えばよいのか、早速の後がま候補騒ぎには、呆れてしまう。マスコミの存在価値が問われても止むを得ないところだ。真相究明が先だろうが、誤魔化しの片棒を担ぐではない。
(あぶくま洞―6/13) |
あぶくま洞には、法事で帰郷した帰路に立ち寄った。この自然遺産を、孫たちにも見せてやりたいと思う。風評被害で悩む福島の現実を見せながら、自然との共存についてを学んでもらいたい。福島原発のもたらした罪深さを、浜通りの惨状をつぶさに見せて、肝に銘じさせてやりたい。もの言わぬ孫であって欲しくはないという、じじいの願いを込めて---。
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