(郷里のあやめ祭り前々日―6/13) |
別に親父や長兄に後を託されたわけではないが、何がなんでも二人の歳は超えたいという拘りは持ち続けてきた。その72歳まで、あと3年弱となった。体調を考えると、まだ十分に余裕はあると思っているが、今の世の中では何があっても可笑しくはないので、大切に生きていこうと思っている。
でも余裕があったとしても、長寿を全うしたオフクロの97歳を再度の目標とはできそうにもない。男は女よりも弱いと言った言いわけではなく、自信が持てないというのが正直なところだ。考えると、オフクロは見た目以上に逞しかったと思う。いつも心臓がどうの神経痛がどうのと騒いでいたが、看護婦出身であるだけに、自己管理をしっかりとしていたようだ。ボケないようにと、折り紙や刺しゅうなどで絶えず指先を動かし続けていた。努力していたのだと思う。
手の震えは感じられても、その文章はしっかりとしたものだった。何かあるたびに、オフクロは手紙に認めて知らせてきた。転んで歩けなくなるまでは、なんだかんだと手紙で知らせてきた。ぼやいたり泣き言を言ったり文句を言ったりといろいろだったが、いつも会いたいとの本音は伝えてきた。会津のオフクロにとって、大阪や東京の子供たちはついそこの距離にいないだけに、本当に心細かったのだろう。もう少し会いに行っておればと反省もしきりである。
(甥の末子―生後6カ月) |
とにかく可愛い。法事で帰省中の3日間というもの、手放すことなく抱き続けていた。よくミルクを飲み、よく寝て,健康そのものの本当にかわいい女の子である。連れ帰って自宅に置いておきたいぐらいに可愛い。
69才+2日。祖父母を失っているこの子のためにも、私はもう少し頑張らねばと思えるようになった。もちろん、自分の4人の孫たちのためにでもある。頑張って生きねば!
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