2010年7月5日月曜日

孫には負けました

 奥入瀬の清流は、何人の心をも清々しくさせる。私が奥入瀬を散策したのは、20年以上も前のことである。初秋の頃で、渓流沿いにはまだ紅葉は見られなかった。

 あの頃の私は、ヘビースモーカーで、美しい渓流の散策にも関わらず、途中で何度も喫煙をした。吸殻は持参した空き缶に入れ、臭いを撒き散らしながら、散策を楽しんでいた。その頃は、今日のように、禁煙についてはさほどはうるさくなかったので、タバコの臭いを撒き散らしながら歩いても、罪悪感を感じるようなことはなかった。喫煙は、個人の嗜好の問題であって、周囲にとやかく言われる必要がない、とさえ考えていた。だから、奥入瀬のようなところで喫煙しても、当然の行為であるとしか思えなかったのだ。


 そのような私も、12年前に週2回のタクシー乗務につくようになると、車内のタバコ臭が気になりだし、喫煙本数を減らすようになった。そして、乗客の臭いよりも自身の臭いに、神経が向けられる様になった。当然のように、車内での喫煙は自粛し、車外での喫煙後もウガイをするようになった。それでも、禁煙しようなどとは、露ほども考えなかった。 30数年の習慣は、しっかりと身について、理屈や圧力でおいそれと変えられるものではないのだ。

 初孫が誕生したとたん、妻や娘の圧力は厳しいものとなった。孫に影響するからやめてほしいと、くどいぐらいの圧力となった。禁煙グッズを用意してまで迫られると、持ち前のガンコ癖が頭をもたげ、「楽しみを、奪われてたまるか」と、頑強に抵抗した。喫煙場所がベランダのみとなっても私の抵抗はやまず、寒さをこらえての喫煙も、乙なものとなった。私の抵抗は、4人目の孫が誕生しても、ガンコに続けられた。それでも、孫たちやよその子供たちの前では、絶対に喫煙はしないようになった。

 その私が、突然に禁煙を宣言し、今日まで半年以上も禁煙を続けている。薬もグッズも何ものにも頼らずにである。「来年の正月元旦から、禁煙するよ。」…私の禁煙宣言は、去年11月の家族旅行の時であった。半信半疑の家族の前で、私は、キッパリと宣言したのだ。

 元旦になって宣言どうりに禁煙したので、家族の面々は驚いている。その禁煙理由を教えていないので、その実行性には疑問を持っていたようだ。「孫に負けました。」とは言いづらいので理由は言わずにいたが、「おじいちゃんタバコ臭い。」と上の孫に顔をしかめられたこと、旅行で4人の可愛い孫たちと楽しく遊びながら、「もっともっと長くこうして遊びたい。」と思い至ったことが、決意したきっかけだった。

 ガンコ者も、孫には勝てないもののようだ。「孫には負けました。」…である。
 


0 件のコメント:

コメントを投稿