レントゲン写真を前に、何故痛むのかを教えられる。脊椎を支える軟骨がいくつも磨り減っているのを見せられて、痛むのが当然で、それが年をとったと証拠と言われると、どうしても侘しさを感じてしまう。ベットにうつ伏せになり、お尻に何十年ぶりかの注射を打たれた時は、そのズンとした痛みで、子供のときのペニシリン注射を想いだしてしまった。………こんな調子では、孫の抱っこもできそうにない………いやだいやだ………。
私には、私なりの政治信条がある。支持する政党も、支援した候補者もいる。残念ながら、今度の参議院議員選挙は、私の希望とは相容れない結果となってしまった。でも、このことは予想できたことだったので、それほどの衝撃はない。残念でも、次に頑張ればよいのだから…。 胸のしこりとして私に残されたものは、こうした敗北感ではない。大げさかもしれないが、この国のあり方や孫たちの将来に、疑念や不安を抱かせたと言う事なのだ。それも深刻なものとしてである。
この国は、不十分ながらも、民主主義国家を標榜してから、60数年の歴史を作ってきた。その歴史は、国際的には経済大国としての地位を築きながらも、対米基調が災いしてか、外交に於いては対米従属を強いられるという、不可思議なものとなってしまった。独立国家の首都やその周辺に、他国の軍事基地が存在するなどあり得ない話なのに、この国の政権は、屈辱的な事実を、国の安全保障の名目で正当化してきた。愚かしいことに、商業主義に陥っているこの国のマスコミも、真実を報道する本来の役割を忘れて、国民の目をオブラートで包み込むという、恥ずべき行為を繰り返してきた。
共犯者としてのマスコミは、バブルを煽りたてたり、小泉劇場などという馬鹿げた騒ぎを演出したり、その息子を追い回すことで旧勢力の浮揚に貢献したりと、国民の目を眩ます役割を反省もなく果たしている。 時の政権が不安定になると、かっての新自由クラブ、さきがけ、自由党、新進党などの立ち上げがそうであったように、新党が乱立する。よく考えれば、改革を標榜しての不満分子が集散離合したにすぎないことなのに、マスコミは新勢力が出現したと騒ぎたて、本質から目をそらさせてしまう。そして、騒ぎ立てることで、一時的にせよ、その勢力の伸張を助けてきた。
今回議席を増やした新党の代表は、行政改革や天下り撲滅を掲げているが、その本人は、囀りまくっただけで何の実績も上げられず、壁が厚かったからと同士の獲得もならずに逃げ出した一人である。ただ、その逃げ出しが他に先んじていたことで、マスコミに長時間注目されたことが、彼や彼らに幸いした。マスコミは、ここでも過ちを犯した。国民に考えさせるのでなく、恣意はともかく国民を誘導してしまったのだ。彼を、いや彼らの勢力を、改革の先覚者と錯覚させ、そのイメージを国民に植えつけてしまった、という過ちをである。
800数十兆円もの負債について、国家予算がどのようにして使われ、その結果誰がどのようにして膨らませたのか、そしてその責任は誰がとるべきなのかの、徹底した原因の追求もない。普天間の現状を誰が作り出し、何故長い間沖縄県民を苦しませてきたのかの、本質的な追求もない。この二つの事柄は、今の日本を語る上で、国のあり方を問う本質的な問題だと、私は考えているのだが…。
選挙におけるマスコミの果たすべき役割は、こうした国の根幹に関わる問題を、徹底した真実の報道と正確な資料の提供を行うことにある、と私は思っている。その報道のあり方や資料の提供の仕方に、それぞれの違いがあったとしても、これをもとに国民は公平な選択をすることができると思う。マスコミは、時の政権におもねったり、話題性や興味本位のニュースに国民を誘導してはならないのだ。特に、選挙に際しては、マスコミ本来の役割を思い起こし、責任を果たすべきである。
長文の投稿となってしまったが、孫たちの将来や国のあり方を考えれば、まだまだ足りないぐらいなので、もう少しだけ主張させて欲しい。それだけ、不安を覚え、危惧を募らせているということだ。
戦後から現在までを、一つのスパンとして考えた場合、この国は間違いなく、右方向に傾いてきている。正しいかどうかは別にして、保革の均衡という一面から考えても、そのことは事実である。かって革新と呼ばれた勢力の退潮は甚だしく、バランスを崩した大きな要因となっている。保守本流の自民党が伸張したわけでもないが、替わりとして中間的な存在としての民主党やみんなの党が勢力を伸ばしてきた。公明党がかろうじて勢力を保っていることは、宗教団体に支えられた宗教政党である限り当然なことであって論じるまでもない。問題は、勢力を伸ばしてきた民主党やみんなの党をどう見るかということだ。そして、大切なことは、その勢力伸張に、マスコミが補完的な役割を果たしてきたということでもある。
民主党やみんなの党は、集散離合を繰り返してきた党であり、している党でもある。元をただせば、自民党の分派的勢力が主体であり、保守の亜流といっても言い過ぎではない。こう考えると、かっての保革のバランスが大きく変わってしまったことに気づく。六分四分であったものが、九分一分以上にも隔たってしまったのだ。このことは、長期間に渡ってマスコミの果たした役割を考えたとき、簡単に「民意の反映」であった、と納得は出来ないのである。商業主義に陥った結果として、民意を、悪しき方向に誘導してきたとしか思えないのである。
教科書の沖縄問題や南京事件の取り扱い方、国歌斉唱や国旗掲揚の強制、憲法9条改悪問題、安保条約の拡大解釈による自衛隊の海外派遣等々、危険な方向への歩みは速まっている。こうした急速な右傾化への歩みについて、亡くなられた[井上ひさしさん]をはじめ多くの方々は、九条の会http://www.9-jo.jp/等を作って国民に警鐘を鳴らし続けてきた。このことは、とても大切なことであるのに、マスコミの対応は警鐘に応えるものとはなっていない。気づいていないはずはないのだ。気づいていても、気づかぬふりをすることが、今のマスコミには必要なのか、と疑わざるを得ない。不審でたまらない。
私は、こうした危険な流れに、不安を感じ、じっとしていられないほどの危惧を抱いている。孫や国の将来のために、身体をなげだすことがあるのでは、との予感めいたものも感じている。添付した写真の靴は、孫の[りん君]へのささやかな誕生祝いである。この可愛い[りん君]や[ゆうじろう][そうたん]を、戦争になどかり出されたくはない。そんなことは絶対に許されないことだ。そのためにも………
800数十兆円もの負債について、国家予算がどのようにして使われ、その結果誰がどのようにして膨らませたのか、そしてその責任は誰がとるべきなのかの、徹底した原因の追求もない。普天間の現状を誰が作り出し、何故長い間沖縄県民を苦しませてきたのかの、本質的な追求もない。この二つの事柄は、今の日本を語る上で、国のあり方を問う本質的な問題だと、私は考えているのだが…。
選挙におけるマスコミの果たすべき役割は、こうした国の根幹に関わる問題を、徹底した真実の報道と正確な資料の提供を行うことにある、と私は思っている。その報道のあり方や資料の提供の仕方に、それぞれの違いがあったとしても、これをもとに国民は公平な選択をすることができると思う。マスコミは、時の政権におもねったり、話題性や興味本位のニュースに国民を誘導してはならないのだ。特に、選挙に際しては、マスコミ本来の役割を思い起こし、責任を果たすべきである。
長文の投稿となってしまったが、孫たちの将来や国のあり方を考えれば、まだまだ足りないぐらいなので、もう少しだけ主張させて欲しい。それだけ、不安を覚え、危惧を募らせているということだ。
戦後から現在までを、一つのスパンとして考えた場合、この国は間違いなく、右方向に傾いてきている。正しいかどうかは別にして、保革の均衡という一面から考えても、そのことは事実である。かって革新と呼ばれた勢力の退潮は甚だしく、バランスを崩した大きな要因となっている。保守本流の自民党が伸張したわけでもないが、替わりとして中間的な存在としての民主党やみんなの党が勢力を伸ばしてきた。公明党がかろうじて勢力を保っていることは、宗教団体に支えられた宗教政党である限り当然なことであって論じるまでもない。問題は、勢力を伸ばしてきた民主党やみんなの党をどう見るかということだ。そして、大切なことは、その勢力伸張に、マスコミが補完的な役割を果たしてきたということでもある。
民主党やみんなの党は、集散離合を繰り返してきた党であり、している党でもある。元をただせば、自民党の分派的勢力が主体であり、保守の亜流といっても言い過ぎではない。こう考えると、かっての保革のバランスが大きく変わってしまったことに気づく。六分四分であったものが、九分一分以上にも隔たってしまったのだ。このことは、長期間に渡ってマスコミの果たした役割を考えたとき、簡単に「民意の反映」であった、と納得は出来ないのである。商業主義に陥った結果として、民意を、悪しき方向に誘導してきたとしか思えないのである。
教科書の沖縄問題や南京事件の取り扱い方、国歌斉唱や国旗掲揚の強制、憲法9条改悪問題、安保条約の拡大解釈による自衛隊の海外派遣等々、危険な方向への歩みは速まっている。こうした急速な右傾化への歩みについて、亡くなられた[井上ひさしさん]をはじめ多くの方々は、九条の会http://www.9-jo.jp/等を作って国民に警鐘を鳴らし続けてきた。このことは、とても大切なことであるのに、マスコミの対応は警鐘に応えるものとはなっていない。気づいていないはずはないのだ。気づいていても、気づかぬふりをすることが、今のマスコミには必要なのか、と疑わざるを得ない。不審でたまらない。
私は、こうした危険な流れに、不安を感じ、じっとしていられないほどの危惧を抱いている。孫や国の将来のために、身体をなげだすことがあるのでは、との予感めいたものも感じている。添付した写真の靴は、孫の[りん君]へのささやかな誕生祝いである。この可愛い[りん君]や[ゆうじろう][そうたん]を、戦争になどかり出されたくはない。そんなことは絶対に許されないことだ。そのためにも………
……マスコミは、本来の役割を忘れるな! 真実をオブラートで包み込むな! ……である。
ギックリ腰の痛みをこらえて、二日がかりの投稿となってしまった。……痛い、ああ痛いのに……。
ギックリ腰の痛みをこらえて、二日がかりの投稿となってしまった。……痛い、ああ痛いのに……。
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