私は、バブルの終わる頃、事業に失敗して家族と離れ、3年余り埼玉県の山に近い地方都市で再起を期していた。上州おろしの吹きすさぶ寒い町だったが、何とかしようと必死にもがいていた。もがきながらも、慣れない一人暮らしを続けるためには、自分なりに生活に充足感を持たせる努力が必要であった。釣りが好きになったのもこの時期である。荒川や利根川でのヤマベと鮒釣り、その支流を遡ってのハヤやヤマメ釣り等は、それなりに心を落ち着かせてくれた。秩父の山奥まで出かけて道に迷ってしまい、熊が出るのではないかなどと、逃げ帰ったこともあった。釣り以外でも、生活に楽しみを与えてくれたものがあった。それが高校野球である。
私は、仕事の途中で、汗を流しているとある高校の野球部員達をよく見かけた。仕事の順調なときには、自分たちで草野球のチームを作っていた私だけに、それ程上手でもない部員たちの練習ぶりは、微笑ましく懐かしいものであった。「がんばれ、がんばれ、へこたれるなよ。」声には出さなかったが、グランドのフェンス越しにいつも声援を送っていた。もちろん、自分への励ましも兼ねてのことであったが…。その無名で弱小の高校も、甲子園を目指して夏の大会に出ていた。ある日、近くの古びた地方球場で試合をすることになったので、早速、応援に出かけることにした。
相手チームは、県内では名の売れた高校であった。応援団もブラスバンドもそろったチームで、試合開始前から、呑んでかかっていたようだ。予想どうり、試合は一方的なものとなってしまい、5回コールドという惨憺たるものであった。当然といえば当然と言えた試合であったが、部員たちは最後まで頑張った。それこそ一生懸命にである。試合後、その部員達が、泣きじゃくりながら、まばらな応援席に深々と頭を下げた姿には、思わず感動をさえ覚えたものだ。そこには、地方大会ならばでの清々しさがあった。これぞ高校野球と言える何かを、感じさせてくれたのである。
この試合をきっかけに、私は高校野球が好きになった。あれ以来、もちろん、あの弱小チームを応援してきている。春の大会、夏の大会、秋の大会と時間の取れたときは、球場にも出かけた。私の居た3年余りの間には、何度かの勝利もあった。抱き合って喜び合う仲間もなかったが、それなりに嬉しくなって、一人で祝杯を挙げたものである。「よかったなぁ、よく頑張った。よしよし」と頷きながら、逆に励まされていると感じてさえいた。このチームは、あれから十数年たった今も、上位進出を果たしたことはないが、そこそこの戦いは続けている。この夏もそうであった。
かっての相手チームは、県内の強豪校として名をはせ、常にシード校として活躍しているが、この夏は準決勝で敗れてしまった。そのチームを倒して、決勝進出を果たしみごと優勝したのは、本庄第一高校である。ノーシードから、勝ち上がってのすばらしい優勝であった。この本庄第一高校とそれほど離れていないところに、私の応援する高校はある。だからつい………
………「君たちも頑張れば勝ち上がれるよ。ノーシードでも優勝できるんだからね。」と、自分勝手に勝利の美酒に酔いしれたいと、ささやかに願ってしまう私なのである……。
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