2016年4月13日水曜日

小旅行を楽しんだ。

(羽村市のチューリップ畑-4/12)
4/12 羽村市のチューリップ祭りに行ってきた。チューリップのあでやかな色どりとその規模には、予想を超えるものがあり圧倒される思いであった。いつものように、旅姿(?)三老人(私、妻、妻の姉)で、あちこちと歩き回って楽しんできた。

羽村市は、かの[大菩薩峠」の作者中里介山の生誕地であり永眠している処である。その中里介山が、筋金入りの反戦論者であったことは知らなかった。あの言論統制の厳しい時代に、その信念を曲げなかったと言うのだから頭の下がる思いだ。昭和19年、腸チフスで59歳という若さで亡くなったとのこと、敗戦を知らずしてその無念さはいかばかりであったろうか。

羽村には、玉川上水の取水堰がある。現在はその様相も変わって、大掛りで近代的な取水堰となっているが、かの開鑿者・玉川兄弟の時代にはどのようなものであったろうか。一昔前に、その業績を歌舞伎じたてにした前進座の[玉川兄弟]を、妻の母と観たことを思い出す。そのゆかりの地にその娘(今は婆さん)たちと立っているのだから、なにかしらの因縁を感じずにはいられない。当時もそうであったと思うが、多摩川の水は今も思った以上に澄んでいた。

(羽村の取水堰-4/12)
中里介山とは反対に、国威高揚に協力したと言われる、かの吉川英治は青梅の住人であった。その記念館が会場から車で30分ほどだというので急遽訪れることにした。記念館には、本や資料だけでなく、昭和初期から高度成長期ぐらいにかけての懐かしい映画ポスターも貼り出されていた。その懐かしさには三人とも興奮し、あらためて自分たちが昭和の人間だと知らされた。

<宮本武蔵>が、三船敏郎や中村錦之助他多くの役者によって演じられていたことや、佐々木小次郎役を鶴田浩二も演じていたことなど知らなかったことも多く、その思想性はともかく、映画を通じて、吉川文学が多くの国民に愛されていたことを知った。

その吉川英治記念館からは、あの大菩薩峠に至る丹波路を辿ることができる。ということで、足を延ばして奥多摩湖にも行った。マイカーでの小旅行はどこにでも行けるので本当に便利である。奥多摩湖は二十数年ぶりだったので、「奥多摩水と緑のふれあい館」ができていたことは知らなかった。

(桜が満開だった奥多摩湖-4/12
私は、このダム(貯水ダム)を奥多摩湖とは呼ばず小河内ダムと呼んでいる。ダム湖に沈んだ小河内村の知人もいて、建設当時のことなども聞いた覚えがあるからだ。その小河内ダムの水資源について、ふれあい館で3D映画を見たりした。ふれあい館はとても勉強になったので、次回は孫たちを連れて行こうと思っている。

大菩薩峠は、このダム湖の上奥にあり、多摩川の水源地となっている。峠には、二十代前半に2回登ったが、とても急峻で苦しかったことが想い起こされる。その登山も、今では途中まで車で行けるとかで、大分楽になったらしい。それでも、今の私ではもう登れないだろうと思う。寂しい限りだ。

混雑した新青梅・青梅街道を帰り道として、途中、日本そば「尾崎庵」(善福寺近く)に立ち寄り、夕食に舌鼓を打った。私のお気に入りの手打ちそば屋である。少しかためではあったが、三人とも追加したほど美味しかった。

朝8時半頃に出発した小旅行は、夜の8時頃に義姉を送って終わった。とても楽しかった。

―小旅行中も、私たちのリュックやバックには、「安倍政治を許さない」のメッセージホルダーがつるされて揺れていた。安倍暴政を片時も忘れないためにと、どこにでもつけて歩くからだ。私たちは、日本の危機が身近に迫っていることを、一瞬でも忘れてはならないのである。―

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