2010年10月30日土曜日

短くなった秋

 記録的な猛暑が漸く終わったと思ったら、山々は急いで紅葉のたたずまいを見せ始めた。ここのところの異常気象は、夏から一気に冬にいたるという、秋外しの様相を強めている。ゆったりとした四季の移ろいが楽しめたのは、過去の話となってしまうのだろうか。日本の気候は、フィリピンに近い亜熱帯に変わろうとしているようだ。やがて、北海道でバナナが収穫できるということになるかも知れない。事実、東京湾の舘山周辺には、沖縄あたりに見られるサンゴやあでやかな熱帯地方の魚が確認されている。まさに温暖化現象が起こっている証拠である。

 ニュースでは、昭和記念公園のコスモスが満開とのこと。早速出かけようとしたら、冷たい雨が降って冬もどきの寒さになってしまい、中止となってしまった。なんせ、出かける予定の3人は、60~70歳の老人だから、無理はしないことにしている。青空の下、可憐なコスモスに囲まれたいと期待していただけに、中止はとても残念であった。…が、諦めたわけではない。コスモスが無理でも、紅葉や銀杏並木がある。埼玉県新座市の平林寺境内のもみじや神宮外苑の銀杏の葉が、風に吹き流される様は絵画的で、里の秋を満喫するのには十分である。楽しめる時期も11~12月にかけてであるので、焦る必要もないが、モミジやケヤキの色づきが悪くくすんでいるとのこと、ちょっと心配ではある。

 今日は10月の30日(土)である。時期はずれの台風14号が、関東地方に接近中とのことで、歓迎されざるその訪れを、私はメールを打ちながら待っているところだ。風も強くなってきた。雨足も強くなっている。最接近が近いようだ。孫たちの学校や保育園はお休みなので、今日は台風の心配はする必要がない。これが平日のことであったら、心配で気もそぞろとなり、車でお迎え?に走り廻っていた事と思う。私はジジ馬鹿なのだから…。

 異常気象で秋季が短くなっている。1日の寒暖の差が極端に大きくなって、スコールのような豪雨や竜巻が頻繁に起こっている。経験したこともないような自然災害が、時期に関係もなく発生している。奄美大島の記録的な豪雨は、今後起こりえる大異変のまがまがしい前兆であるのだろうか。こんな時に……

 ……のんびりと秋を楽しもうだの孫のお迎えを心配するだのは、あまりにも個人的に過ぎることであろうか?これ程地球が壊れかけているというのに、個人的な喜びに終始にしてよいのであろうか?遅いかもしれないが、自分でも出来ることがきっとあるはずだ。小さいことから始めよう。始めることが大切だと気づいたのだから、まずは第一歩を踏み出さなければ……である。

 

2010年10月27日水曜日

いつか来た道へ?

 衆議院議員北海道5区の補欠選挙の結果が出た。おおかたの予想通り、自民党・町田氏の大勝である。典型的なマスコミのお膳立て選挙であった。勝つべくして勝った自民党のコメントや、勝たせたマスコミのコメントは、それこそ、同じ原稿用紙を読んでいるかのような決まり文句が並べられている。

 政権与党の民主党に対する国民の失望感や不満、小沢氏など政治と金に関する問題でのあいまいさ、政権交代後の与党としての実績の少なさ、相変わらずの景気低迷、進展しない雇用問題等々、判を押したように同じ調子で論じている。そしてそれこそが、"国民の声であり国民感情である"という。景気が悪いのも、失業者が多いのも、政治が悪いのも、みんなみんな与党の民主党が悪いからであり、実効力のない菅内閣のせいであるとして、歩調を合わせて攻撃している。

 オイオイ待ってくれよ…である。私は、政党としての民主党や政治家としての小沢氏は好きではないが、今のマスコミや自民党をはじめとする野党の論調には納得できないものがある。むしろ、納得できないを通り越して危険な臭いをさえ感じているのである。このことについて、共産党員であるⅠ氏と話し合ったことがあるが、やはりその論調は自民党などと同じであり、特に小沢問題については、「あなたの考え方は、一部週刊誌の受け売りでしかないし、小沢の擁護論でしかない。」「国民の声や国民感情は無視してはならないし、証人喚問は当然である。」「国会の場でこそ、白黒をハッキリさせるべきだ。」と批判されてしまった。

 さらにI氏は、尖閣諸島の中国漁船問題にも及び、諸問題と関連づけて、与党の民主党がいかにあいまいな政党か、小沢氏の喚問要求がいかに正当な要求であるのかを、彼なりの論法で主張した。しかし私には、その主張にはマスコミや野党の主張との違いを、見つけることはできなかった。言い過ぎであるかも知らないが、付和雷同であるとしか、感じられなかったのである。共産党までもが冷静さを失っている事態は、非常に危険な状況になっていると言わざるを得ない。

 中国では、反日デモが繰り返されている。日本の国旗が焼かれたり、日本製品が壊されたりしている。尖閣諸島問題の抗議活動であるとのことだが、事態はそのような生易しいものではなくなっている。政府間交渉はおろか民間の交流にさえ、深刻な影響を与え始めている。ネットを媒介にして、あっというまに広がったデモは、反日から反政府へとその矛先が変わりつつあり、中国政府も慌て始めたようだ。

 デモの参加者は、大半が学生や若者である。中国政府に煽動された彼らは、真実の何たるかよりも洗脳された日本憎しの感情に踊らされていることに、気づいてはいない。そして、その感情こそが、中国国民の正義であると信じきっている。私は、国家的煽動とマスコミ的煽動の違いはあっても、国民を誘導しているということに関しては、日本も中国も似通ってきていると危惧している。自由な国である日本と、統制されている中国とを同時に論じることは、本質的に違っていると批判されるだろうが、私には、共通した危険性が含まれているとしか見えない。むしろ、日本のほうが、自由主義という美名にカモフラージュされているだけに、騙されやすいのではないかと思っている。

 今の日本は、危機的な状況にある。経済的な面ばかりではなく、国際的にも国内的にも不安定な状況にある。にもかかわらず、与党も野党も政争にあけくれてばかりで、国家の危機を顧みていない。小沢氏の証人喚問が実現しなければ、国会審議にも応じないなどその最たるものである。小沢氏の問題をそれほどまでに重視したいのであれば、中途半端な対応にしないで、刑事事件として司直の手で裁くべきであろう。国会は、裁判所ではないのだ。どうしても裁きたいのであれば、断罪を主張している議員自身が、資料をそろえ証拠を示して、自身で告訴すればよいことである。その理も分からないとは、情けない限りだ。国会を冒涜するのもいい加減にしてほしい。

 今の中国が、国力の増強を裏づけとして大国主義に陥っていることを、私たちは愚かなことと見過ごしてはならない。なぜなら、私たちは、先の大戦で同じ過ちを犯して大きな犠牲を払っているからだ。形は違っても、中国は、同じ過ちを犯そうとしているのである。そして、第二次世界大戦以上の惨禍が、この地球上にもたらされるかも知れないのだ。危機はすぐそこにまで迫っている。

 私たちは、心せねばならない。マスコミがあらぬ方向で歩調を合わせ始めたときには、大きな落とし穴が待っているということをだ。今のこうした状況を打開するためには、マスコミの正常化をこそ求める必要がある。そのためには、私たち一人ひとりが目覚めなければならない。そして、心のそこから、マスコミや政府に大きな声で訴える必要がある。………いつかきた道へ戻ってはならないと。戻りかけているのだと…。

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年10月23日土曜日

老いるとは

 この半年ぐらいのタクシー乗務の間に、同じように考えさせられることが3件あった。それは、老いるということであり、その老いがそう遠くない時期に、私にも妻にも確実に訪れるということだった。そしてその体験は、老いが痴呆症をともなうことを見せつけたことで、言いようもないほろ苦さを感じさせるものであった。

 おどおどとして乗り込んできた80歳ぐらいの老人(男)は、いつまでたっても行き先を告げないでいる。私は行き先を確認してから発信させるようにしているので、スタートさせずにこちらからも「どこまでお送りしますか?」とたずねた。「えーと、えーと…。」、老人は考え込んでいるのだが返答が出来ないでいる。 「行き先が分からないと、お送りできませんので、想いだせてから乗られたらいかがですか?」と言って、止むを得ないのでドアを開けてその方を降ろした。そしてしばらく走った後、何となく後ろめたかったので、ユーターンして戻ったが姿はなかった。

 品のよい80過ぎのおばあさんだった。「△△△に行って頂けますか?」「ハイ、かしこまりました△△△でよろしですね。」、行き先が確認できたので、車をスタートさせた。お天気の話などしながら走らせていたら、「あのね、私、タクシーで分からないところに連れて行かれたのよ。」と変な話を始めた。「池袋から乗ったんだけど、あっちこっちまわっても家に着かないから、おかしいわって言ったら、あそこに降ろされちゃったのよ。」「ちゃんと、△△△とおっしゃったのですか?」「△△△じゃなくて、〇〇〇っていったのよ。」「えっ、△△△じゃないんですか?」…。正直、困ったことになったと思った。--どうやら、このお客さんは、自分の行くところが分からないらしい--

 私の不安そうな様子が分かったのか、おばあさんは「私、お金は持ってるから大丈夫よ。」などと見当違いの事を言い出した。どうやら、前のタクシー運転手は、面倒になって降ろしてしまったらしい。私は困ってしまって車を止め、あらためてそのおばあさんの行き先を確認しようとしたが、おばあさんは泣き出しそうな顔になり、「お家に帰りたいの」と訴えるようにしている。何だかんだと話しているうちに、迷子札のことを思い出して、「何か書いたものを持っていませんか?」と言うと、本人も気づいたらしく財布から、メモのようなものを出した。そこには住所と電話番号が書いてあった。早速電話したが、留守なのかだれもでなかった。その住所はそれほど遠いところではなかったので、とにかく送ることにした。

 その住所は、△△△でもなく〇〇〇でもなかった。目的の住所に近づいたのでたずねたら、その周りには見覚えがないと言う。住所の近くに車を止めて、おばあさんには車内で待ってもらって、その家のインターフォンを鳴らしたが誰も応答しなかった。あきらめて、近くの警察に行こうとしたところ、勤め帰りのような男性が、「家に何かごようですか?」と声をかけてきた。その男性に事情を話したら、「うちの母です。うちの母にまちがいありません。」と言って、すぐに車のおばあさんを確認した。息子さんであった。息子さんを見つけたおばあさんの表情が急に明るくなった。料金は息子さんに支払ってもらった。おばあさんは、車を降り、手をひかれてうれしそうに家に入っていった。何度も何度も頭を下げていた息子さんと、あの嬉しそうなおばあさんの顔は、当分の間忘れることはないだろう。

 3件目の体験は、年老いた奥さんが90過ぎの徘徊おじいさんを迎に行くというものであるが、投稿が長文になってしまうので、紹介は次の機会にしたい。

 掲載の写真は、妻が埼玉県の『川越祭り』を撮ってきたものである。こうした伝統行事は、多くの人々の想いと努力が支えとなって、何十年何百年と続けられるものだ。私も妻も、しばらくの間は元気でいられそうなので、何度かは見物に行ける事と思う。祭りには直接関与できなくとも、見学に参加することはできる。参加することが、祭り継続の小さな一助になると信じて…。

 私たちは、喧嘩をしながら、ぼやき合いながら、お互いにボケないことを念じながら生きて行こうと思っている。そして、たとえボケたとしても、社会の一員として、老いた自分たちにもできる小さな役割を、見つけたいと考えている。その役割に、老いてからの生甲斐を感じたいとも思っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年10月15日金曜日

ヨーイドン!

 雲ひとつないお天気、まさに快晴である。雨天順延が幸いして、りん君の運動会は最高のお天気に恵まれた。10月に入ってから、私にとっては3回目の孫の運動会だ。
 
 小2の花音に始まって、保育園のそうたん(1歳9ヶ月)、幼稚園のりん君(4歳2ヶ月)と続いたのだが、仕事の都合で花音の運動会だけは見に行けなかった。花音には、自分のところだけ来なかったとふくれられたが、『借り暮らしのアリエッテイ』という映画に連れて行って、埋め合わせをした。

 運動会は、お天気しだいで日程が狂うことが多く、共働きの若夫婦にはその調整が大変である。二人以上の子供がいて、小学校・幼稚園・保育園と別々に通っていると、その日程のやりくりは本当に大変である。私の場合には、妻が一人ですべてに参加してきたのだが、今にして思えば、働きながらであっただけに本当に大変なことであったと思う。ただただ感謝感謝である。

 運動会には、パパ・ママだけでなく多ぜいのじいちゃん・ばちゃんが来ている。りん君も母方のじいちゃん・ばあちゃんが顔を見せてくれた。そして、りん君の出番には、身を乗り出して声援を送った。そうした光景があちこちで見られた。もちろん私たちも手を振って応援した。

 そうこうしながら、私は、昭和30年代の郷里の運動会を思い起こしていた。当時、農村という特殊性はあるものの、小学校の運動会は村・地区を挙げての一大イベントであった。そして、その運動会では、親子・兄弟・親戚・級友間のふれあいを深め、親子競争や地区対抗リレーで地域ぐるみの一体感・連帯感を確かめ合ったものだ。

 茣蓙に車座になって食べた昼食は、太目のかんぴょうの海苔巻きにぎっしりと詰まったおいなりさん、甘い鯛でんぶのおぎにりに里芋と油揚げの煮物が定番で、芋あり・栗あり・柿ありと秋の味覚も盛りだくさんで、とても楽しいものであった。隣同士がお互いのものを交換し合って、お互いのものを誉めあっては喜んでいた。保育園も幼稚園も少ない時代であっただけに、運動会は、子供たちのお披露目の場でもあり、大人(地域社会)全体が子供たちを認識できる場でもあった。ああ、あの子は〇〇んちの3番目かという具合に。

 今の時代にかっての運動会を求めても無理なことは承知している。しかし、カメラやビデオの撮影に気をとられて、わが子だけの記録造りにあくせくしているパパママの姿からは、「時代である」と笑ってはすごせないやるせなさを感じさせる。地域ぐるみで共有できた、子供たちを通じての交流や連帯の場・運動会はもはや存在しないのだと…。今では、たんなる発表会の場に過ぎないのだと…。

 澄み切った青空のように、子供たちの心には曇りもかげりもないままでいて欲しい。大人たちの都合や社会の都合で、勝手に染め分けて欲しくはないのだ。生活用品の充実や便利機器の発達が、文化の発展を促したと勘違いしているむきがあるが、心の充実なくしての発展などはあり得ない。小学生の時からケイタイを持たせたり、高価なゲーム機を与えているようではどうしようもない。私たちは、今こそ、子供たちが何を求めているのかを理解すべきである。運動会は、それを理解できるチャンスでもあるのだ。

 パパやママ、じいちゃんばあちゃん、おじちゃんおばちゃんを見つけた時の、子供たちのあの喜びに輝いた目を、私たちは忘れてはならない。あの輝きこそが、真に求めているものを証明しているのだ。子や孫のために、運動会に出かける人が多ぜいいるのだから、私たちは、時代の波に流されず、運動会の持つ本来の目的や役割を考え直してみたいものだ。……ヨーイドンである。


 

 

 

          
 
 

2010年10月8日金曜日

花は咲いたが?

 ベランダのポーチュラカがきれいに咲いています。今年は特に花の数も多く、妻はニコニコして毎日水やりをしています。
 どういうわけか、私の妻は、大輪の花よりも小さめの花が好きなようです。バラや百合・ひまわりといったものよりも、コスモスや芝桜・桜草といった群生する花や松葉ボタンのような大地に密着している花を好んでいます。派手な花よりも地味な花といったところでしょうか、妻の性格をうかがい知ることが出来ます。

 ところで、花は咲いたが…です。先の投稿で妻と一緒にダイエットに挑戦すると宣言したのですが、2ケ月も経っているのに、何の計画もたてられずあいもかわらずにモタモタとしています。妻は水泳教室に通ったりしていますが、食欲はますます旺盛で、その効果は出ていないようです。

 私はというと、経理の仕事が忙しかったことと、体調が思わしくなかったことを理由に、油っぽいものを減らしているぐらいで、取り立てて何の対応もせずに今日に至ってしまい、むしろ体重が増えてしまいました。タバコを止めると、食欲は旺盛になるようで、本当に困ったものです。このままでは、二人して大輪の花ならぬ大デブになりそうです。

 真剣に挑戦しなくちゃね!反省していまーす。

  

2010年10月5日火曜日

ショックです!

 9月下旬の深夜、杉並区の宮前体育館の近くで、タクシー乗務中に、タヌキが車にはねられているのを見つけた。一瞬目を疑ったが、それはまちがいなくタヌキであった。2ヶ月ほど前に、そこから600~700メートルぐらい離れた上荻で、つがいらしい2匹を見つけて喜んで投稿しただけに、本当にショックであった。その後、あのときの片割れでないこと願いながら、悲しい思いで業務を続けた。そして、彼ら?の厳しい現実を知らされて、見つけたと浮かれていた自分が情けなかった。

 ほどなくして、テレビで、都内でタヌキの生息が数多く確認されているとの報道があった。隅田川を越えた地域でも確認され、それまで考えられていた高尾山方面からだけではなく、筑波山方面からの進出もあるのでは、との考えに興味を持たされた。又、彼らの移動が、深夜の線路(山手線他)を使っている可能性もあるとのことで、そのたくましさには感心させられてしまった。

 喜んだり、悲しんだり、感心させられたりするばかりで、何一つ出来ない私ではあるが、彼らにエールを送ることだけは出来る。「杉並だけでなく、東京のタヌキがんばれ!」「ドライバーの皆さん、タヌキが頑張って生きています。注意して運転してください!」……と。