2016年4月27日水曜日

じいちゃんがとってやる!

(釣りをする一番下の孫-館山にて-12/30)
最近、一番下の孫がよく熱を出す。ついこの間も、インフルエンザだとかで学校を休み2日ほど看てやったばかりなのに、今度は風邪だとかで又看ることになった。

扁桃腺でもはらしたのか、とにかく高い熱を出したので、私も少しオタオタとした。40度にも上昇したのだから、とにかく熱を下げようと、冷えピタを、額・わきの下・内腿にと貼りまくって様子を見た。

それでもなかなか下がらなかったので、私(じいちゃん)流に、「それじゃあ、じいちゃんがとってやる(下げてやる)」と言って孫を抱きあげ、胡坐に入れて後ろから抱きかかえてやった。私が、一番上の孫娘にしてやった、熱退治のおまじないである。

私は、抱きかかえながら、少し体をゆすりつつ呪文のように言い聞かせる。「じいちゃんが、抱っこすれば必ず熱は下がる。お姉ちゃんもこれで下がった」と孫を強く抱きかかえる。初めは赤ちゃんみたいだからと嫌がっていた孫も、冷たい私の体が気持ち良いのかうとうとしながら揺さぶりに任せるようになった。そんなことを小一時間もしていたら、本当に熱が下がった。

以来、下の孫はそれまで抱っこされることを赤ちゃんみたいだからだとして拒否していたのを改め、熱が出れば、素直に私の膝に抱っこされるようになった。しかし、そのせいか、前回は私に風邪がうつってしまい、何日も寝込んでしまったのだから笑い話である。じいちゃんも、抱っこされて熱を下げてほしいものだ。あーあ、いい歳をして何を言うか---である。

トシかなあー。

文京区にある根津神社「つつじ祭り」に行ってきた。例によって、私と妻と妻の姉との老人3人組でである。平日(火曜日)にもかかわらずのそれなりの賑わいは、 この祭りが多くの人々の楽しみとなっていることを教えてくれる。

肝心のつつじは、残念ながら見ごろを過ぎたといった感じであったが、それでも境内に咲き誇る花の群れは必見だと思う。10日ほど前に訪れるべきであったとも思ったが、こればかりはどうしようもない。ネットでは、ちょうど見ごろと知らせていたのだから。

九州では地震による災害で苦しんでいる人が大勢いるのに、つつじの鑑賞だなどとうつつを抜かしていて良いのだろうかと言った後ろめたさもあったが、「動けるときに楽しもう」との3人の申し合わせもあるので、目をつぶることにした。

(外人さんも多くみられた谷中銀座-4/26)
つつじを観てから、根津神社周辺を散策した。写真は、その際に立ち寄った「谷中銀座」の1枚である。それほど長くもない商店街だが下町の活気と言った雰囲気があって、私には楽しい商店街であった。3人で、買い食いをしながら楽しんだ。

この後、「田端銀座」にも行こうということになって歩き回ったが、ナビゲーターである私の記憶があいまいでたどり着けず、疲れただけに終ってしまった。情けないことこの上なしだ。一駅分も間違えていたのだから、お粗末様もいいところである。トシかなあー。




2016年4月20日水曜日

ここまで卑屈になれるか。

(震源は一か所にとどまらない-4/18)
(安倍自公は許さないと大喝!大阪維新にも大々喝!)
達磨さんには何度も登場願って、その都度安倍自公を叱ってもらっているのだが、カエルの顔にションベンの例え通り、一向に反省の様子は見られない。とにかく面の皮が厚いとしか言いようがない。厚顔無恥とはよく言ったものである。

その安倍に輪をかけたかのような愚かな議員がいる。いや議員たちがいると言ったほうが正確だ。もはや、議員としてバッチをつけていること自体が国民を愚弄しているといってもいい。見たり聞いたりしているこちらのほうが恥ずかしくなってしまうぐらいのお粗末ぶりだ。

私は、とりたてて大阪維新を攻撃するつもりなどないのだが、何故か、彼らには、いつも厳しく批判せざるを得ない心境にさせられてしまう。いや、批判などといったレベルの話ではなく、嫌悪感をさえ持たされてしまう。

先に本ブログでもとりあげた足立某だけでなく、下地某、片山の虎さんまでもが狂ってきたようだ。下地に至っては、沖縄県民がどのような思いでオスプレイを見ているかを十分に承知しているにもかかわらず、軍用も疑われるその性能があたかも震災の救助にも役立つかのように喧伝するなど、許しがたいことだ。沖縄県民に対する裏切りでしかない。

かの下地某は、オスプレイが、救助と称して現地に迷惑(風や噴射熱で)をかけたり、積み荷を少し増やせば滑走路が必要になるなどを知っているのだろうか。おそらく承知の上で、政権にすり寄るためにオイショしているのだろう。自衛隊の能力も本当に理解しているのだろうか。救援物資輸送をアメリカのオスプレイに頼まざるを得ない理由など何処にも存在しないはずだ。災害をこのように利用するなど、絶対に許されることではない。

TTP審議を地震対策のためには遅らせたらという野党各派の当然すぎる提案を、審議を続ければ北海道5区の補欠選挙が不利になるのでその回避のための提案だなどと、あえて曲解までして提案政党を口汚く罵っている。よく考えてみたらどうか。審議が進めば、国会決議違反などの事実が次々と明るみに出て、困るのは自公政権側ではないか。馬鹿も休み休み言えである。

足立某に至っては、己の人間的な至らなさを反省するがいい。いくら憎しとは言い、災害救援のための募金活動を自党の懐に入れるための詐欺行為だなどと誹謗・中傷するなど許されることではない。公党である共産党への大侮辱であり、恥ずべき攻撃でしかない。下種の勘繰りもいいところだ。違うというなら、国民の前にその具体的な証拠を示すがいい。それに、足立某自身が駅頭などに立って募金活動をしてみるがいい。善意の募金を詐欺まがいに流用できるかどうか、自分で試してみるがいい。それでもできると言い張るのであれば、己のゆがんだ心根をよくよく見つめなおせと言いたい。それもできないようであれば、議員など辞めてしまえ!税金の無駄遣いだ。

まさかの片山さんである。大阪維新には、人間としての尊厳を失わせるなにかが存在するのだろうか。あの片山虎之助氏がである。言うも言ったり「今度の地震は(政局の)良いタイミング」だとは、いくら本音だとは言え、絶対に吐いてはならない暴言なのに。罹災者を侮辱し、災害を政局とみなす卑しい考え方でしかないと、大いに反省を促したい。片山さん、自身の尊厳を守るためにも、大阪維新とは決別すべき時ではないんですか。足立某や下地某とは一緒になって欲しくない。

2016年4月16日土曜日

異常なり、天地人!

(咲き誇っているシクラメン-4/15)
3月の初めに咲きだしたシクラメンは、今が見ごろとなっている。我が家では、このシクラメンを「高田シクラメン」と呼んでいる。妻が退職した際に高田さんという元同僚から頂いたからだ。

この「高田シクラメン」は、頂いてからも毎年(数年)律儀に咲いてくれている。水をやるぐらいでたいして手入れもしていないのだが、美しく咲いてくれるので、我が家の一寸した財産になっている。自然のたくましさか、高田さんの真心の賜か、とにかくありがたい。

自然と言えば、ここのところのその異常さには驚かされてしまう。天地ともに狂ってしまったのではないかというぐらいの異常さだ。政治も狂っているから、天地人の全てに異常をきたしているということか。

熊本・阿蘇・大分を震源とする大地震は、かって観た[日本沈没]を想起させるものだ。5年前の東日本大震災は、人も建物をも流しつくしたが、大地そのものまでは破壊し流しつくさなかった。だが、今度の地震は違う。大地そのものを破壊し尽くそうとしているかのような、壊滅型とでも呼べそうな地震だ。この地上に、人間の住むことを拒んでいるかのような荒れようである。このままでは、九州を南北に分断される心配も出てくるのではなかろうか。大げさかもしれないが、天地に異常をきたしているさなかでは、何が起こるかわからない。現実に小笠原では新島もできている。

歴史好きの私には、熊本城に対しての思い入れは深い。清正の心情はともかく、この城に秀頼を 匿って徳川と対峙したらなどと、よく空想にふけったものだ。その熊本城が、惨憺たる姿をさらしている。あの堅固を誇った武者返しの石垣も、威容を誇った天守閣や多くの櫓も、今では見るに堪えない姿となってしまっている。多くの犠牲者の出ている大災害中に、お城を云々するなど不遜であるかもしれないが、私には、熊本城そのものが悲鳴を上げているとしか思えないのだ。助けてくれと叫んでいるとしか思えないのである。

こうした甚大な被害の進行中に、とんでもないことを言い出しかねない輩もいる。「だから(こうした厄災があるから)、憲法に緊急事態条項が必要なのだ」と独裁体制づくりに震災を利用しかねない輩だ。異常をきたしている天地人の人(政権)の輩の考えることは、私には到底理解できない。大震災さえも利用しようとして憚らないのだから。でも、言っても無駄か、あの御仁方には-----。


2016年4月15日金曜日

激震が走った!

(地震大国であることを忘れまい-4/14)
(被害は甚大だ、原発は大丈夫?-4/14)
4/14 夜の9時26分、東京での私は入浴中であった。妻が慌ただしく、浴室のドアを開けて、「熊本で震度7の地震だよ!」と知らせてくれた。東日本大震災から5年、天災は忘れかけたころにやってくるという格言通りの大震災である。被災者の方々には、心からのお悔みとお見舞いを申し上げたい。あの名城「熊本城」も大きな被害を受けたようだ。加藤清正の霊も心を痛めているのではなかろうか。

妻の知らせを聞いて、私の頭を最初によぎったのは川内原発のことであった。熊本からは150KM離れているが、当地でも震度4の揺れがあったとのこと、その対応が心配された。しかし、私の杞憂をよそに、津波の心配がないとの情報で、何の対応もなしに運転を続けているとのこと、あきれ返って開いた口もふさがらない。

ホンダやソニー熊本など周辺の企業は、いずれも様子見で操業を見合わせているというに、最も警戒を要する原発が操業を続けているなど私には信じられないことである。能天気であるとしか言いようがない。危機管理がなっていないということだ。政府の強い対応を望むところである。

熊本と言えば、噴火が心配されている阿蘇火山に近い。この地震が火山の噴火に結びつかなければよいのだがと、余計な心配もしてしまう。この国が、常に自然災害の危険にさらされているのだと、改めて思い知らされた感がする。心構えを忘れるなという、警告なのではなかろうか。

話題は急転するが、検察は甘利君ではなく田母神君の逮捕で矛を収めようとしているらしい。なんとも摩訶不思議なことである。今、国民の求めていることは、甘利汚職事件の真相である。附けたしのような田母神選挙違反事件では決してない。動き出せばあっという間にできる摘発を、収賄の出丸(秘書、事務所)にさえ手を付けようともせずに、手をこまねいている。政権と検察の癒着が見え見えではないか。ここまでくると、シールズではないが民主主義って何だと叫びたい。

癒着組は、、贈賄側のS社とURとの贈収賄事件としてその幕引きを図る狙いであるらしい。馬鹿にするのもいい加減にしろだ。当の甘利君は、睡眠障害を盾にして国会出席を拒みつつ、次の選挙出馬を画策しているとのこと、何が政治家としての「美学」だ。恥を知れ恥を、である。

熊本地震の余震は多く、かってないほど頻繁に強く揺れているとのことだ。余震であるのに、震度6強という、強烈なものもあった。一日も早い終息を願うのみである。だが、甘利君に関しては、その終息を許すわけにはいかない。心して国民の制裁を待て!---と言っておこう。

2016年4月13日水曜日

小旅行を楽しんだ。

(羽村市のチューリップ畑-4/12)
4/12 羽村市のチューリップ祭りに行ってきた。チューリップのあでやかな色どりとその規模には、予想を超えるものがあり圧倒される思いであった。いつものように、旅姿(?)三老人(私、妻、妻の姉)で、あちこちと歩き回って楽しんできた。

羽村市は、かの[大菩薩峠」の作者中里介山の生誕地であり永眠している処である。その中里介山が、筋金入りの反戦論者であったことは知らなかった。あの言論統制の厳しい時代に、その信念を曲げなかったと言うのだから頭の下がる思いだ。昭和19年、腸チフスで59歳という若さで亡くなったとのこと、敗戦を知らずしてその無念さはいかばかりであったろうか。

羽村には、玉川上水の取水堰がある。現在はその様相も変わって、大掛りで近代的な取水堰となっているが、かの開鑿者・玉川兄弟の時代にはどのようなものであったろうか。一昔前に、その業績を歌舞伎じたてにした前進座の[玉川兄弟]を、妻の母と観たことを思い出す。そのゆかりの地にその娘(今は婆さん)たちと立っているのだから、なにかしらの因縁を感じずにはいられない。当時もそうであったと思うが、多摩川の水は今も思った以上に澄んでいた。

(羽村の取水堰-4/12)
中里介山とは反対に、国威高揚に協力したと言われる、かの吉川英治は青梅の住人であった。その記念館が会場から車で30分ほどだというので急遽訪れることにした。記念館には、本や資料だけでなく、昭和初期から高度成長期ぐらいにかけての懐かしい映画ポスターも貼り出されていた。その懐かしさには三人とも興奮し、あらためて自分たちが昭和の人間だと知らされた。

<宮本武蔵>が、三船敏郎や中村錦之助他多くの役者によって演じられていたことや、佐々木小次郎役を鶴田浩二も演じていたことなど知らなかったことも多く、その思想性はともかく、映画を通じて、吉川文学が多くの国民に愛されていたことを知った。

その吉川英治記念館からは、あの大菩薩峠に至る丹波路を辿ることができる。ということで、足を延ばして奥多摩湖にも行った。マイカーでの小旅行はどこにでも行けるので本当に便利である。奥多摩湖は二十数年ぶりだったので、「奥多摩水と緑のふれあい館」ができていたことは知らなかった。

(桜が満開だった奥多摩湖-4/12
私は、このダム(貯水ダム)を奥多摩湖とは呼ばず小河内ダムと呼んでいる。ダム湖に沈んだ小河内村の知人もいて、建設当時のことなども聞いた覚えがあるからだ。その小河内ダムの水資源について、ふれあい館で3D映画を見たりした。ふれあい館はとても勉強になったので、次回は孫たちを連れて行こうと思っている。

大菩薩峠は、このダム湖の上奥にあり、多摩川の水源地となっている。峠には、二十代前半に2回登ったが、とても急峻で苦しかったことが想い起こされる。その登山も、今では途中まで車で行けるとかで、大分楽になったらしい。それでも、今の私ではもう登れないだろうと思う。寂しい限りだ。

混雑した新青梅・青梅街道を帰り道として、途中、日本そば「尾崎庵」(善福寺近く)に立ち寄り、夕食に舌鼓を打った。私のお気に入りの手打ちそば屋である。少しかためではあったが、三人とも追加したほど美味しかった。

朝8時半頃に出発した小旅行は、夜の8時頃に義姉を送って終わった。とても楽しかった。

―小旅行中も、私たちのリュックやバックには、「安倍政治を許さない」のメッセージホルダーがつるされて揺れていた。安倍暴政を片時も忘れないためにと、どこにでもつけて歩くからだ。私たちは、日本の危機が身近に迫っていることを、一瞬でも忘れてはならないのである。―

2016年4月11日月曜日

花を咲かせるためには

(久しぶりの自作料理-4/12)
妻の手を借りて、料理らしい料理を久しぶりに作った。
写真には、春らしくとたけのこご飯に春わかめ(気仙沼のいとこが送ってくれた)と新じゃがの味噌汁、あげ鰈のあんかけと焼きとり、トマト・きゅうり・ブロッコリーのサラダ、それに沢庵古漬けのうすぎり醤油あじと言ったものが写っている。ここにには写っていないが菜花のからしみそ和えも作った。本当に腕を振るったという思いである。満足まんぞくといったところだ---。

埼玉県東松山市での知人の法事(忍ぶ会)に出席した折に、地元の農協が開いていた農産物直売所でいろいろと買い求めてきた。新鮮野菜などの食材がたくさんあって、選択に迷うほどの楽しい買い物となった。地粉で打った細めのうどんも求め、その晩には早速食して目を細めた。思わぬところにうまいものがあるものだ。 
(今年も咲いてくれた二輪草-4/11)
今年も二輪草は見事なくらいに咲き誇り、自生地(板橋区大門地区)は、、真っ白に染められていた。ボランティアの人たちの努力には心から感謝したい。私は、毎春の楽しみとしてこの自生地を訪れている。

この大門地区には、伝統行事としての「田遊び」がある。すぐ近くの民俗資料館でその動画も公開されている。動画には私の知人も映し出されており、いつも懐かしい思いを甦らせてくれる。伝統行事は、今や貴重な文化遺産でもあるし、廃れさせてはならないものだ。地元の方のより一層のご努力を願うのみである。

伝統と言えば、伝統ある日本農業を滅ばしてはならないというのが、TTP参加への国民の込められた願いであったはずだ。

(大門地区の二輪草群生地-4/11)
私は、そのTTPをめぐる国会論戦を注視しているが、自公政権のあまりなまでの横暴ぶりに、日本の民主主義は壊されたと怒り心頭に達している。秘密主義もいいところで、ここまで国民を愚弄するかという思いで一杯だ。今の日本は、まるでアメリカの属国でもあるかのような有様だ。情けないことこの上なしである。

資料を公開すれば、国民の前にその売国的秘密交渉ぶりが暴かれるので、全面黒塗りの資料(?)を出すしかなくなっている。潜在する秘密の不当性を浮き彫りにさせても、口を噤んでしまえという戦術をとっている。質問にも一切答えず、はぐらかしの答弁(?)で時間をつぶす。最早安倍内閣は、国民を代表する内閣ではなくなった。自らその反動性を国民の前に開陳しても、恥じることはなくなってしまった。軍国主義国家へ歩み始めたということだ。

国民を無視した政治は、戦争するための国家を目指していることの証明でもある。今の安倍自公は、そのことを露骨にし始めており隠そうともしなくなっている。黒塗り資料は秘密保護法の具体的適用例として試している筈だ。このまま、見ざる聞かざる言わざるの三無し国民を育て上げようとしているのだ。だから、今を許してはならない。今を許したら悔いを生涯に残すことになる。

TTPの最高責任者であった甘利前大臣を、不眠症を理由に隠し通しているのも、安倍自公にとっては致命傷になりかねないからだ。資料だけでなく、犯罪者(?)をも隠し通そうとするなど許されることではない。国家が、国家的犯罪者(?)を匿うなど決して許されることではない。今や民主主義は殺されようとしているのだ。自公プラスおおさか維新の手によって----。

二輪草は、多くの善意とたゆまないと努力のもとに花を咲かせている。藪を取り払い幾多の雑草を取り除いて、自生地を守っているから、咲き誇ることができる。私たちだって守れるはずだ。自公やおおさか維新といういうばい菌やカビを取り除けば民主主義は必ず守られるのだ。TTP国会、私たち国民は心して見つめようではないか。不正は許さないという信念をもって見つめようではないか。

2016年4月8日金曜日

春休みは疲れる!でも嬉しい。

(磯ガニとりに興じる孫たち―3/30)
写真は、春休みに泊まりに来た二人の孫たちと、葛西臨海海浜公園に行った時の一枚だ。潮の具合が今一で、釣りは駄目であったが磯ガニとりは楽しむことができた。

家族連れで来ていた親切な女性にエサのスルメを頂けたので、孫たちは磯ガニとりに興じることができた。持参していた魚肉ソーセージではとれなかったので、感謝感謝というところであった。孫たちは大満足である。

公園は人工海浜(砂浜)であったが、海辺の雰囲気はあり、中には潮干狩りをしている親子もいた。ちょうど干潮ということもあって、それなりに貝がとれたようで嬉しそうであった。


(荒川土手の菜の花群落をバックに―4/1)
左の写真は、一番下の孫と埼玉県上尾市の丸山公園に桜と釣りを楽しむために出かけた時の一枚だ。途中の荒川の土手に咲いていた菜の花群落がきれいだったので、車から降りてパチリと撮った。ちょうど盛りだったので、菜の花の好きな妻(ばあちゃん)は大喜びであった。

公園の沼での釣りは、来合せていた高校生たちに、釣り方を教えてもらったりエサを分けてもらったりしてそれなりの釣果を上げることができた。浮き釣りはサッパリだったが、教えられた通り沼の縁を脈釣りしたら、引きも型もよいブル-ギルが何匹(尾)も釣れて、孫は大喜びであった。どうも、私はエサの選定や仕掛けにうといようである。

(彩湖道満パークに咲いた満開の桜―4/5)
4/5~4/6にかけては、一番上の孫娘が泊まりに来た。今度中学2年生になるので、今までのように簡単には泊まりにはこれなくなった孫である。バレーボール部に入っているとかで、なかなか顔を合わせることができず、私としては寂しい限りであったが、久しぶりの顔合わせはとても嬉しいものであった。

誕生祝のプレゼントを一緒に買いに出かけたり、写真の公園をのんびりと散歩したりとそれなりに充実した二日間であった。でも、いつも飛びついてきていた孫の成長は、喜んでよいのやらと複雑な心境でもある。妻(ばあちゃん)と三人で川の字に枕を並べられるのは今回限りかなどと考えると、結構つらいものだ。古希まじかの歳(69才)のせいなのだろう。

こうして孫たちと楽しい時を過ごせるのは、先人たちの築き上げた平和な日本国こそである。その平和な日本を壊そうとしている安倍自公を私は決して許さない。愛する孫たちのためにも、平和な日本を守り抜かなければと思う。