(運動会での孫たちのダンス―5/28) |
運動会の開催時期も変わってきて、5月開催が多くなっている。田舎育ちの私には、豊穣とした実りの中での運動会が懐かしいのだが。楽しみの昼食は、どのシートでも自慢のお弁当を広げて嬉しそうだ。私たちは、孫一人に大人5人の応援団と言ったところだが、見まわすとそうしたシートも数多く見られた。子供にとっての運動会は、今も昔も家族総出の運動会と言えそうだ。
(娘との持ち寄り昼食―5/28) |
娘(現役保育士)の話では、現場では本当に深刻な状況らしい。保育士が足りないことは事実らしいようで、娘の勤務状況からもそうしたことが伺える。増員要請も空しいとのこと、民営化の話で躱されることも多いという。入所できなかったり、別々の保育園入所で苦労している保護者も多いと聞く。政治の積極的関与が求められるところだ。
その政治であるが、理解しがたいことが起こっている。そして、この現象は短期間と言うよりは、長期間続いている。
東京新聞5月30日付朝刊には、共同通信社発表の世論調査の結果が掲載された。大騒ぎした伊勢志摩サミットやオバマ氏の広島訪問の後だけに、与党に有利な数値が出ることは当初より予想されていた。が、その内容には驚かされるものがあった。不思議なことであるが、その理解しがたい特徴が固定化されてしまったようなのだ。
安倍内閣の支持率は、その失政にもかかわらず、48.3%から55.3%に上昇している。その上昇原因が、サミットやオバマ氏の広島訪問にあることは明白だ。しかし、この世論調査や先の世論調査、そのまた先の世論調査には、共通した類似点があって、そこから判断すれば、高支持率維持や、急激な上昇などは考えられないことなのだが、何故か高支持率を保っている。
― 基本政策への支持が低いのに内閣支持率が高い不思議 ―
それらの特徴とは、安倍政権の基本政策に関しての評価が、いずれも低いという特徴だ。通常であれば、基本政策が支持されない内閣など支持率が低くて当然なのだが、理解しがたいことにある程度の高支持率をずっと保ってきている。不思議としか言いようがない。
具体的には、今調査でも、世界の経済認識をリーマンショック前と酷似とした安倍に対して、世論では51.9%もの人がその認識を否定している。アベノミクス関しては、この政策で今後景気が良くなるとは思わないが64.1%を示し、憲法改正に関しても54.9%が反対の意思を表明している。又、消費増税の再延期に関しても70.9%の世論が賛意を示し、沖縄問題の根幹をなす地位協定に関しても71.0%に人たちがその改定を求めている。こうした数値は、アベノミクスの失敗を意味し、他の重要政策も国民と乖離していることを示している。
常識的には、これだけ基本政策が否定されれば支持率も降下するはずだが、不思議なことに政策とは連動せず別な動きを示してしまう。例えば、サミットに関しての評価は、評価すると、どちらかと言えば評価するを合わせると、78.4%もの高評価を示している。リーマンショックなどを持ち出して顰蹙をさえかっているのにである。私などは国際的に恥をさらしたとしてマイナス評価であるのだが。政党支持率でも37.2%から44.4%へと上昇している。いかにオバマ効果があったとしても、この数値は異常だと言ってもよい。このことは、国民は政策で安倍政権を支持しているのではないという証明ではなかろうか。
この、基本政策は支持しないが安倍内閣は支持するという傾向は、ここ数か月間若干の変動はあるとしても、固定化した特徴として定着してしまった。なんとも理解しがたい不思議な現象である。安倍内閣を支持する理由も、他に適当な人がいないが33.0%から37.7%に上昇しており、民主党政権への失望感が強すぎるためだ、と受け取られている。しかし、その理由づけには、いかに何でもと疑問をもたざるを得ない。民主党内閣が不十分な内閣であったとしても、3年余もその嫌悪感が続いているとは思えないからだ。そう思い込ませてしまう、何か別の要因があると思えるのだが、考えすぎであろうか。
― 国民全体が無意識のうちに右傾化傾向に馴染み、その傾向を容認し始めた?
― 国民の意識の中に、周辺危機の洗脳的喧伝によって、偏った民族主義が芽生えた?
― 政治への諦め感が、安倍を実力以上に評価し、代わりがいないと錯覚させた?
漸くにして、ヘイトスピーチ規制法が国会で議決された。内容的には不十分さもあるが一歩前進と言ったところだ。こういうと国民的盛り上がりの中で、議決されたと思えるが事実は違う。勇気ある在日韓国人女性の訴えから運動が立ち上がり、多くの人の奮闘で法整備へと進展したのだ。そして、その闘いは、命を脅かされながらの苦しいものでもあった。カウンターや支援者たちの体を張っての対峙がその運動を支えてきた。ネット社会でのネトウヨ攻撃に対して、反撃を繰り返し続けた多くの支援者があったことも見逃せない。しかし、運動そのものは、全国民を巻き込んでまでのものとは言いがたく、その広がりは決して大きものではなかった。だから、法整備までに時間がかかったのだ。
わが国におけるヘイト攻撃とは、在日韓国人や朝鮮人、朝鮮総連、朝鮮学校生への、人権を無視した侮蔑的攻撃を指して言う。が、最近はアイヌ民族や外国人に対しても同様の攻撃が行なわれ、排斥運動も繰り広げられている。しかも、無知で凶暴な民族主義者達のその攻撃は、執拗で生活環境を脅かすばかりでなく、生命の危険をさえ感じさせる攻撃に変わってきている。一種、組織的ネオナチの様相をさえ示し始め、危険極まりない事態にもなっている。
こうした攻撃が長年にわたって繰り返されていることを、ほとんどの国民は知らないで来た。知っていても、大音量をあげて走り回る一部の右翼活動だ、ぐらいにしか認識していなかった。だが、事実は、特定の人種、特定の地域を攻撃目標とした、反動民族主義者や反人権団体による組織的な排斥運動であったのだ。たんなる暴力団崩れの嫌がらせなどではない。しかし、この攻撃が被害者の訴えによるまで公には明らかにされず、つい最近まで警察の見過ごしのもと繰りかえされてきた。無関心もいいところである。日本人として恥ずかしい限りである。では、なぜ見逃されてきたのかとの疑問が出てくる。なぜ、ヘイト攻撃が公にされなかったのかと言う疑問である。
私は、この疑問を解き明かせれば、表題とした「安倍内閣高支持率の不思議」も同時に解明できると思っている。この疑問の中にこそ、理解しがたい特徴が固定化し定着化した理由が含まれているとも考えている。
疑問の解き明かしと私見による対応策は、次の投稿で述べることにしたい。
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